回復は他者との「あいだ」にある

文 前川あずさ


 

昨年末に開催された「いごくツアー2019」。すでにこのサイトで振り返り記事をアップしましたが、あくまでその文章は、企画を作った「いごく編集部目線」のものでした。では、実際にその旅に参加した人は、どのような思いで3日間を過ごしたのでしょう。参加者から2本の旅のエッセイが届きました。初回は、前回のいごくツアーを哲学科の大学生として参加した前川あずささんのエッセイをご紹介します。

いごくツアーは、2019年12月26日から28日まで3日間にわたり行われた研修旅行。福島県が展開する「ふくしま学宿」のプログラムとして、埼玉県立不動岡高校の生徒を迎え、昨年から開催されています。今年のテーマは「リハビリ・リカバリ・ディスカバリー」。多くの困難や喪失から、人は、地域は、いかにして再生できるのか。困難や喪失をどのように受け止め、周囲は、社会は、どのように彼らを支えられるのかを考えるツアーでした。

1日目
①コミュニティ食堂「いつだれkitchen」にて食事と見学
②入棺体験と、僧侶2人を招いての模擬葬儀
③特別養護老人ホーム「サニーポート小名浜」にて被介護体験と高齢者体験
④かしま病院にて、いわき市失語症友の会の皆さんとの交流
⑤現役言語聴覚士を交えたリハビリに関する講習
⑥好間北二区集会所「ばばあ食堂」にて夕食
⑦いわき湯本温泉「古滝屋」にて振り返り

2日目
①いわき湯本温泉「古滝屋」にて振り返り
②いごく編集部、猪狩、江尻、小松が参加してのトークセッション
③昼食を挟み、葛尾村へ移動し、葛力創造舎の下枝浩徳さんによる葛尾バスツアー
④葛尾村開拓民の第2世代を交えた講演
⑤葛尾の母ちゃんたちと夕食づくり
⑥葛力創造舎の下枝浩徳さんによる講話
⑦葛力創造舎のゲストハウス「ZICCA」にて夜空を楽しみつつ焚き火

3日目
①ゲストハウス「ZICCA」にて朝食
②いごく編集部小松のガイドによる国道114号&国道6号バスツアー
③広野町、福島県立ふたば未来学園高校にて演劇ワークショップ
④昼食を挟み、いごくツアー振り返り演劇上演会

前置きが長くなりました。前川さんのエッセイ、じっくりとご覧ください。

 


 

回復は他者との「あいだ」にある

文:前川あずさ

 

年もまたいで、いざニュートラルな気持ちで “あの3日間” を振り返ってみると、思わず「あれはなんだったんだろう」というつぶやきが口を衝いて出てしまう。埼玉県立不動岡高校の2019年「ふくしま学宿」はそんな、不思議で濃厚な旅だった。いい意味に曖昧で、だけど間違いなくビビッドで、その混沌としたインパクトについ、すんなりと満たされそうになってしまうのだ。

12月26日から28日までの3日間、福島県のホープツーリズムとして行われたこの「ふくしま学宿」、今年のテーマは「リハビリ・リカバリ・ディスカバリー」だった。ひとや地域が経験した “喪失” をいかに回復していくか、あるいは “喪失” がいかに回復されていくか、という問いを考えるのが全体の主題だ。旅の初日と3日目はいわき市のいごくチームによる「いごくツアー」、2日目は双葉郡葛尾村でのフィールドワークと交流体験、という構成になっていた。

初日はいわき市平のコミュニティ食堂「いつだれkitchen」の昼食からスタート。続く入棺体験で “死んでみた” あとは、サニーポート小名浜でで”老いてみる “体験”。かしま病院で「失語症友の会」のみなさんとの交流を経て、いごくではおなじみ好間北二区集会所の “ババア食堂” でスープカレーとヤッチキをおなかいっぱいにいただいた。

2日目の午前中は、宿泊したいわき湯本の「古滝屋」でいごく編集部を交えた振り返りワークショップ。昼食を取ったあと、双葉郡葛尾村へ向かった。雪の降り始める中、村内のフィールドワークと「開拓」期のお話を聞いたあと、地元のお母ちゃんたちと作ったカレーで夕食。葛尾村の宿泊施設「せせらぎ荘」で振り返りをし、おとなたちはせせらぎ荘に宿泊、生徒たちは民泊「ZICCA」で “エモい” 夜を過ごしたようだ。

最終日の3日目は、双葉郡広野町のふたば未来学園高校で演劇のワークショップ。演劇部よる “葬儀” の演劇空間から始まり、死体を演じるワークショップなどを経て、最後にはグループごとに分かれ「この旅でいちばん印象的だったできごと」をテーマに劇を演じた。旅の中で目にしたもの、耳にしたこと、関わったひとびと、動かされた感情、3日間の体験がみんなの手で一気に “再演” されてゆく光景は、間違いなく圧巻だった。

