ストップ重症化 介護予防ケアマネ会議


 

健康! リハビリ! 長生き最高! とはいっても、完全無欠の健康状態でポックリ大往生できる人などほとんどいない。誰もがどこかで病気を得たり、筋肉や骨が弱ったり、誰かの助けが必要になったり、治療や通院が必要になったりするものだ。

だから「病気になるな!」「健康でいろ!」も大事だけれど、「なっちまったのは仕方ねえ。それ以上酷くならないようにな」というアプローチも大切にしたい。これを医療福祉の現場では「重症化予防」と呼ぶそうだ(超ざっくりだけど)。

病気になってしまった人、運動機能が衰え始めてしまった人を「寝たきり」などに重症化させることなく、関係機関が連携し、適切なリハビリや治療の方針を共有することで、「それ以上酷くなること」を防ぐ。それができれば、本人や家族の負担だけでなく、病院や施設、自治体や国の負担も減る。病気や老化そのものを防げなくても、その次の段階に「重症化」するのを防ごうというわけだ。

たとえば、ある日、脳梗塞になり、左半身に麻痺が残った。でも、病気の前のように畑仕事がしたいと思ったりする。そこで「農作業なんてもうできませんから寝てて下さい」では、運動機能も認知機能もあっという間に衰え、必要な介護のレベルも、金銭的な負担も増大してしまう。そうなる前に、術後の「初動」の段階で支援を集中させて支援方針を策定し、チームワークで課題解決を図って自立を促す。重症化予防とは、つまるところそのような取り組みである。

いわき市でも、昨年10月から、介護サービスが必要になった人たちの「重症化予防」のため、「介護予防ケアマネジメント会議」というのを週に一度開催しているのだが、この会議がめっちゃヤバい。何がヤバいのかというと、まあとにかくヤバいのだ。これから紹介する。

 

内郷の保健福祉センターで週イチで開催されている会議を取材させて頂いた。

 

この会議には、ケアプランを策定するケアマネージャーや介護施設の担当者が事案を持ってやってくる。会議の会場には歯科衛生士、薬剤師、言語聴覚士、理学療法士、作業療法士、管理栄養士たちに加え、地区の地域包括支援センターがスタンバイし、事案をひとつひとつ検証しながら、専門職の立場から「こうしたら本人の希望を叶えられんじゃね?」ということを提案していく。

たとえば、小名浜に暮らすK男さん(78)は、転倒してヒザを骨折してしまい、その後遺症が原因で、以前のように自由に歩き回ることができなくなり、ゲートボール仲間と合えない日々が続いている。そのせいか、最近は鬱症状も出ていて、デイサービスには来るものの食も細くなってきた。K男さんにまたゲートボールをやらせてあげたい。そのための方策を会議で考えたい。

そんな感じで、ケアマネや施設担当者が課題を提起し、専門家が意見を出す。この繰り返し。

 

ケアプラン作成者が「リハビリによってどの状態までもっていきたいか」などを提起。

 

すると、今度は専門家のほうから様々な質問、提案が飛ぶ。

そもそも転倒した原因はなぜか。家の構造には問題がなかったのか。K男さんが現在飲んでいる薬は適切か。リハビリの方法や時間、あるいは施設で取り組んでいる体操や運動は適切か。ゲートボールの見学だけでも家族が付き添えないか・・・・など。

たったひとつのケースに、これだけの専門家がつどい、毎回4、5ケースは検討し、それを毎週行っている。この熱量のヤバさ!

