地域の最期を、いかに見届けるのか


つどいの場に欠かせないのが「食」だ。ただ、それは「みんなで食事」ということだけではない。山間部などではまとまった準備をすることが難しい場合もあるし、食材を買い揃えること自体が困難な場所もある。地域を包括してケアするわけだから、それは健康だけでなく、食にまつわる環境そのものをケアしなければいけない場合もあるわけだ。

田人の奥の貝泊地区。すぐ西側には東白川郡鮫川村がある。いわきの南西の端っこだ。周囲の自然は猛烈に美しい。なだらかな阿武隈の山並み。古きよき日本の雰囲気を残す古民家。いかにも美味そうな作物ができるであろう田畑。しかし同時に、少子高齢化、過疎化の波が押し寄せてもいる。買い物をする商店すらほとんどないのが現実だ。

そこで地域包括ケアの一環として、大手スーパー「ヨークベニマル」の移動販売車がやってくることになった。週に1度、この貝泊集会所と、手前の荷路夫集会所にやってくる。移動販売車といっても品揃えは豊富で、コンビニで買い物するのとほとんど変わらない。価格も店頭とまったく同じで、特売品なども揃う。びっくりするくらい充実しているのだ。

お店の方に話を聞いたら、「貝泊は野菜を自分で育てている人が多く、野菜の需要はほとんどないので、果物などを多めに準備するようにしている」とのこと。わざわざ田人の暮らしにあったセレクトをしているのだ。それもすごいこと。この日は、山梨県と福島県と、2つのモモが用意されていた。選ぶ楽しみも、この移動販売車には備わっている。

田人の奥地の峠道を越えて、移動販売車が貝泊にやってくる。

移動販売車の店内。必要なものはだいたい揃う充分な品揃え。

田人の皆さんに、ということで、果物を多めに陳列する。夏場のももはやはり人気商品。

―買い物支援で生きがいを支える

聞けばこの移動販売車、もともとは東日本大震災の津波被災地で活用されたものだという。豊間や薄磯などの復興住宅に出向き、現地の人たちの買い物環境の向上に役立てられていたそうだ。その有用性が認められ、今度は中山間地域の小さな集落に活用されることになったのだ。買い物を支えることの重要性は、震災後の沿岸部ですでに証明済みだということだ。

買い物を終えたお母さんたちの顔を見ていると、買い物という行為は「何かを購入する」という行為以上の意味があるように思える。品定めをする、選ぶ、考える、店員と話をする、わくわくする、レシピを想像する、何度も心を動かす。それが買い物だ。だから買い物環境を整えるのは、単に食を支えているわけではない。生きがいを支えていると言っていいかもしれない。

山深い地区だからこその美しい自然。しかし、それゆえの過疎化。日本中の山村が、同じジレンマを抱えている。

いつかはこの移動販売車も必要なくなる時が来る。

―地域の最期を見つめる地域包括ケア

沿岸部の津波被災地も、中山間地域も、似たような悩みを抱えている。どちらも、若い世代は中心部へ移住してしまい、お年寄りだけが残され、買い物を支えるインフラも失われてしまった。歩いて行けるところにスーパーはない。若い世代は車で移動して買いだめできるが、どうしても高齢者は置いていかれてしまう。被災の軽重を問わず、どちらも少子高齢化が深刻だ。

30年後、50年後、そこに暮らす人たちがいるか、誰にも分からない。しかし、そこに暮らそうという人が今いる以上、その人たち寄り添うことが必要な支援だ。ただ、縮小からは逃れられない。絵に描いた餅すら、もう描くことはできないのだ。厳しい未来が、目の前まで迫っている。

それでも、この「撤退戦」を辛く厳しいものとして考えるか、それでも楽しみを見出しながらポジティブに撤退していくのか、その捉え方を変えることなら、いくらでもできるはずだ。人が死ねば、いずれは地域も縮小し、消えていく。まさかそんなことを考えなければいけない時代になろうとは誰も思わなかったかもしれない。けれど、どうやら私たちの世代が、その課題を背負わねばならないようだ。

地域包括ケアとは、人の最期だけではなく、地区や地域の最期もまた見届けなければならない。ただ、1つ言えることは、人の最期は選べないかもしれないが、地域の最期は選ぶことができるということだ。どのような最期にするか、そしてどのような財産を次の世代に遺すのか。地域包括ケアを通じて、そこに暮らす人たちとともに真剣に考えなければならない。自分を、そして地域を、どのように終わらせるのか。できるだけポジティブに、前を向いて考えたいものだ。


公開日:2017年09月18日