再生と回復、発見と想像の旅

いごくツアー2019振り返り


 

いかなる困難があろうと、失われてしまった何かを抱えていようと、人は、そして地域は、喪失を抱えながらも新しい自分を見つけることができる。再生と回復、そして発見と想像の旅、「いごくツアー2019」が2019年の年末に開催されました。2泊3日の旅程で浜通りを旅するのは、埼玉県立不動岡高校の有志30名。なぜ今、ふくしまを旅するのか、なぜ今、いごくを旅するのか。その答えを探しに、いごくツアーの様子を振り返っていきます。

再生と発見の旅「いごくツアー2019」は、2019年12月26日から28日まで3日間にわたり行われた研修旅行。埼玉県立不動岡高校の生徒を迎えて昨年から開催されています。福島県のホープツーリズム「ふくしま学宿」の一環で開催されており、3日間のツアーのうち初日と3日目を、いごくチームがコーディネート。2日目を、福島県観光物産交流協会がコーディネートしています。

昨年のテーマは「死からの逆走」というものでした。いごく名物の「入棺体験:死んでみること」から始まり、最期を迎えんとする後期高齢者の介護と暮らし、介護が始まる世代の介護と暮らし、高齢者にカテゴライズされながらもまだまだ元気にだれかを支えられる世代の地域づくりへと、年代を逆走するように、「いごく的地域づくり」を体験してもらいました。

今年のテーマは「リハビリ・リカバリ・ディスカバリー」。多くの困難や喪失から、人は、地域は、いかにして再生できるのか。困難や喪失をどのように受け止め、周囲は、社会は、どのように彼らを支えられるのか。人が生きるとは、死ぬとはどういうことなのか、地域の再生や復興とはなにか。震災と原発事故を経験した浜通りだからこそ問いが深まる、そんなツアーを目指しました。

 

まず、3日間のコースをおおまかに紹介しておきます。

1日目
①コミュニティ食堂「いつだれkitchen」にて食事と見学
②入棺体験と、僧侶2人を招いての模擬葬儀
③特別養護老人ホーム「サニーポート小名浜」にて被介護体験と高齢者体験
④かしま病院にて、いわき市失語症友の会の皆さんとの交流
⑤現役言語聴覚士を交えたリハビリに関する講習
⑥好間北二区集会所「ばばあ食堂」にて夕食
⑦いわき湯本温泉「古滝屋」にて振り返り

 

2日目
①いわき湯本温泉「古滝屋」にて振り返り
②いごく編集部、猪狩、江尻、小松が参加してのトークセッション
③昼食を挟み、葛尾村へ移動し、葛力創造舎の下枝浩徳さんによる葛尾バスツアー
④葛尾村開拓民の第2世代を交えた講演
⑤葛尾の母ちゃんたちと夕食づくり
⑥葛力創造舎の下枝浩徳さんによる講話
⑦葛力創造舎のゲストハウス「ZICCA」にて夜空を楽しみつつ焚き火

 

3日目
①ゲストハウス「ZICCA」にて朝食
②いごく編集部小松のガイドによる国道114号&国道6号バスツアー
③広野町、福島県立ふたば未来学園高校にて演劇ワークショップ
④昼食を挟み、いごくツアー振り返り演劇上演会

見て下さいよ、この大人でも知恵熱が出そうな濃厚なツアー。体験、体験、体験、問い、問い、観光、体験、問い・・・と、畳み掛けるように体験と思考が繰り返されます。いわきの医療・福祉・介護・地域包括に関わる多くの皆さまにご協力頂き、最高のツアーになったと自負しています。この場を借りて御礼申し上げます! ありがとうござました。

 

いごくツアー、まずは死んでみる

さあ、前置きが長くなりましたが、ツアーを簡単に振り返っていきましょう。

いつだれkitchenにバスが到着(撮影:江尻浩二郎)

 

初日は、いわき市平の「いつだれkitchen」からツアーが始まります。コミュニティ食堂とはいったいどんな場所なのかを感じてもらうべく、母ちゃんたちの最高の手料理でおもてなし。都会っ子たちは、母ちゃんたちの作る滋味深い料理から何を学び取ってくれたでしょうか。きっと、「食」が持つ根源的な「人をつなげる力」を感じてくれたに違いありません。みんな、ほんとうにうまそうに料理を平らげていました。

