自分たちの今を「反対側」から見つめ直す

内郷 北山 剛さん


いわき市内郷にある就労移行支援事業所「ソーシャルスクエア」。障害のある人たちの「働きたい」という思いや夢を叶えようと、様々なプログラムやカリキュラムを提供している。運営するのはNPO法人ソーシャルデザインワークス。いわき出身の社会起業家、北山剛が代表を務めている。

同社が提供するのは事業所内のサービスにとどまらない。障害の有無や国籍に関わりなく楽しめる企画「ごちゃまぜイベント」や、地域のゴミ拾い活動「グリーンバード」、さらには自分たちでネットや紙のメディアを発行し、様々に情報発信・啓蒙を続けている。

同法人が掲げる「ごちゃまぜ」とは、つまり「包括」。あらゆる差、あらゆる障害、あらゆる違いを包み込んで、ごちゃまぜになって、「それを引け目に感じない社会」を目指すということだそうだ。理念だけが先走っているわけではない。事業も順調で、同法人が支援したことで就職できた人たちの数も増え、昨年は兵庫県西宮に二号店を出店した。その活躍ぶりは、県外からも注目を浴びている。

彼らのモチベーションや激しい動力は、いったいどこからやってくるのか。現在はペルーに在住し、海外からオンラインでスタッフに指示を出す北山の、その一時帰国中にじっくりと話を伺うことができた。順調な事業の裏側に隠された「反骨」の精神。そして、未来を強く見据えるビジョンの射程。ソーシャルデザインワークスが持つ「いごきの精神」のようなものが、少しずつ見えてきた。

就労移行支援事業所「ソーシャルスクエアいわき店」にて。福祉施設とは思えないおしゃれな空間。

—服を着替えたら社会からの評価が変わった

編集部:ソーシャルデザインワークスは、2017年から組織をNPO化しました。営利を目指す株式会社から非営利のNPOになり1年です。北山さんも日本を離れてペルーから事業に関わるようになりました。組織にとって大きな変化が訪れた時期だと思います。振り返っていかがでしたか?

北山:やっていることはほとんど変わっていません。「株式会社」という服から「NPO」という服に着替えたというだけで本人は変わっていない。そういうことだと思っています。ただ、中から見た変化はないけど、外から見た変化はものすごくあったと思います。NPOになったことで、株式会社時代は持ち出しでやっていた「ごちゃまぜ」の活動が、今ではいわき市の支援事業の一つになっています。

福祉事業をNPOでやるのか株式会社でやるのか、社会的な見え方は大きく異なります。どうしても株式会社って「営利目的」というところがフォーカスされて色眼鏡で見られてしまうんです。障害者を利用して儲けるてるんじゃないかとか、イベントばっかりやっているとか、そういう声を聞いたことも一度や二度ではありません。

けれど、こうしてNPOになってみると、偏見もなくなり、自治体との協働も増え、より地域に根ざした活動を行うことができるようになりました。私たちは変わっていないのに、服を着替えたら社会からの見え方が変わってしまったわけです。これは当たり前のようで、実は大きな発見でした。

本来は、何を着ていたって中身で評価されるべきだと思います。だけれど、実際の社会は残念ながらそうなっていません。ならば、自分を客観視して、社会から見たときに自分はどう見えているのかということを意識することも必要なのではないか、と感じるようになったんです。

こんなことに困っている、こんなことを助けてほしいと助けを求めることも大事ですが、そのうえで、ではその声をどう伝えたら、みんなは気づいてくれるのか。助けを求めるだけでなく、冷静に今の社会を見つめるというアプローチも必要なのではないか。服を着替えてみて、そんなことを感じるようになりました。それは、日々のカリキュラムにも活かされています。

根底にある自分は変えなくてもいい。ただ、人間は一人では生きられないんだから、社会から見たときに自分はどう見えているか、外から見た自分を相対化して、外の目線を迂回しながら考えてみる。すると、社会は何をもって人を判断しているか、それが自分にどう影響しているかを考えられる。それを「社会性」と言っていいかもしれませんが、それを身につけることが必要だと思います。

カリキュラムやプログラムは、このスペースで行われる。居心地のよさが感じられる空間を意識してリノベーションされた。

—体験を繰り返し、体で覚え、文化がつくられる

編集部:なるほど、たしかに、何を障害と考えるかは「社会」が決めてしまいます。今の社会にとって何が障害なのか、障害のある/ないというのは一体どういうことなのか、自分たちはどのように見えているのかを「確認し合う」必要があるということかもしれませんね。

北山:はい。あえて当事者同士で話し合って、もうちょっとこうしたほうがいいとか、これは直さないとダメだとか、意見を出し合うことが大事だと思います。

例えば、目の前に、見た目がちょっと違うところがある人がいるとする。それを「あ、この人は障害者だ」と決めて、押し黙ってタブー化するのではなく、困っている人だから助けようというのでもなく、何か必要なことがあるのか、何が困っていて何は困っていないのか、その「違い」について話すことができる社会のほうが健康的です。

必要なのは体験です。とても身体性の伴うものだと思っています。サッカーが上手くなりたいというとき、本を読んでいたっていつまでたっても上手くはなりません。体を動かして、体で覚えて体験していく。すると、いつの間にかその動きが当たり前のものになっていく。それと同じですよ。

見た目の違いや、自分の持っている障害や生きにくさを吐露して対話していく。それが当たり前になる。そうやって少しずつ社会が変わっていくんだと思います。だから、子供のうちからそういう環境や場を作っておかなければいけません。

日本では、長年「違い」を良しとしない社会が作られてきました。これが変わるには10年20年じゃ足りないでしょう。文化を変えていかないと偏見は無くなりません。だから、もっとお互いに障害や個性に触れ合っていいんだと、語っていいんだと、そういう場を作っていく。下手したら、ぼくが生きているうちにはビジョンは達成できないかもしれませんが、それを続けることです、大事なのは。

