医学は「人間学」でもあるべきだ

中之作 中山 元二さん②


今回のインタビューで中山先生に渡したいものがあった。写真である。実は中山先生、先日開催された「いごくフェス」で、写真家、平間至さんのポートレート撮影会に参加していて、その写真が完成したのだ。大切な写真だから、ちゃんと手渡しし、その写真の中に閉じ込められた先生の物語を伺いたいと思っていたのだ。

写真を見る。ピンと伸びた背筋。太ももの上に置かれた拳。茶目っ気のある表情と、確かな気品。そして威厳が、見事に写真に閉じ込められている。すっとそこから立ち上がり、「今日はどうしたんですか?」とか「ちょっと胸の音を聞いてみるかな」なんて言って動き出しそうなほどである。

写真があまりにも素晴らしく、余計に中山先生にお話を伺いたくなった。そして、その写真のなかの中山先生の血となり肉となっている物語を、ここに書き記しておきたいと思った。インタビューは後半である。先生に伺ったのは「死」について。いごく編集部が追い続けるそのテーマを、中山先生はどのように語ったのだろうか。じっくりとお読み頂きたい。

インタビューの冒頭。平間さんの撮影した写真を中山先生にお渡しする。

—老衰なき現代の死

若い人たちはね、なんて言うかな、死というものについて知らないんだな。医者がそもそも知らないんだ。大学ではね、「老衰」で死ぬ患者さんを見たことがない。死因は老衰ですなんてことを診断書に書いたら足を蹴っぽられっちまうんだよ。原因があって結果があるんだから、心臓が悪いとか肝臓に原因があるとか言われるだろうね。でもね、そういう患者を見てないから老衰が分からないんだ。

ぼくらみたいにたくさん見てるとね、どこが悪いってものはないのに、だんだんとご飯を食べなくなって、表情もなくなってきてね、最後はソフトランディングじゃないけどさ、枯れるように亡くなっていく。これはねえ、心臓や肝臓が悪いんじゃない。老衰としか言いようがない。単に、医師たちが、そういう死に接する機会がないんだと思ったねえ。

ましてや一般の家庭ではもっと死が遠くなっている。だからこそね、「どういう選択をしますか?」、「どういう死の迎え方をしたいですか?」ということをね、あらかじめて考えていかないといけないと思ってるんだ。

つい最近、10日ほど前だな、うちの病院で診ていた95歳くらいのおばあちゃんがね、家の中で転んで大腿骨を骨折しちゃってね、さあ大変だってんで救急車を呼んで、最終的には大きな病院で手術をしたっていうんだ。おいおい95歳で手術したのかと思いましたよ。それでおばあちゃんは麻酔の影響もあって精神的に不安定になってしまって、それがようやく治まってリハビリの転院先を探してくださいって言われて、それでぼくのところに戻ってきたんだ。

そのときは「なんで電話よこさなかったの」って言いましたよ。ぼくがちょっと行って診てみればさ、これは自宅で見ていこうよって、大変な思いをしなくても済んだのに。つまりね、どういう死を迎えるか、ターミナルをどうすればいいのか、在宅になればなるほど、啓蒙が必要だということだと思うんです。

死についてお話を伺う濃密な時間。とても学びの多いインタビューだった。

こんなこともあった。やはりうちの近所の方でね、旦那さんが88歳で、奥さんが昔看護師をしてた方なんだ。旦那さんが朝3時頃かな、トイレ行って帰ってきたら、そのまま心肺停止しちゃったの。普通だったら救急車呼んで大騒ぎです。でもねえ、奥さんはさすがだねえ、看護の経験があるから分かってたんだ。翌朝の7時になって電話をよこしてね、「うちの主人がなくなりましたって。深夜3時に亡くなったんだけど、先生に来てもらうのは悪いから今連絡したんです」って言うんです。

早速行ってみて、でも何もすることがない。検死もしなくて済みますよ。今は検死の数が多いですよね。主治医、かかりつけ医を持たないからです。だからね、かかりつけ医を持ちなさい、死に対する心の準備をしておきなさいって言うんだ。

