認知症は、周囲が作る病気かもしれない

仙台市 丹野智文さん


 

仙台市の自動車販売会社でトップ営業マンだった丹野智文さん。39歳で若年性認知症と診断され、様々な葛藤がありながらも、最前線で発信と実践を続け、本の出版や講演などを通じて、認知症は怖い病気ではないことを発信し続けています。

いごくでは、今、その「認知症」の取材を進めています。丹野さんのご著書を読み進めるうち、シンプルに、ぼくたちは「当事者」ではないけれど、やはりその「最前線」に立つ人を取材したい、丹野さんが仙台にいるのだから、ぜひ聞いてみたいと思うようになりました。2月某日。東北の冷たい風が吹く仙台駅のそばのカフェで、私たち編集部は丹野さんにお会いしました。

取材:猪狩僚 / 構成:小松理虔

 

−必要のない支援、必要のない心配

編集部:今日は取材を受けていただき、ありがとうございました。今、私たち「いごく」で認知症の取材を進めていて、丹野さんの本も読ませてもらいいろんな意味で衝撃を受けました。せっかくいわきから近い仙台にいるのだから、認知症の当事者でもある丹野さんにお会いして話を聞いてみたいという思いが強くなり、ご足労頂いた次第です。今日はよろしくお願いします。

丹野:よろしくお願いします。

編集部:丹野さんにぶつけたいのが偏見についてです。認知症って、ご本人の症状とか支援のあり方とか論点はいろいろあると思うのですが、それ以前の問題として、認知症の外側にいるぼくたちの無知や偏見の問題があるのではないかと感じています。その偏見に一石を投じるような特集にしたいと思っているんですが、実際のところはどうなのか、感じていることがあれば教えて下さい。

丹野:本当に偏見ばかりですね、この病気は。認知症になったってね、普通に暮らしていけますよ。確かにじわじわと症状は増えるし、大変なこともあるけど、症状に対して工夫をしたり、誰かに助けを求めれば何も困りません。それなのに、なぜ認知症になったら365日24時間家族と一緒にいないといけないんですか。私は、それを変えなくちゃいけないと思ってるんです。

私がここ(仙台駅)に来るのだって一人で来てるわけです。今はスマホがありますよね。自分の現在位置を示すことも、行き先を示すこともできるし、メモだってできるしアラームもかけられる。今はGPSの機能も充実しているから、いざという時の不安も軽減されます。高齢の皆さんはスマホをなかなか使いこなせないと思いますが、これから認知症になる世代は、みんなスマホを使いこなせる。そういう機能を使えば、全然普通に暮らしていけるはずですよ。

あと、これは多くの人に勘違いされていることなんですけど、認知症の当事者の人たち、ほとんどは自分で喋ることができます。みんな「喋れない」って言うけど、それって、喋らせない、喋る環境を作ってあげてないだけなんじゃないですかね。メディアで語られる認知症って「重度」のことばかりだから、みなさん重度になった時のことばかり考えて行動を制御しちゃうんです。

そうじゃない。目の前の人を見ればいいんです。将来は将来として、そういう症状が出た時に考えればいい。必要がないのに助けちゃうから問題が起きてしまうんじゃないでしょうか。

 

仙台駅そばのカフェでおよそ1時間半。とても楽しく、そして考えさせられる時間でした

 

編集部:確かに、認知症という言葉を聞いた途端、自分で話せないとか、家族の顔も名前も忘れちゃうとか、テレビ番組で演出されたようなシビアな認知症ばかりイメージしてしまいますね。

丹野:そうでしょう? 認知症の介護の現場だってそうですよ。家族が重症イメージを引きずって全部やってあげちゃうんです。本人の意思を確認することもなく、本人にできることを任せるでもなく、優しさを履き違えて、やってあげることで満足してしまうパターンを多く見てきました。