スターバックスとコラボして開催された「ごちゃまぜイベント」の様子。コミュニケーション術についてのレクチャーが行われた。

  • 編集部:北山さんが改めてビジョンを再確認し、長期的な取り組みにする必要があるという考えに至ったのは、やはり海外に出て日本を客観視したという経験が大きそうですね。

北山:そうですね。ぼく自身、一年ペルーにいて、少し冷めたところから日本を見つめることができたような気がします。そこで気づいたことなのですが、欧米などでは、障害があっても「生きていくためには働く機会を平等にくれ」という声が普通にあがります。だから、子供の時から「働く」ということを前提に教育がなされているわけです。

日本では「働く」ということに直結しません。障害があるとこれができない、だからできることだけやっていればいいという意識になってしまう。つまり障害は「劣っていること」と認識されてしまうんです。だから、障害がある人は守られるべき存在であって、社会から切り分けて施設に預けようという思考になってしまう。ああ、これは制度というよりも文化の話なんだと分かりました。

仕方ないことだとは思います。そういう文化だったわけですし。だからこそ、それを変えるには別の文化を持ち込むしかない。別の価値観を体験できる場を作り、ビジョンを発信し続けて、それによって生まれた変化を持続させ、文化と呼べるものにする、それしかないんです。

もちろん、既存の福祉施設が不必要なわけではありません。閉じた環境のほうが生きやすい人もいるからです。問題なのは選択肢がないことです。実際の日本社会は、障害があると選択肢が狭まってしまってあきらめざるを得ない。親も「こういう子だから施設に入らないといけない」とか思ってしまうんです。ぼくたちは、もうそんな社会を子供たちに残したくないんですよ。

地域のゴミ拾い活動「グリーンバード」の様子。定期的に開催されている。緑のビブスが目印。

編集部:確かに、どれだけ制度や施設が充実しても、人や社会の中に「障害とは劣っているもの」とか「どこかにまとめて保護しておけば良い」という考えが残っていたら、偏見や差別はなくならないし、そもそも制度や施設だって充実化しないかもしれない。長い目で文化を作る。非常に重要なスタンスですね。

北山:障害があるということを引け目に感じなくてもいい社会に早くしたいと思っています。ぼくにも子供が生まれて、余計に強く思うようになりました。人とちょっと違うからといって、親が子供を心から愛せなくなってしまうなんて悲しいじゃないですか。

例えば、何百年か昔の日本が「直毛の子だけが優遇される社会」だったとします。もし自分にくせ毛の子供が生まれたら、親はその子を愛せなくなってしまうかもしれない。でも、今の日本社会は、くせ毛の子供が生まれても、それを個性と思える。そういう文化になっているからです。何かの違いが障害として捉えられるか個性として捉えられるかは文化に依るということです。

文化を変えるには時間がかかります。だから、ぼくたちが見てる時間軸って、いつも30年後とか50年後なんです。違う文化を持ち込もうとしているわけだから、どうしたって反発は起きます。もちろん建設的な意見の交換は必要ですし、より良い社会を作るためにどんどん議論したらいい。でも、未来を見ていると、今の反発はどうでもよくなっちゃうんですよ。

北山代表は、長期的なビジョンを持つことの重要性を力説する。

編集部:現場の問題が大きいほど、今の問題ばかりに目がいってしまい、ビジョンや理念が失われてしまうということがあるのかもしれません。思えば、震災復興などもそうでしたね。

北山:結局は覚悟の違いで、リーダーが保身に走ってしまったらおしまいです。綺麗事だ、実現できっこないって言われるけど、それは今だけ。10年で変化するはずですよ。考えてみてください。実際、10年前は障害のある方への偏見も事業所のサービスも酷かったじゃないですか。社会が変わるってことは歴史が証明してます。だから、理念を掲げて動き続けることが大事なんです。

私たちの掲げる理念は「すべての仲間の幸せを追求するとともに、あきらめのない社会を創る」というものです。障害の有無に関係なく、全ての仲間の幸せを追求するわけですから、例えば、法人の労働環境や待遇がヒドかったら、ビジョンを実現できていないことになります。そんな組織には誰もついてきてくれません。だから、理念だけじゃなく経営も大事です。

両方大事なんだけど、海外に来たからか、今は強く将来へのビジョンを考えるようになりました。代表がペルーに行っちゃうというのは、つまり「制約」であり「障害」ですよね。だけれど、人間ってそういう制約や障害あるからこそ、限りある人生をより豊かに過ごそうとするわけだし、壁を越えよう、生きてる証を残そうって思うんじゃないでしょうか。

制約、条件、障害、生きにくさ、誰しもあります。それをネガティブなものにするか、ポジティブに肯定できるかで、人生がひっくり返ってしまうわけです。一度ちゃんと外の目線を経由して客観視して、どうやったらポジティブに変換できるかを考える。そしてそれを楽しむってことだと思うんです。それが「いごく」ってことかもしれませんね、ぼくにとっては。

聞き手・構成/小松理虔(いごく編集部)


公開日:2018年02月02日

北山剛(きたやま・つよし)

特定非営利活動法人ソーシャルデザインワークス代表理事。1979年いわき市内郷生まれ。磐城高校97年卒。東北大学大学院情報科学研究科修了。元株式会社LITALICO創業メンバー。「諦めのない社会を創る」というビジョンを掲げ、障害のある方や生きにくさを抱える方々に向けた自立訓練・就労支援サービス事業を軸に、多様なごちゃまぜの世界観を地域の方々と共創し、全国の地方都市展開を目指す。