朝ごはんを抜いて、そのまま10時くらいになると、猛烈に腹が減って力が抜けてきたり、眠くなったり、なんだか仕事に集中できない、ということがよくある。別に仕事をしている人間だけに限った話じゃない。学校に通う子供たちだって、ご高齢の皆さんだって同じことだ。一日のスタートを、ちゃんと朝ごはんから始められるかどうかで、その日の暮らしの「質」が変わってくる。
高齢者が通うデイサービスセンターなどでも、やはり「朝ごはん」の悩みが尽きないそうだ。朝ごはんを食べて来なかったことを引きずって、利用時間中ずっと横になっている人もいるという。せっかくお金を払って利用するのに、ベッドで寝ていたのでは意味がない。高齢者本人にとっても、サービスを提供するデイサービスセンターにとっても、朝ごはんの存在は、暮らしと福祉の質を上げるために欠かせないものなのだ。
だからこそ、デイサービスを利用する高齢者の家族は、ちゃんと朝ごはんを用意せねばと頑張ってしまう。子供たちの見送りや、お弁当の用意や、自分の仕事の用意をしながら、それに加えて自分の親の介護をしなければならない。高齢者のほうも「家族に負担をかけたくない」と思ってしまう。みんなが「家族を想う」からこそ、ギリギリの状態まで自分を追い込んでしまう。
そして、結果的に、高齢者の朝ごはんが乱れてしまう。それは誰も望んだことではない。家族がお互いを思いやればこそそうなってしまうという悲劇でもあるのだ。みんながギリギリの状態で支え合わねばならない時代の、朝ごはんを食べることの難しさ。そこには、介護が抱える難しさが凝縮しているようだ。
慌ただしい朝。続々と来所する利用者たち。
高野にある「人生の里」。中山間地域を中心に、あちこちから利用者が集まる。
—朝ごはんを支えたい
高齢者の朝ごはんを支えたい。スタッフの、そんなシンプルな思いから、利用者向けの「朝食サービス」を始めてしまった施設が、いわき市高野の里山のふもとにある。一日に30人弱の高齢者が利用する、「人生の里」というデイサービスセンターだ。
朝8時。施設に入らせて頂くと、入り口から少し入ったところの仕切りに「お食事処」の暖簾が下がっている。テーブルも置かれていて、ここが食堂スペースなのだとすぐに分かる。すでに何人かの利用者が朝食をとり始めているところだった。食事はシンプルで、ごはん、味噌汁、そこにおかずが1品か2品。土井善晴先生提唱するの「一汁一菜でよい」というやつだ。朝ごはんは、これで十分。
センターのスタッフが「今朝のご飯はどうですかー」とか「昨日はよく眠れましたかー」なんて声をかけながら、利用者それぞれの薬を用意し、食事が終わると、その薬を飲むように促していく。なるほど、これなら利用者も薬を飲み忘れることがないし、朝ごはんのついでに体調チェックなどもすることができる。朝ごはんは、大切なコミュニケーションの場にもなっているのだ。
朝9時のスタートを前に、「お食事処」で朝ごはん。
こちらは和食。シンプルな朝ごはんが一番である。本当にこれで充分。
和食以外にも、パンがついた洋食もある。価格も180円なら負担も小さく、続けられそう。
朝食が終わると、皆さんそれぞれに奥のホールへと移動し、みんなが集合したのを確認した後で、その一日の活動がスタートする。朝ごはんを食べたお父さんもお母さんも機嫌が良さそうだし、足取りもしっかりしている。取材にやってきた私たちに喋りかけてくれたり、カメラを向けるとピースしてくれたお母さんもいた。朝ごはんが生活にいいリズムをもたらしていることが感じられた。
ご飯を食べ終わった利用者から、朝のお薬タイム。スタッフが声をかけてくれるから飲み忘れなし。
朝ごはんを食べ、薬を飲んで体調が整い、デイサービスでのレクリエーションも充実。好循環が朝ごはんから生まれる。
朝9時、スタッフのあいさつから1日のプログラムが始まる。皆さんお元気そうでなにより!