うちの妻なんて本当に何もしてくれないですから(笑)。本にも書いたことですけどね、旅行の手配だって何回も失敗して、無駄なお金を使ってきたのに、本当にうちの妻は何もやってくれない。「高い勉強代払ったね」なんて言われるだけです。助けてくれないんですよ。

でもね、そこで思うのは、家族が認知症だとわかる前は、何をするにも任せていたはずだってことです。それなのに、病院で認知症という診断が出た途端、重度の認知症を想像して手助けてしちゃったり、事故が起きたらどうしよう、何かトラブルが起きたら大変とか、すぐに介護の問題にしてしまうんです。やるべきは、今まで通りの生活をどう続けるかを考えることなのに。

 

−認知症は、周囲が作る病気かもしれない

編集部:なるほど。そこにまず偏見というか勘違いがある。認知症だって症状には度合いがあるはずなのに、認知症「前」と「後」で、何かとてもくっきりとした線が引かれているように錯覚してしまうんですね。それはわかる気がします。

丹野:そうやって当事者と支援者の食い違いが起きてしまうのは、診断直後に当事者としっかり話すことができていないからだと私は思います。システムがそうなってるんです。日本は重度になってからの支援はものすごく充実しているんですけど、「介護保険」を使う段階にならないと受けられる支援がない。つまり初期症状での支援がないんです。

ヨーロッパは全然違います。重度にならないためにどうするかを考え、自立のための手助けをしようという考えなんです。だからGPSも自分で持ち歩いていますよ。皆さん、不安になったら見つけてあげるから一人で出かけなさい、って送り出します。でも日本の場合は、なんかあったら困るから出かけないでとか、出かけるなら一緒ねって、そんなレベル。なんかちょっとずれてませんか?

編集部:そうですね。ヨーロッパのように初期にこそ支援を回せたら、重度になるスピードを遅らせることができるし、何より本人や家族の負担を小さくしたまま普段通りの暮らしを続けられますよね。でも日本は逆だと。医療もそうですね。症状の軽い時に改善できたらいいはずなのに、重症化するまで放っておかれてしまって、重症化して医療が介入しても、すでにあらゆる負担が大きくなっている、的な。

丹野:そうなんです。症状が軽いうちに自立を目指すのでははなくて、症状が重くなってから支援。そうなっているから、余計に負担も大きくなるし偏見も強くなってしまうわけです。ケアする側の視点ばっかりで、その人本人の視点がない。

障害も同じかもしれません。車椅子の人を見ると、思わず私も「押してあげよう」って気になっちゃうけど、邪魔だって言われますよ(笑)。基本的には何もしない。それでいいんです。どうしても難しいことがあれば、本人が「これ手伝って!」って言ってくれます。その時だけ支えればいいんです。

 

丹野さんは、認知症当事者として声を、本の著作や講演などを通じて全国各地に発信している

 

丹野:本当の自立って何かって言うとね、なんでも一人でやるとか、逆に家族が全部守るとか、そういうことではなくて、自然に「これができないから助けて」って言える環境を作ることなんだって思うんですよ。そういう環境を子どの頃から作っておくことが大事だと思います。

編集部:なるほど。気軽に助けを求められない。だから周囲の方が勝手にニーズを先回りしちゃう。それが当たり前になってしまうと。

丹野:先回りが多いから、当事者は家族がいなくなると不安になります。認知症が進んで施設に入った途端、家族を探しに外に出ちゃう人が多いですよね。あれって、家族といないと何もできないと思ってるからですよ。施設から脱走した当事者と話すと、「奥さんいないと何もできないんだ」って本人が言っちゃうんだもん。だから、家族には申し訳ない言い方になるかもしれませんが、認知症って周囲によって作られたものかもしれないって思ってるんです。

編集部:ああ、そうか。認知症は、そうやって周囲が過剰に心配したり不安になったりして、過剰に手を貸してしまうから起きるものでもあるんですね。できるかもしれないのに、こちらから手を貸してしまったら、それが当たり前になって本当にできなくなってしまう・・・。