 

いつだれスタッフ森さんのあいさつ(撮影:小松理虔)

 

母ちゃんたちの手料理に舌鼓(撮影:江尻浩二郎)

 

放送部の生徒たちは、キッチンの住人にもしっかりインタビューしていました(撮影:小松理虔)

 

食事の後は、いつだれの入っている施設「あらたな」の中にある就労移行支援事業所「ソーシャルスクエア スポーツ」で入棺体験です。最初に行われたのが、いごくフェスでも協力頂きました株式会社ルクールの全面協力による「模擬葬儀」。不動岡高校の藤城友昭先生に“死んで”頂き、実際の葬儀と同じ手順を踏みながら、死装束の着付けや入棺までのプロセスを見せて頂きました。

藤城先生のあの世への旅支度が整うと、続いては、いわき市平の名刹、菩提院と九品寺、2カ所の寺院から霜村真康さん、遠藤弘道さん、二人の僧侶にお越し頂き、贅沢すぎる読経が始まりました。お香の香りと煙の漂う空間での読経。みんなで唱えた「南無阿弥陀仏」は、生徒たちに鮮烈な記憶を刻むとともに、これから始まる「生と死と想像の旅」のスイッチを押してくれたはずです。お二人からは、浄土宗が「死」をいかなるものとして捉えているかのありがたい説教も頂きました。

 

株式会社ルクールの社長、金成肇さんから入棺の手順について解説(撮影:小松理虔)

 

スタッフのキビキビとした動作。ひとつひとつの所作に意味があります(撮影:江尻浩二郎)

 

引率の藤城先生の旅支度が整いました(撮影:江尻浩二郎)

 

旅支度が整ったところで、いわきが誇るW坊主 in da house、マイカフォンチェック南無阿弥dub ! (撮影:小松理虔)

 

お香の香りと煙も手伝って神妙な空間に(撮影:江尻浩二郎)

 

最後はみんなで南無阿弥陀仏をお唱えしました(撮影:江尻浩二郎)

 

ここで「死んでみる」ことが、旅に「想像のスイッチ」を入れてくれるのです(撮影:江尻浩二郎)

 

バエる遺影で「いいね!」をゲットできる涅槃スタグラム(撮影:江尻浩二郎)

 

高齢者のカラダと介護を「一人称」で体験

続いて一行が向かったのは、小名浜にある特別養護老人ホーム「サニーポート小名浜」。ここでは3つの班に分かれて、「車椅子お風呂体験」、「オムツ体験」、「高齢者の一人称体験」の体験学習を行いました。

まずお風呂班ですが、サニーポート小名浜には、なんと「車椅子に乗ったまま入れるという、最先端のお風呂があります。そこで、選ばれし女子生徒たちが車椅子に乗り、お風呂を介助する側/される側、両方の立場でお風呂を体験しました。車椅子に乗っての入浴で感じたのは、気持ちよさだけではなかったはずです。

オムツ体験も、つける側/つけられる側の両方を体験します。人の身体をどのように動かせばスムーズにオムツを履かせられるのか。実際オムツをつけられるというのはどんな感じがするのか。1リットルの水を含ませたオムツを履いて歩くのは、どんな感覚なのか、現役の介護職員からレクチャーを受けつつ体験します。

高齢者一人称体験は、動きを制限するサポーターを関節につけ、視野を狭くするアイマスクを装着して、高齢者のカラダを一人称で体験するもの。床に落ちた何かを拾う、階段を下りる、あるいは新聞や広告を見る。「じいちゃんばあちゃんってこんな世界に生きてたんだ」。世界の見え方が変わるプログラムです。

3つのプログラムは、いずれも現役の介護職からのレクチャーを受けながら進められます。人を支えるということはどういうことなのか。支えられるというのはどういうことなのかを体験できる、すばらしいプログラムになったはず。今までぼんやりとイメージしていた介護が、よりヴィヴィッドに感じられたことでしょう。

 

お風呂班。車椅子に乗ったまま介助・被介助を体験

 

車椅子で入るお風呂、湯加減はどうでしたか?