ひとつのケースを共有することで、専門家同士が自分の領域とは異なる知見を得ることができ、異なる領域の専門家の間につながりが生まれる。現場のケアマネや施設担当者などとも「顔の見える関係」が築かれ、多職種連携の形が生まれると、支援に奥行きが生まれる。

その豪華な顔ぶれに、「一人の人間にこれだけ多くの人が関わっているのか」と驚かされた。

 

専門家から次々と鋭い意見が出される。一人のケアプランをみんなで集中討議。

 

しかし、なぜここまでして、一人の要介護者のケアプランを集中的に、しかも予算をかけて行うのか。それは、「重症化して寝たきりになると、今よりずっとずっと負担が増大するから」だ。水際で重症化を食い止めることが、みんなの負担軽減につながる。それが分かっているから、介護がスタートした段階で連携してケアプランを策定するというわけだ。

まず何より個人の負担が減る。ゲートボールをまたやりたい。歩けるようになりたい。そんな気持ちがあればこそリハビリにも熱が入るというもの。

その効果を最大化するためにこそ多職種の専門家が連携する。せっかくいいリハビリをしているのに、薬が合わなければ回復は遅れるし、飲み込む力が足りなければ食は細る。栄養の足りない食事では心もとないし、家がバリアフリーになっていなければまた怪我をしてしまう。

つまり、一人の要介護者の「暮らし」や「リハビリ」の、あらゆる方向から課題を検討しなければ支援の効果を最大化できないということ。その意味で、介護とはとても社会的なものなのだ。ただ、これまでは、正直なところ横の連携が取りにくく、横断的な支援というのは難しかったようだ。

 

この方は「映画、観劇、演奏会」に参加してみたいと考えている。その思いに寄り添い、支える。

 

症状の悪化を食い止め、生活が自立できれば、家族の負担も減る。家族の負担が減ると家族の笑顔が増える。介護のために会社を休む回数が減る。すると、たまには旅行に行けたりするかもしれない。そしてそのような好循環がさらにリハビリの効果を上げる。生活が自立すれば、デイサービスを利用する回数も減る。より重篤な利用者に限られたリソースを集中させることができるようになる。

すると、介護福祉にかける市の予算の増大を食い止められる。いわき市民が支払う介護保険料や国民健康保険税や市民税が下がるかもしれない。目の前のひとりに向き合い、初動にリソースをかけることで、もしかしたら「重症化」してしまうかもしれない人を水際で食い止めることができる。すると、色々な領域の人たちがハッピーになる。その最初の連鎖を作るために、この会議はある。

 

私たちの知らないところで、このような会議が夜な夜な行われているのだ。

 

高齢者の健康は、ちょっとしたことから大きく崩れてしまう。崩れが大きいから、その崩れは家族にも及び、肉体的だけでなく精神的、経済的負担も増えてしまう。当の本人だって「自分のせいで家族に負担をかけたくない」と思っている。だから無理をしてしまう。その無理がたたって重症化してしまう。誰かが誰かを思うからこそ、介護はより「過酷」になってしまう。そんな面がある。

だからつまり。重症化させない、というのは、介護が必要になった人個人の重症化だけでなく、家族のコミュニケーションの重症化を防ぎ、地域医療や福祉の崩壊の重症化を守り、もしかすると市の財政を守ることになるのかもしれない。

もちろん、こうした会議に出席する医療福祉の担い手たちが疲労困憊になってしまっては意味がない。どうか、介護や福祉に関わる人たちの働く環境が守られながら、専門家の知見や経験が最大化される社会になるようにと祈りつつ、自分たちにもできることを考えてみる。

家族や友人、そして自分の健康。重症化させないように、今自分に何ができるか。それぞれの重症化対策は、間違いなく、地域の誰かの負担を軽くする。その意味で、あなたの健康は、あなた固有の問題でありながら、あなただけの問題ではないということにもなる。

うん。数年前から脂肪肝だと言われているし体重も増えている。こんなことを書いておいて、自分の健康が重症化したらカッコ悪すぎる。気温も暖かくなったし、散歩やジョギングを再開したほうがいいのかもしれない。塩分をもうちょっと意識したほうがよさそうだ。ラーメンにチャーハンをつけるのを金輪際やめとこう。小さな決断だけれど、それもまた「重症化予防」。立派な社会貢献なのだ。

 


公開日:2018年04月28日