百寿。高度に高齢化社会が進んだ日本においても、その大台は、多くの人たちにとって夢の数字であり続けています。本人の努力だけで達成できるものではありません。生まれながらの体に加え、家族のサポート、周囲の環境や食や風景など。その人と環境とが、共に重ね合わせてきての百歳。
ならば、こう言い換えてもいいかもしれません。百歳を迎えた人たちの心や体には、百年分の地域の歴史が刻み込まれている、と。いわきで百歳を迎えた人たちを紹介する新コンテンツ、いわき「百」景。百歳を迎えた人たちの言葉や表情から、「いわきで百年生きること」を考えます。
いわき「百」景 vol.1
安田 フクさん(100)
2018年6月19日、この日に百歳の誕生日を迎えたのが、明治団地にお住まいの安田フクさん。大正7年(1918年)6月19日生まれ。声の張りも良く言葉は明晰。式典にために集まった関係者に「こんな会を開催してくださってありがとうございます」と丁寧に頭を下げ、自分のお祝いどころか、来客者をねぎらう姿が印象的でした。
もともとは楢葉町でお生まれになったフクさん。上京後、時代は戦争に突入します。「B29の空襲っていうのはね、もうそれは本当に恐ろしいものでしたよ。子どもを抱きかかえてね、逃げ回ったもんです」と、当時を振り返ってお話ししてくださいました。いわきへやってきたのも、戦火を逃れてのことだそうです。
戦争が終わると、東京の消防庁で働いていた旦那さんもいわきへとやってきました。ようやく訪れた平和な日々。そのなかで子どもにも恵まれ、今はたくさんの孫、ひ孫にも囲まれています。定期的に病院へ通う以外、誰の介護も必要とすることなく、身の回りのことは全部自分でやってしまうそう。
息子さんによれば、「長生きの秘訣は、何でも食べること。それと、いろいろなことに興味を持つことかもしれません。今でも、ニュースや何かで気になることがあると、本を読んだり辞書で調べたりしているんです」とのこと。
2011年の東日本大震災後、フクさんは千葉県に一時的に避難したそうです。当時すでに94歳。けれどもフクさんは暮らしのリズムを崩すことなく、健康なままいわきへと戻りました。「ここ数年は脊柱管狭窄症でね、ずっと足が痺れたりしてるんだけれど、それ以外は大丈夫。それでも昔から色々と病気はしてきたのよ、手術もしたし。でもこうして長生きできて、百歳を迎えられて、本当にありがたいです」とフクさん。
ささやかな式典のあと、お嫁さん手作りのヨーグルトムースとコーヒーで一服。居間の壁には、家族の遺影や賞状や感謝状が飾られていました。柱や壁には生活の痕跡が残り、決して豪奢ではないけれど、しかし確かな暮らしの豊かさがにじみ出ていて、そのおもてなしのささやかさと優しさは、フクさんの佇まいそのものといった感じがしました。
きっと、フクさんの生きる態度のようなものが、息子さん夫婦へと引き継がれているからかもしれませんね。その人ご本人からだけではなく、家族や家から、フクさんの生き方が浮かび上がってくる。百年という月日は、そんなことを作り出すのかもしれません。
フクさん、百歳、おめでとうございます!
公開日:2018年06月21日
いわき市のセンテナリアン(百歳の方)
いわき市では、満百歳を迎えた方を表彰している。贈呈式には、いわき市に加え、福島県、いわき市社会福祉協議会の担当者も参加し、記念品や祝い金、賞状などが送られる。いわき市内の百歳以上の高齢者は、2018年6月19日現在で165名(男性21名、女性144名)となる。いわき市最高齢は、明治42年生まれの108歳。