 

機械浴も体験しました。人生初の体験になったはず!

 

最初はオムツをどこにセットしてどうつければいいかすら分からなかった生徒たち(撮影:小松理虔)

 

人の体をどう傾ければ、どう動くのか。他者への想像力なしに介護はなし得ません(撮影:小松理虔)

 

昨年に続いてツアーに同行したライターの前川あずささん(左)と、先ほどの入棺体験では死んで頂いた藤城先生(右)(撮影:小松理虔)

 

まずは高齢者の身体を「身につける」ためのスーツを着込んでいきます(撮影:江尻浩二郎)

 

地面に落ちたものを拾うのがこんなに辛いなんて・・・・(撮影:小松理虔)

 

広告の字、何も見えねえ・・・・と「一人称」で体験する生徒(撮影:江尻浩二郎)

 

いごく編集部の江尻も体を張って体験します(撮影:小松理虔)

 

おいおい押すな! と江尻。押す側も、押される側に対する想像がやはり求められます(撮影:小松理虔)

 

おやつは「ペーストの」お好み焼き。管理栄養士の加藤すみ子さんが調理。いごくツアー何事も徹底してます(撮影:小松理虔)

ようこそ、言葉なき世界へ

さらにその後、鹿島町の「養生会かしま病院」に移り、いわき在住の「失語症」のみなさんとの交流プログラムを行いました。言語聴覚士であり、ことの木リハビリステーションうちごう代表の大平裕太郎さん、かしま病院で言語聴覚士としてリハビリに当たっている相澤悟さん、坂東竜矢さん、そして、いわき市失語症友の会のみなさんの協力を頂きました。

大きなリハビリルームに集められた生徒たち、目の前にいる人たちが失語症であることは知らされず、「いわきの地元の人にインタビューすべし」と課題を与えられています。お名前は? 出身は? お仕事は? と質問しても、すぐに言葉が出てくるわけではありません。最初は自分たちの置かれた状況に戸惑っていた生徒たちですが、いつの間にか、身体を乗り出すように言葉を聞き取ろうとしたり、ジェスチャーを交えたり奮闘しながら、なんとかしてコミュニケーションを図ろうしていきます。

ひとしきり悩み抜いた生徒たち、20分ほどのインタビューで聞き出したことをグループごとに発表すると、名前、出身、おおまかな経歴や好きなこと、趣味など、意外にも多くのことを聞き出していました。その後、3人の言語聴覚士から今回のワークショップの「種明かし」や、失語症とは何かについてのレクチャーを受け、さらに学びを深めていきます。

 

失語症をほとんど知らないまま、生徒たちによる「インタビュー」が始まりました(撮影:小松理虔)

 

文字では伝わるかな? と、あの手この手で答えを引き出そうという奮闘が続きました(撮影:小松理虔)

 

ほとんど何も聞き出せない。けれどもこの体験が3日目の演劇ワークショップで花開くことを彼らはまだ知らない(撮影:小松理虔)

 

苦労しているテーブルには、言語聴覚士の相澤さんが強力サポート(撮影 :江尻浩二郎)

 

すべての感覚を総動員しながらコミュニケーションを図っていきます(撮影:江尻浩二郎)

 

少しずつ特技や趣味を聞き出し、テーブルの上に「折り紙」が乗ったグループ(撮影:江尻浩二郎)

 

言語聴覚士の大平さんもグループに混じり、学生たちに多くのヒントを与えて下さいました(撮影:小松理虔)

 

言語聴覚士の坂東さんからは「障害ではなく人を見る」ことの重要性が語られました。坂東さんいわく、専門学校や大学などで「失語症とは何か」を先に学んでしまうと、いざ失語症の人が目の前に現れた時、「失語症の人とのコミュニケーション」を取りがちになるといいます。何も知らない高校生たちのほうが、失語症を知らないがゆえに、目の前の人そのものに向き合える、そんな希望があるんだと坂東さん。その言葉は、高校生たちにもきっと届いたはずです。