 

 

あえて淡々と旅程だけを綴ってみても、改めてこの旅の濃厚さに驚かされる。私はツアーの主人公ではなくいわば目撃者だったが、未だにその濃すぎる時間の全てを受け止めることができない。とにかくものすごかった、自分自身のその感覚だけで完結してしまいそうになる。それでもやはり、誰でもない誰かのために、私の感じたこの旅を語れるようにはなりたい。「あれはなんだったんだろう」は、そんな文脈から生まれたつぶやきだ。

事前に大まかに聞いていた旅のストーリーは、1日目に「個人レベル」の喪失と回復と向き合い、2日目は対象を「地域」へと拡大してゆく、そして3日目はそれらを受けてのアウトプット、という筋書きだった。辿り着きたいのは、「喪失や困難を抱えながらでも、ひとや地域は回復し再生していける」というステイトメントだと想像をして、そうだとしたら、そこに私たちを導いてくれるであろう複数の体験の中に、共通して存在しているものを見つけたい、と思った。つまり、ひとの回復と地域のそれを相似形で捉えてこそ分かる “回復” の本質的な部分を考えたかった。

実際、いわきでの「いごくツアー」の中でも、葛尾村に滞在していたあいだも、常に肌に感じていたのはある種の “明るさ” だった。触れているのは、死ぬこと、老いること、あるいは病むこと、弱ること、失うこと、そういうものたちのはずなのに、最後に残るのはほとんど必ず、いま生きていること、これからも生きていくこと、の強さだった。

たとえば、入棺体験。実際に “死んで” いただいた不動岡高校の藤城先生に、六文銭の入った頭陀袋を提げてあげるとき、「 “あの世” で落としてしまわないように」、という解説のことばがあった。そのとき私はなぜかとても泣きそうになって、それは “死んだ” はずのひとに対して慈しみ深く「動詞」が使われたからだった。もう動かないひとを主語にして使われる動詞には大きな違和感があって、でも同時に、大きな力があった。そうして生きている人たちが亡くなった誰かを語るからこそ、その誰かはこの世のうちに、生き続けられているんだ、ということを思った。

 

 

サニーポート小名浜での体験学習で「オムツ体験」をしたときも、それに似た感覚を味わった。オムツをつける側とつけられる側のどちらも体験したのだが、そもそも他人のからだに触れる、他人の手に触れられる、ということに慣れず緊張した。

一方で、どちらの立場のときも、相手が心地悪くないようにお互いがお互いを慮っているのを強く感じた。からだは普段、自分と他者とを境界付けるものとして機能していて、その境界に接して互いをケアする(介護される側も、介護する側を意外と “気遣って” いる)とき、小さく張り詰めつつも必ずある深い「配慮」が、自分のからだを生かしてくれるような気がしたのだった。

他者のことばのうちに、他者による配慮のうちに、ひとりのひとが生かされてゆく感覚。かしま病院での「失語症友の会」の方たちとの交流は、その感覚をいちばんに感じ取った時間かもしれなかった。今私が綴っているような「言葉」以上に、あの場には相手を生かすための「ことば」が飛び交っていた。自分を伝えたい、あるいは相手を知りたい、双方向に向いた思いが、たとえば音楽や、折り紙や、からだによる身振りを「ことば」に選んだのだ。その瞬間にあったのはただ、純粋で対等な分かち合いだった。

1日目の夜、眠れない頭の中に響いていたのは、ことば、からだ、ことば、からだ、という二語の連鎖だった。言葉ではなくことば、身体ではなくからだ。死んでみたり老いてみたり、聴いたり話したり、食べたり、はたまた踊ったり、多彩すぎるほどの「いごき」をプレイバックすると、自然とそのふたつが浮かび上がった。紛れもなく他者と関わるためにある言葉、一方で他者を隔てるためにあるこの身体、だけど本当に他者と共にいたいと願うとき、言葉と身体は必然的に重なり合って、補い合って、それぞれことばとからだとして機能する。

その現象が、私にはとても新鮮で魅力的に映ったのだった。実は私たちを関わらせているものはとても曖昧なことに気づいて、それは孤独なことなのか、それとも関わりにとってのポテンシャルなのか、問われるとしたら躊躇いなく後者を答えたくなった1日だった。

 

 

いごくツアーの手触りを残したまま向かった双葉郡の葛尾村では、「回復」を個人から地域へと広げて考えるのが狙いだった。東日本大震災、原発事故の影響を受けながらも、進み続ける村の姿を目の前にする。『葛力創造舎』代表の下枝さんのアテンドのもと、葛尾村での時間を過ごした。その中で、不思議と記憶に残ったのは、「震災からの復興」という物語ではなく、その夜に見た満天の星空や、翌朝の美しい朝焼けだった。そして何よりも、高校生たちが生き生きと葛尾を満喫している「いま」の光景だった。

