川前の心意気に酔いしれる


 

いわき市の西の端、川内村との境目に川前町という町がある。いわき市平から車で小川へ入り、さらに夏井川渓谷を小野方面に走らせて30分ほどだ。夏井川の美しい川沿いの狭い道を抜けていくと、やがて小さな集落が見えてくる。街全体が山に囲まれた、人口およそ1,100人の小さな町である。

 

なんとも味のある川前。駅前だけでなく、それぞれの地区それぞれに味がある

 

いわゆる「限界集落」。中心部から見れば「僻地」とも言えるだろう。実際、この町の人口は減り続け、高齢化も進み、若い世代の多くが市内の中心部に移り住んでいる。広い広いいわき市。一度も川前の地に降り立たずに人生を終わらせてしまう人だっているかもしれない。

が、意外にも列車ならJR磐越東線で1本。いわき駅を出て赤井駅、小川郷駅、江田駅、そして川前駅。30分も揺られてりゃあ着いてしまう。ディーゼルエンジンがうねりをあげながら山の線路を駆け上がっていく様は、鉄っちゃんでなくてもテンションが上がってしまうだろう。30分はあっという間だ。

そんな川前町で、先日、とある食のイベントが開催された。

 

大にぎわいの駅前屋台村。想像以上!

 

川前駅前イルミネーション駅前屋台村! 

川前駅前に特設の居酒屋ブースを立ち上げ、地元の母ちゃんたちがフル稼働でつまみを供給し続け、電車でやってくるお客を存分にもてなし、川前の魅力を知ってもらおうじゃないの! というイベントである。

ちょうど夕方の5時50分にいわき駅を出る列車に乗ると、川前到着は6時半。帰りの列車は川前を8時50分だから、およそ2時間半、ゆっくりと駅前屋台村を楽しむことができるというわけだ。いいじゃんいいじゃん!

いわき駅から川前に向かう人にとっては、電車から飲み会を始められる。電車で30分の一次会、イルミネーションを見ながら、母ちゃんたちと語り合いながら2時間半の二次会、そして、帰りの電車では30分、贅沢な余韻に浸りながらいわき駅へと帰ることができる。

なんだよこれ、控えめにいって、最高じゃん!

 

 

というわけで、編集部は川前に向かう!

 

えっ? 磐越東線ってボタン押すの? というベタなリアクションをとる編集部、猪狩

 

山道をモリモリと進んでいきます

 

夕日が沈む頃、川前駅に到着

 

到着すると、駅前にできた仮設の屋台は修羅場になっていた。川前ではこの数年見たことがないほどの人だかりができ、お客のテンションが上がってみなさん思い思いに注文を頼むもんだから、厨房の母ちゃんたちはてんやわんや。しかしのその喧騒が「活気」となって町に溶けていく。

何より空気がうまい。そして、空が美しい。会場から少し歩いて、夕暮れ時の夏井川を見る。

ストロングの缶チューハイをグビッと飲みながら、腹の底に溜まっていた息を吐き出す。隙間が空いたところに、この美しい、しばらく吸い込んでいなかったような空気を吸い込み直す。そしてまた、川の流れをぼんやりと眺めながら、吐き出す。

 

調理場はまさにてんやわんや

 

テントに入り切らなかった人もまったりと時間を楽しむ

 

偶然みたいな美しい空。加工なし

 

夏雨を、集めて美し、夏井川

 

最高かよ・・・・。

ストロングゼロの酔いに身を任せながら、少しだけ余裕ができた屋台へと向かう。母ちゃんたちは相変わらず動(いご)きまくっていた。右手に握った菜箸でフライパンのソーセージを転がし、返す刀で唐揚げを油から引き上げていく。たまに冗談を言い合ってビールを注ぎ、「ダメだぁ、これ、注文間違ってっかんねー」なんてダメ出ししながら、絶え間なくやってくる注文をさばく。

つまみは、唐揚げとソーセージで十分。そりゃあ、欲を言えばおひたしとか、川前の母ちゃんたちが普段食ってるようなもんを食いてえな、とか思うけれど、外から来てくれた人にできる限りのおもてなしをしようという母ちゃんたちを見てると、それだけでうれしくて、いいですよいいですよ、これで十分ですよって気持ちになる。

 

つまみなんてなんだっていい。母ちゃんたちの声が聞こえれば

 

どんなプロジェクションマッピングよりも美しいイルミネーション

 

目の回るような忙しさだが、母ちゃんたちが見事に捌ききる

 

辺りは暗くなっても、お店のなかはまだまだ熱いままだ!

 

その土地には、その土地を愛する人たちがいる。そこで、できるだけ長く、最期の瞬間まで生きたいという人たちがいる。山間の過疎の町は、都会から見たら「お荷物」みたいに見えるかもしれない。けれどもそこには、何百年という営みを繰り返して来た人たちが、強く、確かに存在している。

現実は厳しい。これからもこの地区の過疎化や高齢化はますます進んでいくのだろう。町はさらに老いてゆく。しかし、よりよく老いていくことはできるはずだ。例えば、今夜の屋台村みたいに「交流人口」を増やすとかもそう。人と交わり、支え、支えられて老いる。

そうした活動によって川前に移住しようという人がたとえ生まれなかったとしても、こうして電車に乗ってやって来てくれる人が10人でも20人でも増えて、川前のことに関心を持ってもらう。そうそう、ばあちゃん家に行くみたいにさ。それでいいのではないか。

 

どの町も、どの暮らしも、すばらしい

 

生ビールを少し飲み、この町の行く末をぼんやり考えた。町は、一人で老いてはいけない。この町にあったもの、この町の美しいもの、なんというか、この町の生き様の「種」のようなものなら、受け継ぐことができる。だから、町は、種を飛ばそうとしなければいけない。誰かが受け取ってくれることを信じて。

帰りの電車が遠くからやって来た。ぼくは、川前の何を受け取ったのだろう。いや、受け取ったのか受け取れなかったのか、酔ってしまってそれすらわからない。けれど、また来ようと思っている。娘を連れて、ディーゼルエンジンの列車に乗ろう。夏井川のそばを歩き、また夕日を見ながら、まったりと過ごそう。この空気を、お腹いっぱいに吸いこもう。

 

都市部の暮らしでは見えないものが見えてくる川前

 

街道沿いの寂れ具合もまた愛おしく思える

 

イベントは、7月と8月、都合4回開催された

 

娘が大人になる頃は、川前はどのような地域になっているだろうか。案外、しぶとく生き残っているような気がする。そこに暮らしたい、そこに関わりたい、たまに酒でも飲みに行きたい、そんな風に、地域に根づいた強い思いと軽薄な思いが重なる地域は、多分、しぶとい。

人も、人生も、きっとそうだ。しぶとく、あれがしたい、これがしたいと、老いていく。

磐越東線を走るディーゼルの列車の車窓から街が見えてくる。酒が飲みたい場所が、また一つ増えた気がした。それは、親戚や友人が一人増えたようなものかもしれない。聞けばこの駅前屋台村、今年の10月と12月にも開催されるそうだ。また会いに行こう。2両編成の、この小さな列車に揺られながら。

 


公開日:2018年08月23日