体操、中華、わたし

四倉町 三田須生雄さん


 

こんな弁解から始めるのは恥ずかしいのだけれど、これまで長く記者、ライターという仕事をしてきて、今回ほど自分の無力さを感じた取材はない。何しろ記事としてまとめられないのだ。

取材をしていれば、たいてい「この人はこんな感じの人だろう」とか、「こんな風に落とし所をつけよう」ということが取材中に見えてくるもの。しかしこの男性、三田須生雄(さんた・すきお)さんには、それが通用しない。もはや匙を投げるしかなくなってしまう、そんな感覚。

とにかく話が面白い。およそ2時間の取材で終始笑いっぱなし。ぶっ飛んでいて、そして、そんなドラマチックな人生を豪放磊落にガハハと笑い飛ばす魅力がある。2時間程度で濃厚な人生を語り尽くせるはずがない。分厚い分厚い本の、ほんの数ページを覗かせて頂いたに過ぎないのだ。

それなのに、話を聞いてるぼくらが、思わず元気になってしまうのだった。

 

お昼前の時間。四倉にあるサンタさんの自宅でお話を伺った。

 

今回の主役、サンタさんを紹介する。

サンタさんは、今、いわき市で展開されている「シルバーリハビリ体操(以下シルリハ体操)」の先生をしてらっしゃる。読者の多くはご存知ないと思うが、このシルリハ体操、高齢者の間でカルト的な人気があり、いわき市では、昨年、なんとのこの体操教室にのべ7万5千人が参加したそうだ。

はああああ? なな、ななまんごせんにーん? ありえないでしょ、何よそれ。

いや、それが事実なのだ。シルリハ体操は、いわき市各地の集会所や老人ホーム、公民館などで頻繁に開催されていて、会場はどこも満員。体操の指導士(インストラクター)の養成講座も随時開かれていて、それまでは単に体操に参加していただけだった人が講師になり、その新しい講師がまた新しい教室を開くといった具合で、参加者も講師も、増殖し続けている。

サンタさんはその頂点。いわき市シルバーリハビリ体操指導士会会長でいらっしゃる。いわき市に700人弱いる指導士の頂点に君臨しているのだ。君臨といっても、初めて会った時の第一印象は、とても元気な、感じのいいおっちゃんという雰囲気。

今回の取材は「シルリハ体操の先生のインタビュー」と聞いていたので、体操いいですねえ、頑張ってらっしゃいますねえ、素晴らしいですねえなんつって、ひょいっと取材をまとめようと思っていたのだが、それはぼくの完全なる間違いだった。もう、取材の冒頭から裏切られることになる。

サンタさんを取材した時のメモを少し紹介しよう。

 

サンタさん、その濃厚な人生の一部を、語り始める。

 

サンタさん取材メモ

もともと三田家は長野、小布施を拠点とする宮大工の家であった。
祖父の三田周太郎は、明治時代の文学者であり作詞家、高野辰之の家を普請した名工。
しかしサンタさんは、げんのう(トンカチ)で頭ひっぱたかれるのが嫌で宮大工をやりたくなかった。
実は読売ジャイアンツに入りたかった。
大工が嫌なら警察官になれと言われて試験のため東京に行くが、後楽園で巨人・阪神戦を観戦。
警察にはならず、地元の高校に進学して野球部員になろうとして父から激怒される。
それが原因で親子喧嘩して家出し、上京。

あのですね、10代の数年の思い出を伺っているだけなのに、こんだけネタがあんですよ? そもそもね、生まれた家の話だけで本1冊書けますよ。何しろ、サンタさんのおじいさんが自宅を普請したという高野辰之って、明治時代を代表する偉人ですよ? あの、兎追いしかのやまー♫の唱歌「故郷」や、さらさら行くよの「春の小川」とかを作詞した人ですよ?