さらに大平さんからも、リハビリとはなにか、コミュニケーションとはなにか、ということについてお話を頂きました。コミュニケーションとは、なにも「言葉だけ」を介して行われるわけではないこと、それでも思いや意志を共有できるのだということ。熱を込めながら語る大平さんの言葉に、生徒たちも真剣な表情で頷き返していました。生徒たちのフレッシュな感性とプロフェッショナルたちの知識と熱意が羨ましいまでに共鳴する、最高のワークショップになりました。

 

対話すべきは障害ではなく「人」なのだという坂東さん(撮影:小松理虔)

 

大平さんによるリハビリの話。編集部もとても勉強になりました(撮影:江尻浩二郎)

 

コミュニケーションとは「何かを共有すること」だという大平さん(撮影:江尻浩二郎)

 

濃厚すぎるコミュニケーションの時間。ありがとうございました! (撮影:江尻浩二郎)

 

愛と狂乱のヤッチキ

夜は、いごくファンの皆さんならご存知、好間北二区集会所での「ババア食堂」で生徒たちをおもてなしです。好間北二区は、地域の母ちゃんたちが地域の高齢者の皆さんを食で支えようと奮闘している地域。ふだん集会所で地域の高齢者に振る舞われている絶品料理が生徒たちに提供されました。

この日のメニューは集会所に似つかわしくない「絶品スープカレー」。専門店のようなスパイスと旨味が効いたカレーに、生徒たち思い切り舌鼓。サラダスパゲッティもご飯も山盛りで、胃袋がはちきれそうになります。

食事の最後には、いごくクルーとババアたち、生徒たちも輪になって「ヤッチキ」の輪踊りです。三和のヤッチキ保存会の母ちゃんたちとつながった北二区ババアたち。昨年秋に行われた「北二区カカシ祭り」でもヤッチキを踊るほど、今いわきでもっともヤッチキづいています。この日の夜は、いごく編集部に所属するヤッチキ探求家、江尻浩二郎と結託。高校生たちを巻き込んでの狂乱の踊りとなりました。

居ても立ってもいられない江尻、「右、左、(手を)叩いて腰!」と、踊りの動作を叫びながら指南しつつ、ヤッチキの真骨頂である卑猥極まる歌詞(べッ◯ョ等)についてもかなり詳細にレクチャーしていました。高校生たち、熱出しちゃうんじゃないかしら・・・・。ヤッチキとは、本来こんなふうにして、あちこちで踊られていたのかもしれません。踊る前と踊った後では、なんだか母ちゃんたちと生徒たちの距離がぐっと縮まっていました。

 

お待たせしました。北二区ババアの時間です(撮影:小松理虔)

 

絶品スープカレー。残さず食べよう! (撮影:江尻浩二郎)

 

生徒が食事中に、部屋の外で怪しい衣装に着替えさせられる人たち(撮影:江尻浩二郎)

 

まずはババアと先生たちがヤッチキの模範演舞(撮影:小松理虔)

 

いわきが誇るエンターテイナーたちのパフォーマンスに成す術なく笑う生徒たち(撮影:江尻浩二郎)

 

右、左、(手を)叩いて腰! の掛け声がこだました(撮影:小松理虔)

 

奔放に性を歌うヤッチキ。生きることの喜びがそこにはある(撮影:小松理虔)

 

いごくのグッドデザイン賞金賞受賞もお祝いしてもらいました! (撮影:小松理虔)

 

まじめに、ふまじめ。その理由は?

2日目は、朝から振り返りのワークショップ。

不動岡高校の藤城先生のナビゲーションのもと、レゴブロックを使ったアイスブレイクから、いごく編集長の猪狩、わたくし編集部の小松と江尻も加わっての振り返りです。いごくがどのようなプロセスや理念で制作されているか、なぜいごくが「まじめにフマジメ」を掲げた活動をしているのか、地域のどのようなものを面白がるのか、専門家ではない普通の市民にできることとは。様々に脱線しながらも、高校生たちと有意義な対話の時間を楽しませてもらいました。

また、宿泊で大変お世話になった、いわき湯本温泉「古滝屋」のご当主、里見喜生さんからも、震災を受け、なぜ今のような地域サロンのような温泉宿に変化したのかなどについてお話頂きました。里見さんからのお話、生徒たちにも深く刺さったようです。ありがとうございました!

