いごく的福祉=あろうと。様々な生きにくさがあろうと、困難や喪失があろうと、その人らしく生きるには。あろうとコラム第1回は、いつだれkitchenで提供されている、とある「麺」についてのお話です。
あろうとコラム vol.1 謎のうま麺、しおさい麺
平の上荒川に完成したコミュニティ食堂、いつだれkitchen。評判ですよね。美味しいですよね。母ちゃんたち、いつもうまい家庭料理を食べさせてくれてありがとう!! な、ん、だ、け、れ、ど、食材が少しずつ足りなくなってくる営業時間後半になると、たまに隠し球が出てくるときがあるのを、君は知ってるだろうか!
それがこれ。なんかの麺。謎のうま麺。
いやあ、うまいの。でも謎。とにかくなんかの麺なのは分かる。うどん? ラーメン? よくわからない。たまにいろんな太さの麺が混じってることもあるから余計に謎麺。
しかーし、その謎麺、一口食べりゃあ、こりゃあタダモンじゃねえわってことがすぐわかる。強めのコシ。そして滑らかな喉越しがいい。何だろう、小麦粉がぎゅっと凝縮して磨かれている感じ。つるつるっと喉奥に吸い込まれていくのである。だからいつもいつだれに行くと「あの麺、今日は出ないかな」と恋い焦がれているわけだが、まだ「母ちゃん、あの麺食わしてよ」と気軽に言えるほどこの店に溶け込んでいない。。。。ぐぬぬ。
とろみのついた中華炒めと一緒に「中華まぜそば」にするときもあれば、その時に適当に余った材料を乗っけた謎麺が出てくる時もある。母ちゃんにめんつゆもらってそのままうどんとして食べることもある。何気に、いつだれ名物。
なんだろうこの麺、どこのだれが作ってんの? オラ、気になって仕方がねえぞ。
-謎のうま麺を追って
ということで、いごく編集部、調べました。教えてもらいました。行ってきました。そして食べてきました! 紹介しよう、この麺、小名浜にある「ワークセンターしおさい」というところで作られている麺なのだあぁぁぁっ!
な、なにぃぃぃ!? 小名浜で麺といえば、チーナンの入り口に伝統の木箱がドッカと置いてあることで知られる諸橋製麺じゃねえのかよ! と衝撃を受ける人もいるかと思いますが、いつだれスタッフの指示通りに行ってみると、清流・小名川が静かに流れる閑静な住宅街に「ワークセンターしおさい」がありました。
お、おはようございますぅーっと少し遠慮気味に中に入らせてもらうと、室内には、まずウエス(工場などで使われる拭き取り用の布)の工房が広がっていました。スタッフの方の説明によると、ワークセンターしおさいのメインの仕事が、この工業用ウエスの製造と製麺。ウエス工房の奥に製麺工房があるそうだ。
センターの奥のほうに、ありましたありました、製麺工房。すでに機械が動いており、ちょうど、出てきた麺を計量して袋詰めするところでした! 話を聞くと、毎日日替わりで4名のスタッフが製麺を担当し、そのほかのスタッフは隣でウエスを作るとのこと。
製法は至ってシンプル。全国各地のうどん屋で使われている製麺機に決められた量の小麦粉と水をぶち込み、こねこねして整形しては機械でプレスし発酵。発酵させたら薄く伸ばし、また機械にかけて麺に仕上げていく。
見てますとね、決してみなさん、手際がいいわけじゃない。量を計るのに時間がかかる時があるし、複数の作業を効率よくチャチャチャっとやっているわけでもない。けれど、真剣に計量して、まじめに作っていて、気持ちが込められているのが見ていてよくわかった。