家族だけじゃない。本人の意識も大切でね、もう80過ぎたら検診なんて受けなくていい。ぼくもねえ、血圧だけは計ってるけど他の検診は受けてないんだ。例えば、85歳過ぎてガンが見つかって、余命どのくらいだろう、せいぜい5、6年です。だったら、がんのために手術して辛いを思いせずに、痛みはコントロールできるんだから、苦しまずに生活の質を上げることの方が大きいんだ。そんな時期に手術をして生活の質を落とすのは間違ってるんじゃないかと思いますよ。

病気を診ずに、病人を診る。医を志すものは「人間学」を学ぶべきだと中山先生も語る。

—天寿を全うする

もうかれこれ3000人以上看取ってきたけどね、死というものは、本当は、苦しまないで眠るようにいくものです。もちろん痛い、苦しいという病気はある。でも、それは基礎疾患があるからだし、疾患にしても、体質とか環境とか色々な因子があるから、すべての人が長生きできるかといえば、そういうことじゃない。

そういうときに、どう死を捉えるか。やっぱり死というのは寿命だと捉えるのが大事だと思いますよ。80過ぎの人を看取ったら、ぼくは「天寿を全うしましたね」と言うの。それは、亡くなった本人よりも残された家族の心の問題です。当然、家族は長生きさせたいわけだから、亡くなったら辛くて悲しい。だけど、ちゃんと説明をすれば、「先生は天寿を全うしたと言ってくれた」って受け止めてくれるものです。

それがねえ、なかなか若い先生はできないんだ。黙ってんだよ。「死の教育」というのがますます必要になると思います。それは医学の問題なんだ。医者ってのは今では臓器別の医学ばっかりやってる。肝臓専門とか腎臓専門とかね。でもね、ぼくは思うんですよ。医学ってのは人間学なんだと。本を読んで色々な知識を得て、それで人間を知ることができる。それが一番大事なんじゃないかな。

あっという間の1時間半。中山先生のインタビューには、地域包括ケアの精神が過不足なく入っていた。

おそらく、これからの医療は、ぼくが開業した頃に戻っていくんじゃないかと思ってます。地域の診療所やクリニックで診てもらいながら、最期は家で迎えるっていうね。

ぼくもねえ、江名の中学校の校医を50年くらいやってたからねえ、そのうちの家族構成、経済的な問題、どこからどういうお嫁さんがきたかとかね、分かっちゃうんだ。だから学校に行くと、あんたあそこのおばあさんの孫だな、爺さんに顔が似てるな、なんてことまで分かってくる。

そこで思うのは、やっぱり病気じゃなくて病人を見なさいということ。若い先生は、病気しか診てない。聴診器も当てないでパソコンの画面ばっかり見てるんだよ。患者さんはデータだけを見て安心するんじゃない。患者さんに手を当てる。だからこそ安心してくれる。そういうね、昔からの医療に戻っていく。だから、現場の医師も人間学を学ばないといけないと思ってますよ。

人間はいずれ死ぬもんです。満足に死ぬか、不満を抱いて死ぬか、そこに違いが出てしまう。だからなんというのかなあ、死に対するリビング・ウィル(意思)というかな、死に対する心構えというか、そういうものを、現場の医師だけではなくて、患者さんもその家族も意識していかないといけないと思います。それがねえ、これからやってくる多死社会には絶対に必要ですよ。

インタビューその2 おわり

中之作の漁港のそばにある中山医院。今から60年前に開業された。

◆編集後記◆

帰り際、先生から、うちの女房が書いたものだといって、『通り過ぎた景色』というエッセイの本を頂いた。23歳で開業医の女房になり、特別養護老人ホーム「かしま荘」に関わり35年、という中山先生の奥様、昌子さんが書いた本である。

嫁いだばかりのときのこと、介護の物語、日々の移ろいが、優しくシンプルな言葉で綴られている。取材のあとに読み返すと、ああ、先生の言っていたのはこういうことだったのかと妙に納得させられた。レジェンドの波瀾万丈の人生に良妻あり。