 

今の気持ちや学びを「レゴブロック」で表現しつつアイスブレイク(撮影:江尻浩二郎)

 

いごく編集長の猪狩が、いつもの調子でゆるくレクチャー(撮影:江尻浩二郎)

 

里見さんからも、経営者としての責任や地域への思いについてお話いただきました(撮影:江尻浩二郎)

 

300人からの村づくり

一行はこのあと葛尾村へ移動し、福島県観光交流課と福島県観光物産交流協会が展開する「ふくしま学宿」のプログラムに入っていきます。

まずは、現地で精力的に村づくりを行っている葛力創造舎の下枝浩徳さんのガイドする葛尾ツアーや体験プログラムが行われました。到着するや、除染土の仮置き場を視察。現状や課題についてお話頂きつつ、葛尾村の「開拓」の話なども伺いました。かつてここにあった暮らし、文化や歴史、そして今なお続く暮らし、失われた暮らし、原発事故があったからこそ見直されている暮らし。まさにその「暮らし」の目線で村と復興について学びを深めました。

その後、生徒たちは地元の母ちゃんたちと晩飯を作り、みんなで食事を取りました。さらに、下枝さんからの講話のあと、下枝さんの運営するゲストハウス「ZICCA」に宿泊。私たちは別の場所に宿泊したので様子を伺い知ることはできませんでしたが、生徒たちからは「焚き火がエモすぎた」との感想が多くありました。思い出に残るようなチルでエモい夜を過ごしたようです。

下枝さんの講話では、なぜ村づくりを精力的に行っているかについて、その思いや狙い、理念などについてお話頂きました。その大きなテーマが、かつて村に当たり前にあった「結い」の心。下枝さんは、その結いの精神を現代にアップデートさせたいと考えています。その結いこそ、葛尾の古くて新しい価値になるのだと。熱のこもったお話に生徒たちも感情をゆさぶられたようで、講話の後はたくさんの質問が飛び交っていました。

初日に「個人の」喪失や障害、そこからの回復や共生について体験した生徒たち、2日目のテーマは原発事故がもたらした「地域の」喪失や復興について考えを深めてもらいました。個人の回復、地域の再生。そこに共通点はあるのか。いやむしろ同列で語れないものがあるのか。生徒たちは、復興と村づくりの「リアル」な現実や楽しみにも触れつつ、さらに答えの出ない問いの中に没入していくようでした。

 

忌憚なくホンネで語ってくれた下枝さん(撮影:江尻浩二郎)

 

原発事故「前」にも長い歴史があることを、下枝さんから学ぶ生徒たち(撮影:小松理虔)

 

開拓民第二世代の方からの講和。村の歴史を学びます(撮影:小松理虔)

 

臆することなく質問をしていく生徒たちに、学びへの意欲があふれていました(撮影:小松理虔)

 

葛尾のお母さんたちと夕食づくり。ここから「エモい」夜の始まり(撮影:小松理虔)

 

3日目の朝も、最高の朝飯。下枝さんと塩ジャケを焼きます(撮影:江尻浩二郎)

美しい村の空と山、川、そして空気から学んだことも多いはず(撮影:江尻浩二郎)

想像力は、いかなる力を持ちうるのか

さあ、最終日のメインプログラムは、ふたば未来学園高校の演劇ワークショップです。同校は全国有数の演劇の強豪校であり、劇作家の平田オリザさんが深く関わり、演劇のプログラムが部活動だけではなく学校教育に取り入れられていることでも知られています。

いごく編集部は、以前から、いごくツアー最終日には想像力を総動員した振り返りを行ってもらいたいと考えていました。初日に「失語症と非言語コミュニケーション」を体験することになったため、「最終日はふたみらで演劇ワークショップ」と心に決め、演劇部顧問の斎藤“かなつん”夏菜子先生にお願いし、企画を練ってきました。

結論から言えば、期待通り、いや期待以上に感動のフィナーレを迎えることができました。演劇部の皆さん、かなつん先生、気持ちよく学校を使わせて頂いた校長先生、当日にも様子を見に来て下さった副校長先生、本当にありがとうございます!

