専門医から「家庭医」の時代へ


 

体の具合が悪い。病院に行かねば。

そんな時、日本ではまず、内科、外科、皮膚科、整形外科、耳鼻科など、それぞれの診療科ごとに自分の症状を当てはめ、そこに診察に行くというのが普通だと思う。お腹が痛ければまず内科。おしっこの調子が悪ければ泌尿器科だし、運動中に足を捻ったら整形外科、というように。

ところが、こういうスタイル、実は世界ではあまりメジャーではない。欧米やアジア諸国では、「家庭医(総合診療医とも呼ぶ)」というスタイルが普及している。頭が痛くても耳が痛くても、体が痒くても下痢でも、体の不調があれば、まずは「家庭医」がいるクリニックで診てもらい、家庭医の先生が、「うむ、この場合は耳鼻科だ」「このケースは胃腸科だろう」と判断し、その後の専門医につなげるというスタイルなのだ。

 

一般社団法人日本プライマリ・ケア連合学会が運営する総合診療医ウェブサイトより引用

 

この家庭医、様々なメリットがある。

住民にとっては、自分の健康のあらゆる困りごとを相談できる「かかりつけ医」を持つことができる。内科は内科の先生に、耳鼻科は耳鼻科の先生にと分けずに済むし、おじいちゃんから子供まで、家族の健康をトータルでサポートしてもらえるのは心強い。

専門医にもメリットがある。専門医と家庭医で役割分担ができるようになるからだ。軽微な症状であれば家庭医が診察し、専門医は重篤な患者や、より専門的な診察が必要な人たちにリソースを注力できる。役割分担が進めば、必要のない診察を減らすことができ、医療費負担の軽減にもつながる。

自治体にとっても、家庭医がいれば地域全体の健康状態を把握しやすい。診療科が分かれると、一人の健康を把握するための情報が分散してしまう。家庭医のところに行けば、その地域の人たちの健康状況が分かるというのは、地域の福祉の向上にもつながる。

また、家庭医は「在宅医療」とも関わりが深い。遠くの大病院から先生が巡回するのは難しくても、地域に根付いた家庭医なら「看取り」もできる。家庭医の存在は、人生の最期を自宅で迎えるという選択肢を増やすことにもなるのだ。

かつての日本では、いわゆる「町医者」が、その地域の人たちの健康を支えた。いごくでも、以前、中山クリニックの中山元二先生を取材したときに、中山先生も「これから日本の医療はかつてあったような姿に戻っていくのではないか」という趣旨のことを話してくれていた。

これまでの日本では、増加する人口や新たな病気・疾患に対応するため、臓器別の専門医療を推し進めてきた。それぞれの診療科ごとにスペシャリストを育て、研究を重ね、それは医療の発展を大きく後押しもしてきた。しかし、高度に高齢化が進んだ現代、それに応じて医療も変わらざるを得なくなってきている。そんな時代の変化が、「家庭医」に再び光を当て始めているのだ。

 

スパリゾートハワイアンズを会場に開始された家庭医たちのカンファレンス

 

−家庭医たちが、自ら学び合う

そんななか、家庭医の普及を目指す医師らが一堂に介し、それぞれのケースや知見を持ち寄り、お互いに学び合おうというカンファレンスが開かれた。集まったのは、東北や北海道で家庭医に関わる医師、およそ40人。日本プライマリ・ケア連合学会の丸山泉先生、地元福島で家庭医療に力を入れている福島県立医大 地域・家庭医療学講座教授の葛西龍樹先生ら、国内を代表する医師や研究者に加え、数多くの現役医師が出席した。

カンファレンスで印象的だったのは症例の共有だ。特に、地元いわきで家庭医の普及にあたっているかしま病院のケースでは、医師の石井敦先生が87歳の男性に扮し、妻と一緒に病院を受診し、医師から腹部に大動脈瘤があることを告げられる、というシーンを自ら演じるという劇仕立てになっていた。その動画を見ながら、医師たちは、言葉の掛け方は適切だったか、家族にはどのように対応すれば良いのか、診察は正しいものだったのかなどを考えていく。

 

かしま病院の医師、石井敦先生が87歳の老人を演じ、それをもとにディスカッション

 

どのように家族とコミュニケーションを図り、信頼を得れば良いのか。医師たちが意見を交わす

 

家庭医療に力を入れているかしま病院の中山文枝先生もディスカッションに参加

 

ディスカッションで、現役の医師から出てきた言葉の多くが「コミュニケーション」に関係するものだったことは、家庭医のなんたるかをはっきりと言い表していたと思う。医師にとって当たり前の言葉でも、目の前の一般市民にとっては、大きな不安を掻き立てられたり、理解を超えた言葉になってしまう。「病気」や「症状」ではなく「人」を診るということだろうか。

それに、病気からくる不安といっても、それは「手術を受けるだけの経済的余裕がない」という不安かもしれないし、「家族内での人間関係に悩みがある」という不安かもしれない。その人のこれまでの歩みや人生観なども、病気をどのように受け止めるかに影響してしまうだろう。病気の名前は「大動脈瘤」でも、人によって受け止め方は様々だということだ。

つまり、目の前の患者や家族に徹底して向き合い、不安を少しずつ取り除けるようなコミュニケーションをしなければ、日常に根付いた家庭医としての信頼を得ることは難しいということかもしれない。模造紙に書き出された言葉をみると、その問題意識は、参加した多くの医師に共有されているように見えた。それがとても心強かった。

 

家族の問題にいかに肉薄するか。人と向き合う真の「医学」がここにある

 

かしま病院理事長の中山大先生も積極的に意見交換されていた

 

福島県立医大の葛西先生(左)、日本プライマリ・ケア連合学会理事長の丸山先生(中)、北海道家庭医療学センター理事長の草場先生(右)による鼎談も

 

−家庭医のいる地域づくり

とはいえ、このような「家庭医」のシステムも、私たち医療を受ける側が、その価値を認め、「それが必要だ」と思わなければ普及しない。例えば、ちょっと具合が悪いだけなのに大病院に行って3時間も待ってしまったり、何でもかんでも「共立」や「医大」では、システムは普及せず、専門医たちは、自らの専門性を発揮することもできない。

まして、いわきは、医師の不足など、地域医療の課題が多いと言われている。新しく完成する大きな病院に依存することなく、「家庭医」のシステムを中心に、医療のあり方を、私たちもの意識を含めて変えていく、そんな横断的な取り組みが求められているのだろう。まずは、私たちがコミュニティの一員として「家庭医」を認め、活かすところから。

縮小していく社会では(いや、そのような社会だからこそ)、ある一つのモデルを追いかけるのではなく、多様な人生を認め合い、それぞれが豊かに人生を全うできる社会を目指す必要がある。でなければ、そのモデルから漏れた人を不幸にしてしまうからだ。その意味で家庭医とは、私たちの老いや死の選択肢を広げてくれる存在のように見える。

これは同時に、私たちの生き方が、医療を変えることができるということでもある。私たちが生死の選択肢を増やそうと思えばこそ、家庭医療が普及していくからだ。上からの医療政策に縛られる生き方ではなく、私たちの生き方や死に方から医療を作っていく。その意味で、家庭医とは、主体的な医療を、私たちの人生に取り戻すためのシステムなのかもしれない。

 


公開日:2018年09月13日