川平集会所の奇跡のレイブパーティ


親ほど年の離れた人たちと腹を抱えて笑い合ったり、酒を酌み交わし合ったり。どこか昔懐かしいようでいて、新鮮でもあって、当たり前の他人との付き合いでもあるのだけれど、しかしどこか、自分の親と対面しているようでもある。何だろうなあ、「親孝行しないといけないと思ってるんです」なんて、ひっそりと思っていることを思わず口走ってしまったり、親父に言いたかったことや、母ちゃんに言いたかったことが、ポロっと出てきてしまったり。つどいの場で酒を飲むというのはそういうことなのだと思い知る。

そして、何もない田舎でしょってナメて見てしまうような地域にこそ、先進的な取り組みや価値があるのだということを思い知った夜。いわきの歴史や宿命を引き継ぎながら、細々と地域の価値を守り続けている炭鉱の集落には、既存の思考が吹き飛び、新たな思考の軸がセットされるような、まるでアートにしか成し得ないような、衝撃と価値転換の磁場が形づくられていた。

川平行きバス。乗客は、見知らぬおじさん一人だけ。国道を折れると、あとは暗い道を進む。

内郷の国宝「白水阿弥陀堂」のもう少し奥に「川平」という地区がある。しかし、そこが川平(かわだいら)という地区だったということを私はこの日まで知らなかった。いわき駅から出る内郷方面へのバスの行き先に「川平」と大書してあるのを見たことがあるくらい。川に平でいったいこれをどう読むのか、「かわひら」なのか、あるいは「かびら」なのか(むむむー!)、そこはいったいどのあたりの地域なのか、ほとんどよく分からなかったのだ。この日までは。

久しぶりに内郷駅に降り立ち、国道6号線に出て川平行きのバスに乗る。こんな時間にバスに乗るのは、目的地で酒を飲むからだ。内郷駅前のバス停でバスに乗ると、それまで乗っていた乗客は1人残らず下りてしまった。新たにバスに乗ったぼくたちと、知らないおじさんが1人だけ。国道6号の一ノ坪の交差点を右へ曲がり、跨線橋をわたって今度は左に入り、バスはずんずんとかつての炭鉱町へと入っていく。

内郷にヤバいイベントがある

なんでこんな時間に、こんなマニアックなバスに揺られているかといえば、いわき市の担当者から「内郷にヤバいイベントがある」と聞かされたからだ。担当者によれば「とにかくヤバい」らしい。バスは真っ暗闇を突き進む。行き先は山である。私は「レイブパーティ」だと確信した。山奥のキャンプ場などで行う野外イベントで、サイケデリックなトランスミュージックをガンガンかけて踊り狂うようなやつだろうと。

いやでもそんなはずはない。不思議に思って、その担当者にもう少し詳しく教えてくれと聞くと、「うん、おそらくレイブに間違いはないんだけど、集会所でやってるレイブね」と返された。集会所でやってるレイブパーティ? それが大げさな比喩でないことを、私は30分後に知ることになる。

バスが終着地点に着いた。周囲は山。本当に何もない。ときおり、住宅の街灯がぽつりぽつりと暗闇を照らすだけである。ケータイの懐中電灯をつけて歩く。すると、少しゆるやかな坂を上った先に、小さな建物が見えた。ここがその集会場だろう。近づくと、中から賑やかな声が聞こえてくる。パーティである。間違いない。すごく楽しそうな笑い声が聞こえてくる。ここが、伝説のレイブパーティの会場、川平集会所だ。

真っ暗なかつての炭鉱町をひた走り15分。川平停留所にバスは停まった。

イベントスペース(集会所)に着くと、すでに宴が始まっていた。このときは普通の飲み会だったのだが・・・・。

失礼しまーすと中に入ると、みなさん、もうだいぶできあがっていらっしゃった(爆)。妙齢の皆さんがめっちゃくちゃ楽しそうにゲラゲラ笑いながら、あるいは真剣な表情で語り合いながら、おのおの酒を飲んでいる。おいおい、めっちゃ楽しそうじゃん。今時、大学のチャラいテニサーの学生だってこんなに楽しそうに酒を飲んでないぞ。明らかに自分の親と同じくらいの年齢の皆さんが、なんだってこんな良い顔して酒を飲んでんだ! ちくしょーめ、おれも混ぜてくれ!!