 

まずはかなつん先生から、ふたば未来学園高校の成り立ちなどから含めて導入(撮影:江尻浩二郎)

 

カタヨセヒロシさんによるストレッチから3日目のプログラムが始まりました(撮影:江尻浩二郎)

 

シアターに入るといきなり葬儀の演劇が始まりました。そこに巻き込まれていく不動岡の生徒たち(撮影:江尻浩二郎)

 

ワークショップでは、まず、即興演劇集団「ロクディム」のカタヨセヒロシさんが中央に入ってのストレッチ。自分の身体の重さや、関節がどこまで曲がるかや、力をどこまで抜けるかなんてことを、私たちは考えてきませんでした。自分の身体なのに知らないことばかり。カタヨセさんは、じっくりと自分の体と向き合いながら体を温める動きを、生徒たちに促していきます。

そして、かなつん先生が指示を出しつつ、身体を存分に使ったワークショップへ。「完全に脱力して死体になってみる」、「その死体を引っ張ったり動かしたり、芸術作品にしてみる」、「肘から下の動きだけで引きこもりの友人を外に出す」など、言葉をほとんど使わずにコミュニケーションする課題を与えていきます。

印象的だったのは、3人一組になって歩き回るワークショップ。先頭と最後尾の生徒は目をつぶり、真ん中の操縦役の生徒がナビゲーションしていくのですが、前後の2人は目が見えません。真ん中の生徒を信頼できないと動きがぎこちなくなってしまうし、真ん中の生徒も、前後の2人の懸念や恐怖感を感じないと、どんどん突っ込んでいくことになってしまう。全員前を見ているのでアイコンタクトもできない。言葉も出せない。そういうなかで拠り所となるのは他者への想像力だけです。

 

脱力して「死体」を演じる生徒。脱力の難しさを体感(撮影:江尻浩二郎)

 

脱力しているだけに、信頼関係ができていないと死体を演じることができません(撮影:小松理虔)

 

肘から下の動作だけで、コミュニケーションは成立するのか! (撮影:小松理虔)

 

初めての演劇ワークショップにも、感度良く対応していく生徒たち(撮影:江尻浩二郎)

 

ぶつからないように、拳の力だけで3人が動いていきます(撮影:小松理虔)

 

真ん中の生徒は、前後二人に対する想像力が求められます(撮影:小松理虔)

 

言葉に頼らず身体を使ってコミュニケーションしてきた生徒たち、いつの間にか互いに信頼が生まれたのでしょうか、午後の振り返りはとても活性化しました。8つほどのグループに分かれ、車座になって話し合い、模造紙に互いの気づきをメモし合いながら、「この旅で一番印象に残ったできごと」を5分ほどの劇にしていくのですが、与えられた20分という時間で、しっかりと劇に仕上げてくれました。

そしていよいよ上演会。あるグループは、失語症ワークショップでの衝撃を、あるグループは葛尾で見た満点の星空を、あるグループはみんなで踊ったヤッチキを、それぞれ劇にしました。構成も演出も台詞も、もちろん生徒たちが自ら考えていきます。

 

まずは学びを言語化していき、劇の中身を決めていきます(撮影:小松理虔)

 

葛尾での夜の焚き火を再現したグループ(撮影:江尻浩二郎)

 

失語症ワークショップが最大の学びだったというグループ(撮影:江尻浩二郎)

 

好間で思い出に残ったヤッチキを、葛尾村でも思わずやってしまったというグループ(撮影:江尻浩二郎)

 

印象的だったのは、失語症ワークショップを演じたグループ。実際の交流会では、失語症の方の特技を聞き出そうとした結果、その方が「カラオケ」が得意だと言うことを知った生徒。実際にはスマホを使って演歌を再生し、その音楽に乗って男性が歌を口ずさんだのですが、上演会で生徒たちが歌ったのは、演歌ではなく現代のJポップだったのです。