丹野:そうですよ。だってね、近眼ってそうでしょう。視力が0.5の人に、視力が0.03の人がつける眼鏡をかけさせたらどうなりますか? 絶対に見づらいし、そのうち矯正された視力に慣れてしまって、本当に近眼が進んでしまいますよ。

そもそも認知症だって近眼みたいなものです。近眼って、つまりは視力障害です。でも眼鏡をかければその障害は取り除かれている。だから障害とは見なされない。眼鏡をかけている人を障害者だとは思いませんよね。認知症だって、その症状に合わせてスマホを使ったり、これを助けて欲しいと助けを求めたりすれば、普通に生活していけるんです。

編集部:なるほど、近眼に例えると、めっちゃわかりやすい!!

丹野:だから、最初に言ったように、しっかりとスマホやアプリなどを使えるようになること。そしてもう一つ。誰かに助けて欲しい、これを手伝って欲しいと声をかけることです。でもそれが難しい。なぜかというと、自分で声をあげて助けてもらえたという成功体験がないからです。みんな何も言わないで生活して家族に守られてるから、それに慣れてしまって声を出せない。

でもね、おれはこれが困ってるんだ、助けてくれない? って言ってみる。意外とね、みなさん助けてくれるんですよ、これが。

私だって、特急電車の切符の買い方をいつも忘れちゃいますから。それが分かってるから、駅員さんに「若年性認知症で切符の買い方を忘れちゃったんです」って言うんです。そうしたら絶対に買ってくれますよ。そういう成功体験を積むことができたら、気持ちがすっと楽になります。それなのに、周囲が成功体験をさせない。失敗させたくないって守りすぎちゃう。

それがおかしいんです。だってね、普通みんな失敗したり工夫したりして暮らしているじゃないですか。それなのに、認知症って言われた途端、失敗させないようにしちゃう。

編集部:うーん。認知症という言葉のイメージがあまりにも悪いから、思わず最悪の状態を想定してしまって、家族や支援者が先回りして支援しちゃうのかもしれません。本人にできることがたくさんあったのに、それまでできなくさせてしまう。のだとしたら、確かに、認知症って人が作ってるものかもしれませんね。

丹野:そうなんですよ。支援する側も、本人と喋らず家族とばかり喋って、プランを全部決めちゃう。本人の選択肢もないし、周囲の提案もないわけです。普通ね、自分の子どもを高校に通わせるっていう時、お父さんが決めたからここに通いなさいなんて言っても本人は行きませんよね。私だってね、自分の奥さんのことどれだけ知ってるかって、結局他人ですからやっぱり知りませんよ。だからこそできるだけ初期に、本人としっかり話さなくちゃいけない。

 

待ち合わせ場所の仙台駅にて。スマホやメモ帳、アプリなどを使いながら「普通に」暮らしていると丹野さん

 

−普通に向き合って欲しい

丹野:既存の福祉は本人の目線に欠けていると思っています。支援する側や制度の話ばっかりなんです。逆に、すばらしいと参考にされるような施設は、軸足が本人の意思にある。藤沢の「あおいけあ」とか、東京や千葉の「銀木犀」とか、多くの人たちに評価される施設や法人は、ご本人の目線に立ってやってますよ。

今ね、月に1度「おれんじドア」って企画をやってるんです。認知症当事者の集まりなんですが、そこでは病名も、困ってることも聞かないしアンケートも取りません。聞いてるのは「何をやりたい?」ことだけ。そうするとね、おれは釣りがやりたいとか、あそこに買い物したいとか、やりたいことがいくつも出てくる。そうすると、じゃあおれはこれを手伝うよ、これをやってみようって支えてもらえる。それが小さな成功体験になるんです。

