楽しいからこそ、やれる

久之浜町 片寄 清次さん


年をとると、生きた分だけ、良いものも悪いものも、色々なものが積もり積もっていくものだと思っていたけれど、そうではなくて、生きた分だけ余計なものが削ぎ落とされて、「本当に大事なもの」だけが残っていくような、そういうシンプルな存在になっていくのかもしれない。

でも、どう考えても、きっと本当は色々なものが積もり積もっているはずだ。だから、こういうことかもしれない。語り尽くせないいろいろがありながらも、それをないものとして後ろのほうに置いてしまって、「本当に大事なもの」だけを選びとって人生の前のほうに押し出していける、そんな知恵やコツを持っている。それが「年をとる」ということなのかもしれないと、今はそう感じている。

シンプル、というと、存在しているものが少ないかのような印象を受けてしまう。けれど、本当のシンプルは、目に見えない膨大ななにかが内部に圧縮されて閉じ込められているものだ。実はそこには、多くの「語られない何か」が宿っていたりする。久之浜にある菓子店「菓匠 梅月」の御主人、片寄清次さんもそんな方だった。そして、清次さんの作る「柏餅」も。目に見えない膨大な何かを後ろにおいやって、シンプルな価値がぎゅっと凝縮されているような。

久之浜の菓匠「梅月」。その朝は早い。

店の商品よりも、誰かに世話になったことをまず話してくださる清次さん。

朝7時。取材の待ち合わせ時間にお店へと向かう。扉はまだ開いていない。カーテンは閉められたままだが、中で人が動いている感じが伝わってくる。仕込み中だ。時間にして5分くらいだろうか、ぼんやりと国道6号線を眺めながら座っていると、白い作業服に身を包んだ清次さんが出てきた。軽く挨拶を交わすと、また店内に戻って行き、今度は柏餅を手に持って外に出てきた。そして、「まあまずは食いな」と、うまそうな餅を持った手をぐいと突き出してきた。餅がうまそうだったのと、突き出された手の力強さに敗北した私は、一礼してそれを受け取り、柏の葉を丁寧に外して、まだほのかに温かい餅にかぶりついた。

お餅はもっちもちで、ほのかに温かく、その温度が、ちょうど良くあんこの甘味を引き立てている。丁寧に蒸し上げているのだろう。あんこの甘さの奥には確かな豆の味がして、さらにその奥に、豆の皮の香りすらほのか感じられた。餅は柔らかで、それでいて歯切れがいい。噛み砕くと、喉をするりと落ちていく。すると今度は爽やかなヨモギの香りがふわり。そのおかげで、甘味がしつこくない。

この充足感たるや、唸るほかない。まだ朝7時過ぎにこんな贅沢なものを食べていいのかという罪悪感と、紙一重の優越感。こんなうまいものを毎日、何十年も、朝っぱらから作り続けている清次さんに、何の打算もなく尊敬の念を覚えずにいられない。いや、打算はあった。できるならもう1つ食わしてくれという打算が。だから大げさに「うおおお、うまいっす!」なんて言ってしまう。なんという食い意地だろう。

梅月といえば「柏餅」。ひとつひとつ手際よく包まれていく。

機械に刻まれた「不屈」の二文字。この店の魂がここにあった。

7時半開店。まずは店先に飾られた書画の解説だ。これは誰から頂いたもの、これは昭和何年ごろのなになに、あの人はどんな人で、どんなご縁があった。実に詳細に、そしてヴィヴィッドに語ってくれる。「いやあ、本当にいろんな人に世話になったなぁ」とポツリ。

そうだ。この店に飾られているもの、もしかしたらここで作られるものも、清次さんと誰かの「縁」が作り上げてきたものなのだ。「震災の後、本当はお店を再開する気はなかったんだけど、また柏餅が食べたいって声があって。この店舗も、自分で探したんじゃなくて、知り合いのツテで使ってみねえかって声をかけられたもんなんだ」と清次さん。自分の作るお菓子の話を先にするんじゃなく、お世話になった誰かの話をしてくださる。これが片寄清次という人なのだろう。

店の中も見させてもらいたいとお願いすると、「なんだぁ、NHKだって入れだこどねえんだがんな」と忠告一発。でも快く厨房のなかに入れてもらえた。店の中の機械はどれも年季が入り、ちょうど人の手が当たるところだけ磨耗してツルツルになっている。商売人でもあるが、それ以前に、道具を大事にする職人であるということが窺い知れた。そして、背筋が伸びるような気持ちになった。