という感じで、買って来たつまみを広げて缶ビールを開けた。

そして、飲んで、飲んで、飲まれて、飲んで。

その後のことは、正直、あまり詳しく覚えていない。一緒にこのパーティに参加した編集部のメンバーたちと「川平の人たちマジでやべえwww」って腹を抱えて笑ったことと、「とにかくすげえ楽しかった」という思い出だけが、深く脳裏に刻まれている。良い飲み会って、そういうものかもしれない。何を話したかはよく覚えていないのだけれど、とにかく楽しかったということだけが記憶されている。良い時間を過ごした時だけ、記憶はそんな風に残されるのをぼくはよく知っている。

いやー楽しかったなあ、なんて思い出に浸りながらカメラのメモリーカードをパソコンに刺し、当日の様子を振り返る。するとそこには、レイブパーティの充実した時間と、それを楽しむ「顔」が記録されていた。その顔を見ていると、少しずつ、誰とどんな話をしたか、どんな表情で、皆さんが私たちを迎えてくれたか、少しずつ思い出されてくる。

どうやらぼくは、写真を撮るという仕事だけは忘れなかったようだ。自分を褒めよう。

日本酒がお母さんの手に渡った。不適な笑みを浮かべているっ!

お母ちゃんたちからぐいぐいとボルテージが上がっていく。

父ちゃんたちも負けじとカラオケのマイクを握り始め、ボルテージがさらに上昇。

問答無用で洗礼を浴びる編集部の渡辺メンバー。これぞ川平。あっという間に距離が縮まっていく。

常磐炭鉱がもっとも活況だった時代、福岡の小倉から移住してきたという母ちゃんは、とにかくぼくの話をいっぱい聞いてくれた。何を聞いていいか分からなかったので、まずぼくが話さざるを得なかった、というだけなのだが。

ぼくの小さな子どものことや、母親にはこんな思いを抱いているんだ、感謝してるんだとか、他愛のない話。それでも「そうかいそうかい、母ちゃん大事にしてやりなよ」なんてしみじみと話を聞いてくれる。母ちゃんは自分の息子のことを思い出していたのかもしれない。ぼくもまた、自分の母のことを思い浮かべていた。

それから、1人凄まじいエンターテイナーの母ちゃんがいた。中盤戦でおもむろにカラオケが始まったら、よほど盛り上がっていたのか、1人でダンスを披露してくれた。お父さんが「兄弟舟」を歌った時には、お父さんのベルトを強奪してそれを船の「櫂」に見立て、「伝馬船伝馬船!」とか言って船を漕ぐ漁師を演じるパフォーマンス。これには、もうみんなで腹を抱えて大笑いするしかない。何だこの人は! レイブパーティってこれか! これだったのか!

歌を歌ってるお父さんからベルトを強奪。

奇跡の伝馬船(兄弟舟)踊り。もうこのあたりからパーティの熱狂は誰にも止められない。

こんな踊りされたら、もう腹を抱えて笑うしかない。

誰か一人が「楽しませ役」をやる。みんなが笑顔になる。これも炭鉱の町の「役割分担」なのかもしれないと思った。

人は、こんなにも酒を楽しく飲むことができる。そんな単純なことに改めて気づかされた。テニサーの学生も、サラリーマンも、父ちゃん母ちゃんも関係がない。みんなが集まって酒を飲めば、そこには「場」が生まれ、コミュニケーションが生まれる。集うからこそ笑いがある。それを素直に楽しもうということに、年齢や立場など関係ない。そして、こうして若者以上に楽しんでいる父ちゃん母ちゃんを見ると、ああ、おれたちもこうやって年をとっていきてえなあ、なんてことを考えてしまう。

ひとしきり笑ったあと、ずっと図書館の史書として教育に関わってきたという母ちゃんと文学の話をした。この母ちゃんはもともと東京の出身で、川平にはお嫁で来たそうだ。そして、文学を学んできたことを活かして、長年、小中学校などで図書館の司書をしてきたという。座右の銘は何?って話になった。母ちゃんは「冬来りなば春遠からじ」を挙げた。イギリスの詩人、シェリーの「西風の賦」の言葉である。片方ではカラオケで踊り狂い、片方ではイギリス文学。そう、これが川平。