ー現場のスタッフの「思い」からスタートした取り組み
この朝食サービスは昨年4月から始まった。事前に登録した利用者に対して1食180円で朝食を提供する。和食と洋食があり、ご飯の硬さや塩分なども考慮してくれる。個々人にちゃんとカスタマイズされた上で提供されているのだ。発案したのは、デイサービス主任の兼本まゆみさん。朝ごはんを食べずに来所する利用者の意欲低下や体調不良を憂慮し、このアイデアを会社に提案。すぐに取り組みが始まった。
食事後は、薬を飲むサポートもしてくれる。朝ごはんを食べないことで起きる大きな問題の一つに、この「薬の飲み忘れ」がある。例えば血圧の薬。朝ごはんを抜いたことで薬も飲まないということになり、家族やスタッフが知らないうちに血圧が上がってしまったり、薬の飲み残しにつながったりするそうだ。健康的によくないばかりか、結果的には医療費の増大にもなってしまう。
朝食サービスの提案をした兼本さん。朝食サービスというアイデアは、業界内外で高く評価されている。
「どこのご家庭も朝はバタバタするものです。家族のお弁当の用意や仕事の準備、子供の見送りなども重なります。家族は家族で『できる限りしてあげたいけれど難しい』という思いを抱えていて、利用者は利用者で、家族に負担をかけたくないと思っている。お互いが家族のためを思っているのに、ストレスが生まれてしまう、それはとても悲しいことですよね」
「家庭での介護は、小さなストレスが積み重なって負担が増えることがよくあります。そこで思い切って朝ごはんをもし私たちが提供できたら、家族の負担が減りますし、私たちとしても、利用者さまの生活スタイルを把握できるので小さくないメリットがあると考えました。すぐにゴーサインを出してくれた上司にも感謝しています」(兼本さん)
兼本さんの提案した「朝食サービス」は、施設の上司の理解もあり、すぐにサービスに組み込まれ、センターの看板サービスになった。すると、業界内で、事業の中身や理念も高く評価され、平成28年度の「全国老人福祉施設研究会議」の実践研究発表では「最優秀賞」を受賞した。全国の施設が真似をしたくなるサービスが、このいわきから生まれていたのだ。
ー現場の声を拾うことがよりよい福祉につながる
いくら魅力的なアイデアでも、「面倒だ」とか「何かあったら困る」などと上が判断してしまったらそのアイデアはお蔵入りしてしまう。しかしこの人生の里は違った。現場の意見を積極的に採用し、サービスの拡充に役立てているのだ。
朝食サービス実現の立役者の一人が、兼本さんとともにに取材に答えてくださった大和田施設長。兼本さんの提案を支持し、すぐにサービスをスタートさせた。「初めは新しい利用者の開拓につながればくらいの感じだったんですが、利用者さまの満足度も高まって、サービスを利用して頂く頻度が増えたり、それに伴って施設の稼働率も上がりました。今では、現場をよく知るスタッフたちから様々な提案が上がるようになりました」(大和田施設長)。
施設長の大和田さん。「現場をよく知るスタッフがアイデアを出してくれるので、組織も活性化されてきた」といいます。
福祉の現場では、利用者も、家族も、施設のスタッフも、大勢の人たちが「気を張って」いる。家族だってがんばっているし、スタッフもがんばっている。利用者も利用者で、家族に迷惑をかけたくないと気を遣っている。みんなが「誰かのために」頑張ってしまうかがゆえに、一番弱いところに「しわ寄せ」が集まってきてしまう。誰かの幸せを考えるための福祉なのに、小さな負のスパイラルが生まれてしまうのだ。
大和田さんや兼本さんのお話を伺っていると、そんな「小さな不幸のスパイラル」を解きほぐすために必要なのは、「勇気を持って誰かに任せること」かもしれないと思った。つまり「がんばらなくていい福祉」という選択だ。
高野の自然に囲まれた「人生の里」。里山の暮らしの助け合いが、この人生の里にも受け継がれている。
介護は、介護の対象が自分の親だからこそ「がんばる」という選択肢だけを選んでしまう。息子だから娘だから親不孝したくないと、どうしても思ってしまうものだ。ところが、利用者家族のリアルをよく知る兼本さんは「そんなにがんばらなくていいんです」と言う。
朝忙しいからがんばる、ではなく、忙しいから「任せちゃってもいい」にしていく。すると、まずは家族の負担が減る。高齢者の気遣いが減り、施設は高齢者の状況を把握しやすくなる。朝ごはんを誰かに任せることで小さなポジティブが連環していく。そんな仕組みを作ること。それもまた福祉であるはずだ。
がんばる介護福祉ではなく、がんばらない介護福祉。兼本さんが提案したのは、つまりそういうことだろう。その意味をもう一度噛み締めた時、この「朝食サービス」が、いったい誰に向けて提供されているのかという、このサービスの真価が見えてきた気がした。利用者の家族に向けたサービスなのだ、これは。
広島県では、子どもたちの朝ごはんを学校で提供するという取り組みが始まるそうだ。子育てや介護ではこれをしなければダメ。これをしないと親(子)としての責任を果たしたことにならない。そんな常識やしがらみを一度疑ってみて、そして誰かに任せてみる。これからの時代、そんな思考がますます必要になっていくのだろう。
「がんばらない福祉」とは「適当にやる福祉」ではない。「家族だけががんばらない福祉」のことだ。施設や学校や病院や医療機関や地域のプレイヤーが、ほんのすこーしずつだけ負担をシェアして、誰かだけに押し付けられていた負担を分散させていく。そのために動(いご)く。
ふむふむ。「がんばらない福祉」とは、実は「いごく」の精神、そのものなのかもしれない。
公開日:2018年02月27日