でもね、通常の介護や福祉の場面では、そういう声が出てきた時、全部中途半端に終わりますよね。以前、認知症の当事者本人が「野球をやりたい」って声をあげたんですが、支援者が持ってきたのはプラスチックのバットとボールでした。ふざけんなって感じですよね。誰が子どものおもちゃで野球やりたいと思いますか。釣りをやりたいって言った時には、近くの釣り堀に連れて行かれたりね。みんな中途半端で濁されて終わっちゃうんです。

 

大爆笑しながらのインタビュー。一度たりとも、目の前の人を「認知症」だとは思いませんでした。思う必要がないのです

 

丹野:誰かが「山に登りたい」って言ったら、じゃあ富士山に行こうよってなんで言えないんだよって。仮にそれが実現できなかったとしても、スタートラインに立つことだってすごく自信になるし、失敗したけどまたやろうって気持ちを持たせることが何より大事なんです。だからね、簡単にできることを先回りしてやっちゃダメなんです。そんなこと普通のことじゃないですか。普通に対応して欲しいんです。

以前、高校の先生で認知症になった方がいて、おれはサッカーがやりたいって言ったんだけど、支援者たちが「私たちにサッカーできるかな」って言ってるんです。違うだろって。支援者がサッカーを一緒にやってどうするんだよ。周囲のサッカーチームを探したり、練習時間を聞いてみたり、もし車で行かなくちゃいけないなら送迎してあげるとかね、そういう支援が求められているのに、全部100%自分たちが支援しようと思っちゃう。そういう風にズレてるんです。

編集部:そのズレはすごくよくわかりますね。助けてあげなくちゃ、できる限り寄り添いたいと思ってくれている。けれど、その思いが強いからいつのまにか本人の気持ちを確認することを忘れちゃって、独りよがりになっちゃってるのかもしれません。身につまされますね。

丹野:そういうズレって、普段の暮らしにもありますよ。例えば施設に入ったら、1日3食しっかり食べてお風呂にも入らないといけないけど、別に少しくらい風呂に入らなくたっていいんじゃないですか。本当はみんな適当のはずです。酒飲んで帰ったらお風呂は明日の朝でいいやって思いますよね。

編集部:あはは(笑)。私たちも毎週末そんな感じですよね。

丹野:私もそうですよ。でもね、施設に入るとそれが当たり前だってなっちゃう。普通が普通でなくちゃっちゃうんです。食いたくなければ、今日はメシはいいかなとか、味噌汁だけでいいかなとかね、みんな思ってたりするじゃないですか。確かに重度の人は自分の気持ちを伝えられないかもしれないけど、そこに至る前のほとんどは、自分の意思をしっかりと言うことが状態なはずなんです。

そういう話をするとね、「自分で意思を伝えられない人もいるだろ」って言われちゃうんだけど、そんなこと私に言われても知らないよって(笑)。そうなったらそうすればいいだけで、みんなを「重度」に当てはめる必要はないんです。

重度の認知症の人たちだって絶対に初期の頃があったはずですよね。初期の頃からの付き合いが大事なのに、みんな重度の時のことばっかり想定して手助けてしてしまう。誰しも初期があるし、誰しも意志がある。それを忘れずに、支援のあり方を考えていければいいですね。

 

最後に記念撮影。いごく編集長の猪狩(左)と丹野さん

 

インタビュー、終わり

 


公開日:2019年02月18日

丹野 智文(たんの・ともふみ)

おれんじドア実行委員会代表。1974年、宮城県生まれ。東北学院大学を卒業後、県内のトヨタ系列の自動車販売会社に就職。トップセールスマンとして活躍していた2013年、39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断を受ける。同年「認知症の人と家族の会宮城県支部」の「若年認知症のつどい『翼』」に参加。14年には、全国の認知症の仲間とともに、国内初の当事者団体「日本認知症ワーキンググループ」を設立。15年から、認知症の人が、不安を持つ当事者の相談を受ける「おれんじドア」を仙台市内で毎月開催。著書に、「丹野智文 笑顔で生きる -認知症とともに-」(文芸春秋)。