脇では、パッケージデザインが現在進行形で進められていた。うどんや中華麺のパッケージにイラストを描くのだ。描かれているのは、イラストとも言えないイラスト、塗り絵とも言えない塗り絵。それらは皆、「作品」とはいえないかもしれないけれど、とにかく個性だけはしっかりと閉じ込められていて、塗り方、筆圧、筆の方向、色合い、レイアウト、ほとんど同じものがない。
なんだろう、まだ形として整えられる前の、表現の根っこみたいな感じの絵。誰かに評価してもらいたいとか、これこれこんな意図があるんだぜ、みたいなものが一切ない。描きたいからそこに描く。そこにあるのはシンプルな思いだ。
そばの棚を見ると、うどんを入れた袋に巻かれるのを今か今かと待っている包装紙たちが何枚も箱に入れられていた。うどんを作るよりも、パッケージが作られる方が圧倒的に多い。そのアンバランスさが、なんだかとても心地よかった。
改めて紹介するまでもないと思うけれど、この「しおさい」には障害のある人たちが通所してくる。つまりここは世間的に「福祉事業所」である。でも、ぼくたちは彼らを支援する仕事についているわけでもなく、ケアマネでも医師でもない。ただの消費者だ。麺を買いに来ただけなので、この場所は福祉事業所というよりは普通に製麺所だったし、彼らは麺の職人でしかなかった。
皆さんまじめに没頭するからすべての工程をしっかりやり遂げる。それゆえに麺には小麦粉本来のコシや喉越しの良さが生まれる。一方、彼らにはどうしようもない「こだわり」や「苦手なもの」もまた存在している。それゆえ少しだけ不揃いな麺も生成されてしまう。
けれども、まさにその「不揃い感」こそが、絶妙な「噛み心地の違い」や「のどごしの違い」を生み、口の中に心地良さを残してくれるのかもしれない。機械を使っているのに均質化されない。それこそが、この「しおさい麺」のうまさの秘訣だな、ぼくたちの社会もそうありたいな、と思った。
さてこの「しおさい麺」。社会福祉法人が運営しているがゆえに、バリバリの営業マンがいるわけではなく、あちこちに大量に流通しているわけでもない。じゃあ、このうどん、普段はどこでさばいてるのよ、売れなかったら在庫になっちゃうじゃん!
不思議に思って「在庫の麺はどうしてるんですか?」と聞くと、なんと、この「しおさい麺」を使ったうどん屋があるらしい。マジげ! 行ぐべ!
ジャーン! こちらがですね、植田町の天真庵!
福祉業界的に言わせると「就労継続支援B型」の事業所にカテゴライズされるけれど、いや、どう見ても普通のうどん屋である。普通のうどん屋すぎる。超絶いい。名前の「天真庵」は天真爛漫の「天真」である。いやあ、さっきは確かにみんな天真爛漫だったもんな、と妙に納得しながら入店。
店の中は、はい、ほんとたまりません。古き良き町のうどん屋。うどん屋って今時の建物じゃなくていいんです。年代の感じるテーブル、適度に使い込まれた畳、メニューはおしゃれにデザインされてない、ただスタッフが自前のプリンタで印刷したものがいいし、そのほうが圧倒的にくつろげる。
いやあ、とても普通だ。
皆さん、たしかに、水を出したり、注文を取ったりするのは少しゆっくりだけど、別に普通に注文して、普通に受け応えがあって、そして、普通にうどんが来る。うどん屋さん、それ以上でも以下でもない。至極真っ当である。
さあ、注文したうどんが来たぜ!