 

小布施出身の競歩選手、荒井広宙さんは、サンタさんの親戚らしい。

 

いやあ、サンタさんのお家ってすごかったんですねーと聞いたら、「でもぼくはジャイアンツ入りたくてさー。大工が嫌だったら警察官になれって言われて東京まで試験を受けに行ったんだけど、受験する人も多いし、あれじゃ敵わねえよって後楽園の巨人・阪神戦を見に行っちゃんだ。そんなもんだから警察にはなれなくてね、地元の学校に入ることになって、それで野球部に入部したの。だって本人は野球したいんだから。そうしたら野球部なんて入りやがってなんてオヤジに言われてねえ。それが本当に悔しくて家出しちゃったんだよ(笑)」

冒頭からこんなんですよ。まとめる気を無くしますよ。こりゃあダメだ、もう諦めて三田さんが気の済むまで話を聞いてるしかねえやって。だって、野球選手になりたくて、警察官の試験に行かないで後楽園行っちゃうんだから。もう笑って話を聞いてるしかない。サンタさん、確実に「持ってる」んだなあ。

「家出したはいいけどアテもないから、とりあえず上野駅でフラフラしてたの。そしたら目の前の中華屋さんに天津丼のサンプルがあってさあ、それがうまそうでねえ、東京の人間はこんなもん食ってんのかって、それで中華屋に弟子入りしちゃったんだ」

「たまたま入ったところがさ、四川料理を勉強しろって、陳健民もゆかりのある近鉄大飯店を紹介してくれてね、そこに行ったんだけど、いやあ中華料理屋で働いてる中国人ってのはほんと気性が荒くてさあ、気に入らないことがあるとグツグツしてる油を辺りに撒き散らすんだよ。あぶねえったらありゃしないよ」

「そのあと、葛飾にあった昇龍ってラーメン屋に移って。そこで餃子を学んだんだ。修行は大事だ、若い時は恥をかけ、とにかく体験しろ、そうやって餃子づくりをやらせてもらった。思えば、宮大工の親父も同じようなこと言ってたね。とにかく体験して体で覚えるんだってね」

「そこから西新井に移って『三塔(土偏ではなく正しくは火編)』って自分の店を出すことができてね、あれからもう40年だから、60歳近くまで中華料理屋をやってきたわけ。その頃、女房が病気しちゃってねえ、それで娘が嫁いでいたいわきに移り住んできたんだよ。初めて平の七夕をみたときには、すごいねえ、やるじゃないかって思ったなあ。いわきは本当にいいところだよ」

 

サンタさん、なんとカラオケもプロ級だそうだ。白いスーツを着て歌っている。

 

体操の予定が「赤丸」で記入されている。週の半分以上は、体操の先生として活躍していらっしゃる。

 

なぜかファイティング原田と写っているサンタさん(右)。そしてジャイアンツのV9戦士、高田繁とも写っている(左上)。

 

自分のやりたいことを貫いて、運命に身を任せることができる。そして、そこでやってきたチャンスを確実に掴むことができる。物事を前向きに捉えて、波に突っ込んでいく。サンタさんとは、そんな方なのだろう。そして、こんな話を、とても楽しそうに、そして愛おしそうに話してくださる。それができるだけの年齢も経験も重ねられている。ぼくの薄っぺらい人生でサンタさんの記事を「そつなくまとめよう」なんざ50年早い、ということだろう。

 

どの話も「スベらない」。2時間お話を聞いていても、全く飽きないサンタさんのお話。

 

ーいわきナンバーワンの体操教室

小さい頃から「頭は悪くても、人の役に立つことをしなさい、人から必要とされる人になりなさい」と言われて育ってきたというサンタさん。これまでの実績は、壁に飾られた賞状が物語っていた。いわきに来てからも、地域のことを任されるようになり、地域の中に存在感を示すようになった。

その存在感が突如として膨らんだのが、東日本大震災だった。いわきに来てから「ギョウザ家サンタ」を開業していたサンタさん。何かできることはないかとバイクにまたがり、薬がなくて困っている人のところに薬を届けたり、冷凍保存していた餃子を知人に振舞ったり。自分にできることを続けてきた。

そんなことをしているうちに、四倉の老人ホームで開かれていた「筋肉モリモリ体操」という体操教室を任されることになり、シルバーリハビリ体操の世界に足を踏み入れた。明るくて豪快なお人柄である。すぐに人気が出て、サンタさんは2012年「サンタ体操教室」を立ち上げた。現在、そのサンタ体操教室は、1年間で7000人近くの方が参加する、いわきナンバーワンのシルリハ教室になった。

 

震災後は、サンタクロースの格好をして地域の保育園でボランティアをしていたサンタさん。

 

最近これを読んでるんだよと教えてくれた一冊。

 

