2023年9月16日(土)、いわき芸術文化交流館アリオスを会場に「いごくミーティング」が開催された。食べて、踊って、歌って、棺に入って。自らの五感をフル稼働させて「生老病死」を考える生と死の祭典「igokuフェス」から、みんなで考えて話すスタイルにシフトチェンジしたのが、「いごくミーティング」だ。
いごくミーティング初回となった今年のテーマは、「ACP(=アドバンス・ケア・プランニング)」。ACPは、自分がどんな医療やケアを望むかを、前もって家族や医療スタッフと繰り返し話し合う取り組みで、日本では、ACPを広めるために2018年からは「人生会議」という愛称で呼ばれているんだとか・・・!
自分や大切な人が最期に望む医療やサポートについて、前もって考えた方がよいとはわかっている。けれども、「人生会議は大切だから、やるべきです!」と言われてもいまいち気乗りしないし、医療従事者ではない私たちにとって、何を考えて、どのように話し合えばよいのかについて、正直わからないことだらけだ。
実際に、2022年に行われた「人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査」でも、「人生会議(アドバンス・ケア・プランニング)について知っていたか」という設問に対し、「知らない」と回答した国民の割合は、72.1%と、全体の約7割にのぼった。
大切なことだけど、私たちの暮らしから切り離されてしまっている「人生会議」。すでに人生会議に取り組んでいる実践例や実践のポイントを知るべく、いごくミーティングに参加した。
-大事だからこそ、気軽に
午前10時。いごくミーティングがスタートすると、さっそく中劇場・ホワイエに参加者が集まってきた。ここでは、「どせばいい?カード」の体験会が行われた。
人生会議を疑似体験できるワークショップと聞いてはいたが、どせばいい?カードってなんだろう・・・ 「何があっても最後までけっぱる!」ってどういう意味・・・? テーブルに並べられたカードを見つめながら、参加者のみなさんも、おそらく私と同じように困惑していたに違いない。
4人ずつのグループに分かれたところで、さっそく体験会がスタート。各グループのファシリテーターが、冒頭、テーブルに並べられたカードを指差しながら、「ここに書かれているのは津軽弁なんですよ」とひとこと。
「津軽弁か! どおりでなじみがない言葉だと思ったよ」と、参加者のみなさんの緊張がふっとゆるむ。話を聞いていくと、ファシリテーターのみなさんは青森から、いごくミーティングのためにいわきに来ていたようだ。
三思園スタッフ:私たちは、青森県青森市にある「社会福祉法人中央福祉会 特別養護老人ホーム三思園」のスタッフとして働いています。特別養護老人ホーム、通称特養は、治療の場でなく、生活の場であり、終のすみかです。
最期まで「その人らしく、『生、活、居、逝』ききるためのケア」を実践すること。これが私たちのミッションです。このミッションを実現するためには、本人が何を望んでいるのか、これを知っていることが大前提になります。
最期ときくと、縁起でもないと思う方もいるかもしれません。だからこそ、気軽に話せる場をつくることが大切だと考えました。そこで思いついたのが、この「どせばいい?カード」だったんです。
どせばいい?カードは、三思園のみなさんが試行錯誤しながらつくりあげてきた、人生会議を疑似体験できるコミュニケーションツール。津軽弁の表記は、「津軽弁にした方がもっと楽しいんじゃないか?」というスタッフの声から生まれたアイディアで、施設の利用者と一緒に方言を思い起こしながら作ったという。
カードには、強烈な津軽弁の他に、やわらかなタッチで書かれたイラストと標準語(!)も記載されており、死は怖いというイメージをやわらげ、多くの人にとっての使いやすさが重視されていた。
カードは全部で50枚あり、そのひとつひとつにさまざまな医療ニーズや価値観が書かれている。人生会議をすすめるには、自分自身が自分にとって大切な価値観を認識できていたほうがいいそうだ。
「言語化すること」
この最初の一歩に高いハードルを感じてしまう方にとっても、ありがたいカードだ。
どせばいい?カードでは、ランダムに配られた手持ちのカードと、中央に置かれたカードを交換しながら、最終的に自分にとって大事にしたい価値観を3つ決めていく。カードを選んだ理由を、グループの中で共有しながらすすめるため、言葉にしながらじっくりと考える機会にもなっていた。
