在宅医療 現場の連携のその先へ


いわきは「医療崩壊地域」などと言われている。確かに34万人もいる市なのに医師の数は足りていないようだし、大きな病院も決して多くはない。そんなわけで何か大病を患えば隣県の病院へ行く人も少なくない。このあいだのいわき市長選でも、医療福祉政策や共立病院問題は重要な論点だった。生老病死。人の一生で免れることのできない「四苦」の苦しみを、いくらかでも和らげるために医療や福祉は存在する。どうもいわきは、「四苦」を少しばかりダイレクトに感じなければいけない土地のようだ。

しかし、そこで働いている人たちは、「いわきって医療崩壊してんじゃん」と市民から言われたら、どんな風に感じるだろう。「そうだよね」と認める人もいるかもしれないし、「おれたち超がんばってんのに!」と思う人もいるかもしれない。いずれにしても、政治的な「大ナタ」が振るわれることばかりを期待してもいられないし、今いる人たちで、今ある環境のなかで、何とか底上げできるものから底上げしていくしかない。そんなところかもしれない。崩壊しているからこそ、そこに生まれるものも、またあるのだ。

今回紹介する「いわき市在宅医療推進のための多職種研修会」も、絶望に生まれた希望といえるかもしれない。この会は、医療や福祉の現場に関わるさまざまな人たちが一堂に会し、「在宅医療」について考える会。7月9日に行われた2回目の研修会を見学させてもらったのだが、60名を超える医療・福祉関係者がグループに分かれて座り、付箋にアイデアを書き合ったり、テーマに沿って議論を深めたりしている様に率直に驚かされた。そして、皆さん真剣に「在宅医療」の底上げを図ろうとしているのが伝わって来た。

医療福祉関係者によるプレゼン。課題や問題意識を共有していくプロセス。

恥ずかしながら、いわきの医療福祉関係者が、こんな取り組みをしているとは知らなかった。「医療崩壊」という言葉ばかりを聞かされていたからかもしれない。しかし、目の前に広がっているのは、崩壊とは真逆の景色だった。市民の分からないところで、こうして現場の人たちが学び合い、連携を模索しようとしているという事実。それは大きな驚きだったし、まさに希望のように思えた。

 

―いわきで求められる、在宅医療の充実化

在宅医療とは、医師や看護師、理学療法士などの医療従事者が、患者の住まいを訪問して行う医療活動のことを指す。「外来」「入院」に次ぐ第三の医療とも呼ばれ、医師が訪問して診察や経過観察を行う訪問診療、看護師が訪問してケアを行う訪問看護、理学療法士や作業療法士が行う訪問リハビリテーションなどが含まれる。

自分らしい普段の生活を維持しながら、住み慣れた環境で療養できるのが何よりのメリット。それによってもたらされる精神的な安定も療養に大きな効果をもたらす。しかし、今のいわきの医療・福祉サービスは、まだまだ「在宅療養」に適した体質にはなっていない、ということなのかもしれない。現場の多くは縦割りで、業種や会社が異なると交流も少なく、患者の情報や、それぞれに抱える課題をまだ充分に共有できていないからだ。

関係者がそれぞれのテーマに従ってアイデアを出していく。付箋の多さに真剣度の高さを感じた。

参加している医療福祉関係者の本気度の高さを、いかにして患者の家族や市民に伝えていくか。

立場も職場も違う参加者たちは、このようにして、いわきの地域医療の構築のための研鑽を重ねている。

在宅医療は、1人の患者に対して複数の人が関わる。医師、看護士、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、ケアマネージャー、歯科衛生士、薬剤師、栄養士、ヘルパー、さらには自治体の相談員など。それぞれが得意分野を発揮しながら、1人の患者の療養を図らなければならない。患者の状態、特性や性格、病歴などを共有できないと、それぞれの対応がバラバラになってしまう。だから「在宅医療」と「連携力強化」はワンセット。縦割りでは、質の高いサービスは提供できない。

今まで「常識」とされてきたことも、職種や業界が違えば「非常識」だということもある。領域の異なる人たちとの情報交換が、問題突破のきっかけになることもあるだろう。自分だけだと思っていた悩みや課題のなかには、共通することも多くあるかもしれない。しかし、実際に会って腹を割って話してみないと共通点も見えてこない。そんなわけで、この勉強会は開催されている。

―在宅医療とは、地域づくりそのもの

しかしちょっと待って欲しい。当然、在宅医療は医療関係者だけの努力で成り立つものではない。家族の協力があって初めて受け入れられるものだ。24時間、医療関係者が家にいてくれるわけではない。大半の時間を、普段通り家族と過ごすことになる。食事や服薬の世話まで家族がサポートしなければならないケースもあるはずだ。だから、在宅医療は、もしかしたら「家族とは、家族の死とはなんぞや」というような問いを、再びわたしたちに投げかけることになるのかもしれない。

そして、また、在宅医療は自分の暮らす「地域」を、さらに認識するきっかけになっていくだろう。平で在宅医療を受ける人に、わざわざ勿来の施設のヘルパーや、小名浜の理学療法士がやってくるのではあまりに効率が悪い。だから、平の患者さんは平の医療福祉関係者が、勿来は勿来の関係者が、というように、地域内の連携を強化していくことになる。だから、在宅医療は、私たちにとって「地域とはなんぞや」という問いも、投げかけていくことになりそうだ。

地域づくりでいわきを救う、のタイトルが印象深い。

私たちは、在宅医療を通じて、「生きること」や「死ぬこと」、あるいは「家族とは何か」や「地域とは何か」という問いを繰り返すことになる。生活スタイルも、それによって変えざるを得ないのかもしれない。しかし、その問いやライフスタイルの変化は、私たちの地域社会を、少子高齢化にフィットした、よりよい方向へ進化させてくれるように思う。

私たちの迎える未来を、不幸なものではなく「そんなに悪くない」ものにしていくためにこそ在宅医療はある。そしてその在宅医療は、常に地域と、そこに暮らす人と共にある。つまり、在宅医療とは地域づくり、コミュニティの再構築に他ならない。であればこそ、現場の連携のその先へ、つまり具体的な「医療福祉の地域づくり」を、住民とともに模索しなければならない。

でも、なんでそんなことをしなくちゃいけねえんだろう。

なぜなら私も、ちょっとずつ人の手を借りて、地元の海を眺めながら、住み慣れたところで人生を全うしたいと考える1人だからだ。1人でも多くの人が(もちろん自分も)、自分らしく老い、様々な苦しみはありつつも、数ある選択肢のなかで、できる限り望ましい人生を送ることができる。そんな社会になって欲しいからこそ、みんながちょっとずつ手を貸していける社会をつくる。在宅医療とは、つまりそういうことなのではないだろうか。

 


公開日:2017年09月18日