ズバズバ、ズビ、ハフッ、ふーーーっ、ズズズズ、ハフ、ハハフ、ふぅぅぅぅ! しばし誰もが言葉を失い、したたかに頬張って飲み込み、一同、笑い始める。
ふ、ふつうにうめえwww
とにかく噛み心地がいい。そして喉越しもいい。体が、当たり前のように吸い込んでいく。圧倒的に研ぎ澄まされたダシ感もなければ、高級食材を使っているわけでもない。しかし、「町のうどん屋」に求められている「普通にうまい」を極限まで実現している、その奇跡。
いやあ、この食後の満足感たるや。しばし言葉を失い、汗をぬぐいながら水を飲み、余韻に浸るが如く、余ったスープを飲み干す。
いやあ、食った。うめえうどん食った。よし、午後もがんばろう。
その体験に、障害の有無も何もない。あるのは、うまいものを食えた満足感と、それを作ってくれた人たちに対する感謝だけだった。その代わり、「障害者を支援している」というような高揚感もないのだけど、いやあ、まあ、とにかくうどんがうまかった。
普通にうどんはうまく、障害があろうとなかろうと関係ないと思えた。じゃあ障害ってなんだろう、みたいな問いが、満腹の腹のなかにぼんやりと浮かび上がる。
このうどん屋では、彼らを「障害者」だとは思わなかった。けれども、じゃあすべて「障害なんて関係ないじゃん」「支援なんて必要ないじゃん」って言えるかというとそうではない。ぼくらが当たり前にできることが、彼らにとっては困難なものになり得るからだ。この店の外に出れば彼らは困難に直面するかもしれない。やはり合理的な配慮や支援、理解しようとする姿勢は必要だと思う。
なぜ配慮や理解が必要なのかといえば、彼らにとっての困難を作り出しているのは、ぼくたちのほうかもしれないからだ。普通が「当たり前」であるほど、その「普通」すらできない彼らは、健常者に比べて劣った人たちのように見えてしまう。ぼくたち圧倒的マジョリティが無意識に考える「普通」や「常識」が彼らを苦しめているかもしれない、それこそが「障害」の正体かもしれないのだ。
いや、そういうぼんやりと規定された「普通」や「常識」は、障害の有無に関係なく、色々な人たちを縛っているような気もする。普通の母親、普通の父親、常識、規範、男らしさや女らしさみたいなもの。普通が何かを問うたこともないのに、それを持ち出したりしてしまう。
普通の側に立つぼくらは「普通」の何が問題になっているのかなんて考えもしなかったけれど、一方、彼らにとってはぼくらの「普通」こそが障害になっている、のだとすれば、彼らが感じる障害を通じてしか、ぼくたちは自らの「普通」を問うことができない。
こうして麺を喰らい、彼らと接してみると、もしかしたら、ぼくたちのほうが、意識しないうちに誰かの困難を作っているかもしれないよなとか、いつの間にか加害者になって誰かを傷つけているかもしれないとか。だから、知る必要があるし、やっぱり素人なりに考える必要はあるよなあ、みたいなことを、水を飲みながらひとしきり話して、ぼくらは店を出た。
あとでいつだれkitchenに確認したら、あの謎うま麺、しおさいさんのご好意で「寄付」されたものだそうだ。だからたまに太さの違う麺が入っていたのかもしれない、と気づいた。それを「隠し球」だの「あとで食わせてくれ」だのと卑しい目線を向けていた自分が恥ずかしくなった。けれど、まあ、それでもうまい麺は食いたいので仕方がない。
これからも、麺を食いながら「普通にうまい」の「普通」の意味を、何度も噛み締めて考えていかなければならないのだろう。本人が捨て去ることのできない生きづらさは、医療や福祉のプロフェッショナルな支援で向き合うほかないけれど、社会の側にある障害や偏見なら、ぼくたちにも取り除けるはずだから。
といっても、具体的なアクションはなにも思いつかない。またここで、あるいはいつだれで。食べながら考え続けるしかないのだろう。とにかくまずは、あの味のあるイラストが描かれた「注文用紙」をもらいに行くことだな、とぼくは思った。
文・小松理虔(いごく編集部)
information
ワークセンターしおさい
所在地:福島県いわき市小名浜諏訪町1丁目の10
電 話:0246-73-2077
種 類:就労継続支援B型
運 営:社会福祉法人 誠心会
公開日:2019年12月23日