葛尾村を出発したバスの中でそれまでの旅をぼんやりと反芻しながら思ったのは、どんな文脈があろうと、何か傷に似たものを持っていようと、それらとは全く独立したところに否定しようのない「らしさ」がある限り、他者はそこに関わることを諦められない、ということだった。

都心ではとても臨めない星空や、生徒たちが宿泊した「ZICCA」で行われていたという焚火は、そういう類の「らしさ」だったと思う。それだけは失わずにいて、訪れたひとがそれに惹かれずにはいられないからこそ、その地域が廃れることなくひとびとの思いの内に生き続けられるのだと、そう感じた。

最終日となる3日目は、双葉郡広野町のふたば未来学園高校で、演劇を用いたワークショップだった。演劇部による “葬儀” の演劇空間に足を踏み入れるところから始まり、ストレッチで身体をほぐす。3人1組で前のひとの肩に手を置いて列になり、真ん中以外の2人は目をつぶって室内を歩いてみたり、自分自身の人生を想像しながら歩き続けて生まれてから死ぬまでを演じてみたり。ペアになって交互に “死体” を演じるワークショップでは、自分のからだが最期に行き着く状態を味わった。肘から先だけを使ってコミュニケーションを図るというのも、難しく面白かった。

昼食をはさんだ午後には、いよいよグループごとの “演劇づくり” に臨む。「この旅でいちばん印象的だったできごと」をテーマに順番に5分ほどの劇が上演されてゆくのだが、それらを見ていて、私の中で何かが腑に落ちた気がした。何がと強いて言うならば、私が1日目の夜に感じていた、私たちを関わらせるものの曖昧さ、だった。

 

 

多くのグループが、自分たちなりにピックアップした3日間のハイライトを物語的に演じてみせていた。それは “演じる” 以上に、“再現する” とか “再演する” 意味合いを多く含んでいた。旅の中で出会った人たち、関わった人たちをも自分たちの役として取り込んで、自らがその立場になっていまこの場所に再現する。そのときの文脈や情緒を観ている人に伝わるようにいまこの場所で再演する。3日間を振り返って、その中の体験や感情を伝えるために行われたのは、“re-action” とでもいうべきものだった。

文字通りの再現、再演であると同時に、体験したこと、吸収したことへの “リアクション” そのものだった。そのことを伝えてくれたのは、舞台の上のそれぞれの役者の、ことばとからだ、そのものだった。私たちを関わらせるものに曖昧さがあるからこそ演劇のような表現が可能になり、観客はいまここではない場所の体験や感情を受け取ることができるのだということを、強く実感した。

私たちを関わらせているもの、媒介しているものは曖昧で、私はそれを関わりのポテンシャルとして捉えたい、と1日目の夜に思った。3日間を終えてそれは確信へと変わって、むしろその曖昧さがあるからこそ私たちは孤独にはなれないのだ、とさえ思った。

 

 

旅の前に抱いていた、「回復」の本質的な部分を見つけたいという思いもそこへつながる。いごくツアー、葛尾村での時間、そして演劇というアウトプットを経てひとつ強く思ったのは、回復は他者との「あいだ」にある、ということだ。自分の内側だけで行われるものでもなく、あるいは逆に他者や外部の力だけで遂げられるものでもなく、ただ自分と他者との「あいだ」に、回復はある。

他者が訪れ、自分自身もまた他者へと開いたとき、喪失や受傷で終わっていた物語が再び綴られ始める。今回の、不動岡高校の「ふくしま学宿」は、その力が生まれる「あいだ」という場所に、ひとつひとつ触れることのできた旅だったと思う。

帰りのバスの中で、生徒ひとりひとりがマイクを回して感想を話していくのを聞いていた。何人かの生徒たちが、「先入観を持つのはよくないと思った」とか、「先入観が怖いと思った」ということを話していた。それだけ、「対象を純粋にそれとして見ること」の大切さ、対等であることの尊さを感じることが多かったのだろうと思う。

他者との「あいだ」に触れるというのはつまりそういうことで、関わりがゆがみやひずみなく純粋に関わりとして機能するときにこそ、たとえば「回復」のような何かを起こす原動力が生まれるのだということを、私たちに教えてくれた。喪失からの回復、他者との関わりを、到底ほかにない仕方で実体験することのできた崇高な旅だった。

 

 

前川 あずさ(まえかわ・あずさ)
1996年生まれ。聖心女子大学文学部哲学科卒。人事・給与業務のアウトソーシング企業勤務。哲学の視点から物事を捉えた執筆活動を行う。

 


公開日:2020年03月09日