炭鉱町とは、一言で言えば「ヨソモノ」たちの町である。当然、常磐出身の人たちだけではない。全国から、働き手や技術者、研究者が集まる。当時、農村や漁村の多くが「現物」で生活を維持していた頃、炭鉱には「現金」があった。だから、全国からその富を求めて多様な人たちが集まる。人が集まれば、情報もモノも集まる。そしてそこには文化も生まれる。あの時代、炭鉱からどれだけの文化や芸術が生まれただろうか。

皆さんが地元の誇りだとおっしゃっていた「川平橋」と、そのたもとに咲く美しい桜。

下段の中心に座っておられるのが区長さん。地域の風通しがいいのも、区長さんの運営のたまものである。

母ちゃんの一人が「ここはもう限界集落だがら!」と自虐的に語っていたけれど、こんな山あいの小さな集落に、これほどに多様なルーツを持つ人たちが、こうして集会所で酒を飲んで踊って喋っていること自体が奇跡的なことだし、実はこれこそが、いわき市が本来持っている豊かさなのではないかと感じた。

つどいの場の多くは、後期高齢者が集まる場である。健康チェックをしたり、レクリエーションをしたり、食事を共にしたり。もちろん、それが機能しているだけでたいしたものなのだけれど、川平は、まだ現役で働いている人もいる。世代的にはよそに比べるとだいぶ若い。それなのに、こうして「夜のつどい」を通じて、地域の絆が知らず知らず深まり、結果的に「一山一家」の精神が引き継がれ、地域包括ケアが成り立ってしまう。実はとても先進的なのである。

この「夜のつどい」は、区長さんを中心に2年前くらいからスタートしたものだそうだ。区費から少しずつ捻出し、集会所の運営費に当てながら、月に一度の楽しみとして、この夜のつどいが継続されている。飲みすぎてたら危うく見過ごすところだった。区長さんに話を聞いたら、いろいろな「狙い」があってこそのレイブパーティなんだと理解できた。

そんな意外な先進性も、多様な文化が根づく川平だからこそなのだろう。川平の風土や人のつながりに魅了され、よその土地から移住を希望して引っ越してきてしまった人もいるそうだ。その気持ち、すごくよく分かる。こんな集会所があったら、頼もしいし心強いもの。

すさまじいダンスパフォーマンスの母ちゃんの家で二次会。酔ってるように見えるけれど、こうしておもてなしして下さる。皆さん、本当にすごい。

現代的な視点で見れば、川平はいかにも限界集落そのものである。でも、川平ではその視点が逆になる。どこからどう見たって、地方の寂しい限界集落じゃないからだ。むしろ、福祉的、文化的な視点で見れば、緩やかな連帯や、地域のコミュニティが程よく息づいているのがわかる。

そしてふと思った。こういう視点の逆転体験は、「アートプロジェクト」で得られるようなものに近いかもしれないと。アートを見た時に感じられるような、それ以前と以後では世界が違って見えるようなナニカ。それが川平にはあった。

そういう体験は、もしかすると川平に限られたものではないかもしれない。「つどいの場」という場そのものが、「まだ誰からの介護も支援も必要としていない私たち」にとっては完全なる未体験ゾーンであり、だからこそ様々な視点の逆転が生まれるのだ。だとすれば、「つどいの場」は「アートスペース」そのものであるのかもしれないし、そんな風に定義し直せば、「高齢者福祉」は、新たな価値を手にすることができるかもしれない(とても勝手な解釈だというのは理解してる)。

川平のレイブパーティ(ぼくは敢えてこう呼ぶ)、次はあなたも行ってみませんか? ぼくは行きますよ。だってほんとにおもせえんだもの。で、参加する前と後では、なーんか世界が違って見える。そのへん歩いてるジッチやバッパも、違って見えてくる。こんなおもせーイベント、自分だけのものにしておくのは勿体ないでしょ? じゃ、次回の川平レイブパーティで会いましょう。


公開日:2017年10月25日