いごくFes2018「メメント・モリ」


2018年2月3日。いわき市地域包括ケア推進課が主催して、生老病死の祭典「igoku Fes 2018」が開催された。前回まで2回にわたって中劇場ステージを振り返ってきたが、今回は、ステージの外に目を移す。カンティーネで開催された「つどいの場食堂」や、ホワイエで開催された「入棺体験」など。実はこちらのほうが圧倒的に、生老病死のリアルに触れることができるものだった。

カンティーネというホールで開催されたのは「つどいの場食堂」。普段、つどいの場(地域の集会場など)で地域の高齢者に向けて提供されている食事のおいしさを味わってもらおうと企画された。今回振る舞われたのは「煮込みハンバーグ」と「柏餅」の二品である。

いわきで地域包括ケアに取り組む皆さんがお出迎え。カンティーネ入り口では柏餅が配られた。(撮影:鈴木穣蔵)

菓匠梅月の名物、柏餅。87歳の片寄清次さんがつくる絶品である。(撮影:鈴木穣蔵)

—食べることは、生きること

煮込みハンバーグの調理を担当したのは、いごく表彰式でも賞を受賞した「好間北二区集会所」の母ちゃんたちである。北二区集会所では月に一度、地域の母ちゃんたちが調理した料理を、地域の高齢者に振る舞うという取り組みが続けられている。

地域の母ちゃんって言ったって、みんな60は超えている。60を超えた元気な母ちゃんたちが、80を超えたばあちゃんたちにうまい料理を振る舞っている、といえば分かりやすいだろうか。元気な母ちゃんたちが地域の高齢者を支えること、それは「地域包括ケア」の神髄だが、そんなことを自治体が推進する前から、北二区ではちゃーんとそれが行われていた。

北二区では、つどいの場食堂の話があった直後からメニュー考案が始まった。紆余曲折を経て「煮込みハンバーグ」に決定。仕込みは、なんとフェスの2日前から行われたそうだ。母ちゃんたちね、料理に対するこだわり、気合の入れ方がハンパじゃない。すごいなあ。

大人気の煮込みハンバーグ。11時のオープン後、30食は一瞬でなくなった。(撮影:中村幸稚)

食べることは、生きること。(撮影:鈴木穣蔵)

母ちゃんたちのプロ級の腕前とたっぷりの愛。おいしくないはずがない。(撮影:鈴木穣蔵)

気合だけじゃない。料理の腕前もハンパではない。素朴で滋養があり、だからこそうまいとしみじみ感じられる。そんな煮込みハンバーグだった。提供されたのは30人分と、かなり競争率が高くなってしまった。食べられなかった人は、直接好間の北二区集会場を訪れてみたらいい。月に一度、地域の高齢者を招いて贅沢な食事会が開かれている。ぜひそこに行ってみて欲しい。

現役の薬剤師たちもブースに入り、様々な情報発信や試供品の提供を行った。(撮影:鈴木穣蔵)

専門的な医療器具を使ってのどの筋肉の厚さを計測し、のど年齢を測定する。「飲み込む力」が「生きる力」。(撮影:中村幸稚)

—数値やデータで老いを実感

さらにこの会場では、のどの筋肉の厚さをスキャンする「のど年齢測定」や、「噛む力の測定」、あるいは「歩行速度測定」など、データによって自分の老化と向き合ったり、若い人が老いを先取りできるブースが設置されていた。

自分の身体の、どこかどうなっているのか。これからどうなっていくのか。それを知ることは、まさに己との対話といえる。健康診断のデータも同じだろう。自分の身体のことをよく知っておけば、自分がどのように老いや病に向き合っていけばいいのかの方策が見えてくる。今を知ることは、確実に未来へとつながっているのだ。

自分が老いたことを知るのは切ないし、老いた後のことを想像するのは苦しい。しかし誰もがそうなる。だったらポジティブなほうがいい。今からそういうコミュニティを用意しておこうと準備することもできる。自分が老いた頃、自分のまちに「北二区」のような集会所があるだろうか。そんな自問から次の地域コミュニティが生まれるに違いない。