ワークショップで感じた「失語症の人は話せないのに歌を歌える」という驚きを、同じように再現するのではなく、実際に歌われた演歌ではなく、生徒たちが日常的に歌っているJポップを鍵に作品を組み立てることで自分たちに引き寄せて考えてもらう。「虚構」の力を借り、形を変えて表現していたわけです。まさに「演劇」が誕生した瞬間でした。

このグループ以外のグループも、さまざまな「演出」を使って、皆で共有できるよう学びの形を変えようとしているのが伝わってきました。通常のワークショップでは、言葉を磨き上げ、カテゴリ分けしながらあくまで「言語」としてアウトプットしていきますが、演劇の場合は、他者と向き合い、グループ全体で一つの作品としてアウトプットしなければなりません。その体験は、生徒たちにとても新鮮なものとして映ったはずです。最後の最後に、コミュニケーションとは何なのかを、生徒たちは考えたことでしょう。

ツアーには、不動岡高校の生徒に混じって、ふたば未来学園高校の生徒たちも数人参加していました。いつの間にか友情を築き上げていた彼ら。最後の劇が終わり、記念撮影する頃になると、緊張が解けて感情が押さえきれなくなったのか、涙を流しながら旅の成果を喜び合い、別れを惜しむ生徒たちが何人もいて、わたしたち大人も感動させられました。ほんとうに素晴らしい3日間でした。

 

演劇を通じて、コミュニケーションの本質を体感し、学んでいく生徒たち(撮影:江尻浩二郎)

 

今回のツアーは、ふたば未来の学生との「交流」でもありました(撮影:江尻浩二郎)

 

最後のグループが葛尾の夜空をスマホで再現するという最高のフィナーレでした(撮影:江尻浩二郎)

 

想像すること、共有すること、発見すること

今年の「いごくツアー」のテーマは、リハビリ・リカバリ・ディスカバリー。障害や福祉や介護、地域の復興を通じて、個人と地域の「回復」について考える旅でした。なぜそのテーマにしたのかといえば、浜通り以上に適する場所はない、それこそ浜通りを旅することの価値だと考えたからです。

初めからそれを確信していたわけではありませんでした。3日間の蓋を全部開けてみなければ何が出てくるかはわからなかったのは私たちも同じです。私たちは、ツアーの企画者ではなく、むしろ伴走者でした。一緒に学んだわけです。今こうして振り返れば、この3日間は私たちに多くのことを教えてくれたように思います。それは、以下のようなことです。

いかなる困難があろうとも、元どおりになることは難しくとも、私たちは新しい自分を作っていくことができるはず。その回復は、根源的に、新しい自分の「発見」が伴うものである。しかしその発見は、自分ひとりでなし得るものではなく、他者との関わり(コミュニケーション)のなかでこそ見つかる。そこで求められるのは、やはり想像力なのではないか。それを実感するツアーとなりました。

専門的な授業を行って介護や福祉の知識や情報を伝えたわけではないので、いますぐに役に立つというものではないと思いますが、生徒たちは、私たちの想像以上に色々なものを吸収し、埼玉に持ち帰ってくれたはずです。いつの日か、自分が困難を抱えたり、大切な何かを失ったりしたとしても、「ああ、あのとき、あんなことを学んだなあ」と思い出す日が来て、今回の学びが力になったら、ツアーを企画した人間としてそれ以上の幸せはありません。

前回もそうでしたが、彼らのフレッシュな学びを観察して心動かされ、自分たちの使命や現在位置を確認するのは大人である私たち。今回の旅の企画に力を貸して下さったプロフェッショナルに、ポジティブな何かを生徒たちは残してくれたはずです。

私たちは、それを糧に、またいわきで「いごいて」いくだけです。生徒たち、本当にありがとう。そして、今回のツアーに協力して頂いたすべての皆さん、ありがとうございました。このツアーに関わってくれたすべての人たちに、感謝とビッグリスペクトを込めて、グラッチェ。

 

レポート:小松理虔(いごく編集部)

 


公開日:2020年01月10日