このゲームの最大の魅力は、自分が大事にしたい価値観を決める一人称版だけでなく、他者の視点に立って最期を考える二人称版があるところだと思う。二人称版では、家族や友人が何を大事にしているかを「わたし」が考えるという設定なのだが、参加者を見ていると、一人称の時よりも悩みながらカードを選んでいる様子だった。
夫婦で参加していた方からは、「わかっているつもりになっていてはだめね。ちゃんと言葉にしないとね。」という言葉が交わされていた。それを聞いていたファシリテーターの方は、「実際の現場でも、本人の思いを家族が認識できていなくて、亡くなった後で自分の判断は正しかったのだろうかと、後悔されるご家族の方も多いんですよ。」とこれまでの体験を重ねる。
繰り返しになるが、どせばいい?カードは、あくまで人生会議を「疑似体験」するツールだ。カードゲームを体験しても、家族と直接話すのはやっぱり難しいという人も多いだろう。
たとえ話せなかったとしても、ふとした時に「ばあちゃんはこれを大切にしているんだな」とか、「家でのじいちゃん、なんかいきいきしているな」という小さな気づきを重ねること、それこそがこのゲームのミソであり、自分や大切な人の最期を「自分ごと」として想像するきっかけになっているのかもしれない。そんなことを感じた。
-ひとりではなく、みんなで
体験会が終わり、続いて行われたのは、映画「痛くない死に方」の上映会と原作者トークショー。映画「痛くない死に方」は、兵庫県尼崎市で「長尾クリニック」を開業し、外来診療から在宅医療まで途切れのない医療を行う医師の長尾和宏さんの著書「痛くない死に方」「痛い在宅医」が原作となっている。
映画では、在宅医療を受ける終末期の患者とその家族、彼らと向き合う若手医師の葛藤が描かれていた。在宅医療や終末期の現状と課題、そして医療従事者のみなさんの奔走ぶりは、映画をみていただくのが一番だと思うので、ここでの詳細なレポートは割愛するが、印象に残ったことを1つ紹介させていただく。
それは、チーム医療には、患者本人や家族、つまり私たち市民も含まれるのかもしれないということだ。チーム医療は、一人の患者に複数のメディカルスタッフが連携して治療やケアにあたることと定義されている。医師、看護師、薬剤師、栄養士、ソーシャルワーカーなど、それぞれの専門的な視点を生かしながら、患者にとっての最適なケアを考えるのが、チーム医療だ。
しかし、どれだけ優秀な医療チームだったとしても、肝心の本人の意思が十分に伝わっていなければ、ケアがそもそもの望みとは異なるものになってしまう。映画でも、患者・家族が、医療チームとの連携がうまくとれず、望んだ最期を迎えられなかったケースが紹介されていた。原作者の長尾和宏先生によるトークショーでも、最期を迎える上での三つの覚悟が話された。
長尾:最期は自宅で過ごしたいと思う方は多いと思いますが、それには三つの覚悟が必要だと考えています。一つ目は、本人の覚悟です。「やっぱり自分は家がいいな」など、本人が自分の意思をはっきりさせること。二つ目は、家族の覚悟。家族が、本人の意思を叶えてあげたいと思うことです。そして三つ目は、医者や看護師やケアマネジャーなど、メディカルスタッフの覚悟です。この三つの覚悟が揃わないと、在宅医療や在宅介護を実現するのは難しいと思います。
逆にいうと、三者の中で方向性が共有されていれば、望む医療を受けることができるということなんですよ。これまで私がお看取りした方のうち、在宅医療を希望されていた方の約9割は、在宅医療が実際に始まったら、最期を自宅で迎えられています。三者間で常にこまめに情報をやりとりすることを意識していましたね。
-散歩や雑談から
「人生会議」を実践するヒントを得たいという理由から、今回のいごくミーティングに参加したわけだったが、人生会議を行うには、その手前にある「家族や他者と気軽に話し合える関係性」を育んでいくことが必要だと感じた。
一般的に知られていない人生会議を広めていくために、人生会議をテーマにした新たなイベントを企画しようという動きももちろん素晴らしい。しかし、これまでigokuでも度々とりあげてきた「つどいの場」のように、ご飯を食べたり、踊ったり、雑談したりしながら共に過ごす時間にも関係性を育むヒントがあるはずなのだ。
なにより、人生会議という言葉にしばられて「理想の最期」だけを聞き出そうとするよりも、暮らしの中で相手を知り、趣味や好きなものを通じてその人を理解できたほうが、きっと楽しい。
「私たち市民も、人生会議やチーム医療を担う一員である」という意識を頭の片隅に置きながら、私が暮らす中之作でも、暮らしの中で言葉を交わす機会をつくっていきたいと思う。
公開日:2024年01月17日