「柏餅は本当は機械に全部任せても作れんだ。でもやっぱり人の手で確認しないとダメだ。温度とか湿度で出来栄え変わってきっちまうがら。だから捏ねるところは人任せにしないで今でもおれがやるときもある。でもまあ今はもう信頼できる職人がいっからな。任せてやってもらってることの方が多いな。だからおれはそんなにやっこどはねえんだ(笑)」。

そういって最高の笑顔で笑ってくれても、ちゃんと店のことを見渡している。だから職人からの信頼も厚い。働いている人たちも、皆楽しそうだ。

「なんでこんな歳まで働くかって、やっぱり仕事が楽しいがらな。それに楽しんでやらねえと、何事も長続きしねえ。地域のこともそう。やらされでやってたら楽しくない。楽しいなって笑顔があるから、地域の人とのつながりも生まれんだ。楽しいがらやる。そうでないと何事もダメなんだ。んだっぺ?」

頑固オヤジのような頑なさと、茶目っ気たっぷりな柔らかさを併せ持つ。

丁寧に蒸しあげられる大豆。道具ひとつひとつに、この店の痕跡が残されている。

お店で話を聞いていて驚いたことがある。開店直後から来客が止まらないのだ。これから親戚の家に行くというご婦人、母親に買ってこいと頼まれた息子、世間話をしていくおばあちゃん。一人が帰るとすぐもう一人やってくる、といった感じだ。お客は皆、お店の人と二言三言おしゃべりをして、柏餅を受け取るとささっと帰って行く。時計はまだ8時にもなっていない。地元の人は知っているのだ。ここが7時半に開くこと。まだ温かいうちに食う柏餅がうまいこと。午後にはもう店が閉まってしまうことを。そういう店があること、地域の人たちとの結びつき。とても羨ましくなった。

閉店は午後2時。「うちで働いてもらっている女性たちは家事もこなさなくちゃいけないし、閉店が早いほうがお客さんも午前中に来てくれる。午前のほうがかしわ餅も固くならないから早いほうがいいんだ」と清次さん。お店も、社員も、お客さんも三方よし。だから、楽しさややりがいが伝播していく。

仕事が終わると、地域のことに関わり続けてきた。「オレな、ずっと久之浜・大久地域づくり協議会の会長をやってたんだ。駅前の拡張工事なんかも随分色々調整して市長や役場にかけあったの。ほんと、久之浜の地域づくりには随分関わらせてもらいました」。清次さんはそう言って昔を懐かしそうに振り返った。

ロッコク沿いの新しい店。すでに地域のシンボルになりつつある。

私たちは、「地域包括ケア」なんて仰々しい呼び名を使う。しかしその本当の根源は、目の前の清次さんや梅月という店にもうあった。わたしたちは新しい福祉政策を打ち出すんじゃなく、地域に、そこに生きる人たちの人生のなかに「すでにあるもの」をひょいとお借りして、今の課題にフィットするように微調整させて頂く、それだけなのかもしれないと反省した。地域を包括してケアだなんて大げさの極みじゃないか。

気づけば、結局、柏餅2個と、名菓「波立」を1つと、お茶まで頂いてしまった。朝の私の打算は、それ以上の感動と驚きと美味しさで叶えられてしまった。しかも、何かとても大切な気づきとともに。

片寄清次、87歳。お孫さんが今、東京で和菓子の修行をしている。病気で息子さんを失い、津波で店を失い、一旦お菓子づくりを断念したが、今は店を継いでくれるお孫さんの帰りを待ちながら、店を切り盛りする。特に「老骨に鞭打つ」って感じでもない。お孫さんとの菓子づくりを、多分、片寄さんが一番楽しんでしまうんじゃないか。そして、そういう楽しさ(と語られない厳しさ)が作る柏餅だから、うまいのだ。

文・写真/小松理虔


公開日:2017年09月18日

片寄清次(かたよせ・せいじ)

いわき市勿来町生まれ。菓子職人。「菓匠 梅月」店主。久之浜・大久地域づくり協議会初代会長。菓子職人として日々ものづくりに励む傍ら、地域の歴史や文化から地域をつくる活動を長年続けてきた。震災で甚大な津波被災を受けるも店を復活。お孫さんが今夏、店を継いでくれるという。孫の帰還まで店を引っ張り続ける覚悟。

所在地
福島県いわき市久之浜町久之浜字南畑田6
TEL
0246-82-2020