こちらは「舌で押す力」を測定するコーナー。高齢になると舌の筋肉が衰えてしまう。(撮影:中村幸稚)

11時のスタートから客足の切れなかった入棺体験。(撮影:白圡亮次)

—棺に入ってメメント・モリ(死を思う)

中劇場の入り口ホールにあたる「ホワイエ」では、メモリアルホール「みよの杜」が提供する「入棺体験」コーナー。

美しい棺が陽の光を浴びている。さらにそのそばに棺が2台置かれ、実際に入って横たわれるようになっている。入棺体験は昨今、「終活」の一貫として全国で展開されるようになった。前もって自分が入ることになる棺を体験しておこうというものだ。

棺に入るなど不謹慎極まりない。そのような意見も当然あるだろう。一方で、「そこに入ってみたい」という人もいる。みよの杜さんによれば、この日に入館した人の數は、ぶっちぎりで過去最高の130人にもなったそうだ。イベントにやってきた人の数がおおよそ500人〜600人なので、4人に1人くらいのペースで棺に入ったことになる。さすがは生老病死の祭典。

劇団たっしゃかにも所属する医師の松田徹先生。医師も患者も棺に入るのは同じだ。(撮影:白圡亮次)

安らかな気持ちで入棺体験する参加者。本当に安らかな顔をしていた。(撮影:白圡亮次)

入棺体験を見ていると、そもそも死はこのように当たり前に触れられるものであったはずだ。(撮影:白圡亮次)

考えてみると、好むと好まざるとに関わらず、棺にはいつか入ることになる。いずれ自分が入る場所なのに、しかしほとんどの人はその「居心地」や「使い心地」を知らない。棺とはそのようなものである。だからシンプルに「知りたい」と思う人が多いのかもしれない。

入ってみると、やはり狭い。蓋を閉められると圧迫感もある。昔一度入ったことのある「酸素カプセル」を思い出した。デビッド・ベッカムが日韓ワールドカップの時に使った、傷の回復が早まるというアレだ。蓋を閉められると意外と心地よい。外からああだこうだ言っている人の声が聞こえる。ああ、おれも死んだらこんなふうに声をかけられるんだな、と思った。

あるお母さんは「入棺体験を楽しみにして来たの。生きている間には、なかなか入れないし、自分も死んだら入らなくちゃ行けない場所だから知ってみたかったの」と語り、あるお父さんは「蓋閉められっちゃうと暗いから、小窓が空いてるタイプのほうがいいな」と話してくれた。あるお姉さんは「自分が入る棺だから生きてるうちに入るやつを決めておきたい」と語っていた。

みんな自由に「死」について考えている。普段はまったく考えない「死」。考えることさえ不謹慎で悲しい「死」が、なぜかこの棺というフィルタを通すと、深刻さがちょっとだけ薄れて「自分ごと」になっていく。みよの杜の担当者の方も「こんなに反響があってとてもうれしい。自分や家族の葬儀について考えるきっかけになれば」と話してくれた。人気があるのも頷ける気がした。

右の棺はデニムで覆われており、宇宙船のような覗き窓がある。人気が高かった。(撮影:白圡亮次)

入棺体験が家族とのコミュニケーションを促すのか、みよの杜さんでは葬儀の生前予約が増えているそうだ。(撮影:白圡亮次)

いごくフェスは、実社会では漂白されてしまいがちな「病、老、死」を覆い隠さない。むしろそれを徹底して表出させていく。社会は「生」ばかりを強調するが、そうではなく、むしろその裏側にあるような「病、老、死」に光を当てる。しかし、フェスに参加した人の言葉を拾い上げていくと、その結果として、病気や老いや死の裏側にある「生」を感じたという人が少なくない。

人は、病や老いや死を考えたくない。しかしそれは確実にやってくる。それをネガティブに考えるか、ポジティブなものとして捉えようと努めるかで、生き方ががらりと変わってしまうということだ。あなたならどうする? どう生きる? 生きる者への強烈な問いが、いごくフェスには存在している。答えは、これからの人生で示していくほかあるまい。

文/小松 理虔(いごく編集部)
写真/白圡亮次、鈴木穣蔵、中村幸稚


公開日:2018年02月08日