同書の一節をちょっと引用する。

かしま荘はその前の年の四月にオープンしたばかりの新しい施設で、この福祉施設の専任理事となっていた私は、現場の職員からはうるさがられるくらいほとんど毎日顔を出していました。それというのも、小さな港町で二十数年間開業として地域になじんだ仕事を続けてきた私の夫が、北洋漁業の衰微などの影響で、若者が職を失い故郷を離れ老人だけが取り残された、高齢化社会を先取りしているような町の姿を見るにつけ、身の程もわきまえず熱くなり、ありきり身上叩いてつくった施設だったからなのです。夫の志をしっかり現場に浸透させるのが私の役目と心得て、一日一度は施設の中を一回りして、入所者や職員の様子を見るのが私の日課でした。

中山先生は、自分が病院をつくったことを「趣味道楽だ」と語っていた(インタビュー1で)。もちろん、読者の全員が、趣味道楽でないことは分かっている。だけれどこうして、奥さんの昌子さんが、夫である中山先生の志を浸透させようと奮闘していたことを本で知ると、「道楽だ」と言ってしまう先生の人間味が、また余計に強く感じられるようである。

中山先生の奥様、昌子さんによる自伝的エッセイ『通り過ぎた景色』。ご夫婦のエピソードが書き綴られている。

昌子さんの目を通して、ご夫婦の奮闘と中之作の風景が少しずつクロスオーバーしていく。地域と医療の関わりを考えるためにも、大変興味深いエッセイだった。

医師としての凛とした表情と、プライベートの柔和な表情。どちらも中山先生である。

急なインタビューの申込みだったのにも関わらず、快く引き受けて頂いた中山先生。60年もの間、地域の医療に関わってきた「レジェンド」の言葉には、私たち「いごく」が理想とする精神が凝縮されていた。死を考えること、生きることを考えることが重なり、それが地域に結びつき、ポジティブな人生につながっていく。中山先生の言葉を聞いていると、そんなことをイメージできた。

中山先生の語る地域医療は、地域包括ケアの理想そのものである。地域の診療所として健康的な暮らしを支える中之作の「中山医院」、急病患者を処置しつつ、高齢者医療の拠点として機能する「かしま病院」、高齢者の人生を最期まで見守る「かしま荘」。その三つの機関による病診連携、病福連携の姿は、いささかも古びることなく、地域医療の未来を照らしているようにも見える。

そして、中山先生の語る「医」。臆することなく、死を正面から包み込むように捉え、人の心に寄り添いながら、医学を人のために使おうとする心。戦後間もない、いわば地域医療の草創期を支えた歴戦の勇士の経験や哲学は、医療のあり方に多くの課題を抱えるいわきで、ひと際輝きを増す。私たちが学ぶべきことは、まだまだたくさんあるはずだ。

そして今一度、中山先生が88歳だということを考える。中山先生もまた一人の高齢者だ。高齢者を支えることは、若い世代にとっては大変なことかもしれない。しかし、支える代わりに、今回のインタビューのような感じで、その経験や知恵を余すことなく地域に出してもらう。お互いに価値を交換しあえたら、今よりも少しスムーズに、地域が回り始めるようにも思う。

今後、高齢者だらけになるいわき。しかし、その高齢者に、80年分、90年分の知恵や経験や、その人なりの物語やドラマがある。そう考えると、いわきは「ネタだらけ」だと言うこともできる。そして、大変失礼ながら、彼らはいつ旅立つか分からない。残された時間は少ないと思って取材を進めなければ。いごく編集部、休んでいる暇などなさそうである。


公開日:2018年03月20日

中山 元二(なかやま・もとじ)

福島県いわき市中之作生まれ。医療法人養生会かしま病院名誉理事長。中之作「中山医院」初代院長。28歳で中山医院を開業し、特別養護老人ホーム「かしま荘」、かしま病院を次々に開業。現在も、かしま荘を中心に利用者の健康管理を行う現役医師である。