大事なのはとにかくストレッチと呼吸だそうだ。そして、毎日の繰り返し。

 

シルリハ体操の指導士が着用するポロシャツ。

 

準備に余念がない。時事問題にも敏感だし、日々のトレーニングも忘れない。参加者に飽きられないように、雑談の本を読んだり、レシピを探して印刷したり、家でもやるべきことは多い。たくさん印刷するからプリンターはフル稼働だ。

「体操は同じ動きかもしれないけれど、指導員には個性が必要なんだ。毎回1分2分持ち時間があってね、それを楽しみにくる参加者も多いから楽しませないといけない。体をストレッチするだけじゃなくて、心もストレッチしないといけないの。そこでつながりが生まれる。体操を続けるためにはそれが大事なんだ」

「シルリハ体操はねえ、これまでは参加するだけだった人が、今度は教える立場になるってのがいいの。参加するだけだった人も、指導士3級、2級ってステップアップしていってね、誰かの役に立って感謝されるようになる。大変だよ、ぼくも新聞の切り抜きをスクラップして『こんなものが流行ってるらしいよ』って教えてあげたり、料理のレシピとかを教えてあげたりね。そうやって、誰かに何かを与える立場になれる。それがねえ、また生きがいになっていくんだね」

 

ちょっと照れくさそうに白衣を着るサンタさん。この仕事に誇りを持ってらっしゃるんだなと感じた。

ー今もファンの絶えない「ギョウザ家サンタの餃子」

インタビューも終盤に差し掛かる頃、餃子、食べていくんでしょ? 準備してくるから、待ってな、なんて、颯爽と白衣に着替えたサンタさん。一緒に、外にある餃子家サンタへ移動する。

真っ黒になり、油で艶かしく光る鍋があった。「これは中華料理屋やってる時から使ってる鍋だからすごいよ。使えば使うほど良くなる。これじゃないとダメなんだ」

冷凍庫から出した餃子を、丁寧に鍋に並べ、優しい火でじっくりと火を通していく。水の量、入れるタイミングは手が覚えているのだろう。動作に無駄がない。世間話をしていても、意識は餃子の方にある。シルリハの先生だったサンタさんに、料理人の姿が激しく立ち現れてくる。

 

無骨だが、優しさを蓄えたサンタさんの手。今まで何千という餃子を作ってきた。

 

年季の入った鉄鍋で作られる餃子。なんとも言えない匂いと音が、店のなかに広がっていく。

 

焼きあがる。見ただけでうまいとわかる。餃子が「俺を食え」と主張してくるようだ。こういう餃子は、躊躇なく一気に頂くに限る。貴様ら、一網打尽にしてやる。餃子との対峙。ふーっと息を吹きかける音と、餃子を噛む生々しい音だけが店内に聞こえる。サンタさんも、その対峙を見透かしたように、こちらにはあまり話しかけてこない。

皮はもっちりしているが、焼き目のところはカリッカリ。肉は粗く摺られており、確かな食感を残している。肉の旨味に絡みつくキャベツの甘み。全ての食材が主張しているのに、なぜか調和している。熱い。しかし、体が次の一口を求めてしまう。

なんだこの餃子は、と考えているうちに、あっという間に胃の中に吸い込まれていった。

 

かつての店名の割り箸が出てくる。熱いものが込み上げてくる。

 

お店の前で一枚。頼んでもないのにのぼりをギュッと握ってくれた。

 

「ぼくは野球やってたし、中華鍋を毎日振るってたでしょう、肩がほとんど上がらなかった。でも体操を始めたら効果が出てね、今じゃ痛みもないし、まっすぐ上にあげられるようになった。体も心も、少しずつなんだ。少しずつ呼吸を整えて伸ばしていくってことだよ」

「体操を始めてから仲間ができた。この歳になってみて思うけどね、人ってのはひとりじゃだめなんだ。つながりを持つということ。これが人生では大事だよ。だから、誰かに出会っていく、そういう姿勢を持っていないと。シルリハにはねえ、いろんな人が来ます。それがいいんだよ」

地域は、いつだって「人」が動(いご)くことで変わっていく。サンタさんように、自分にできることで地域に元気を与えることができるのだ。サンタさんは、流行のライフスタイル誌や、地域暮らしの雑誌には出てこない。功名心や虚栄心から解放されたところで、しかし、親の言いつけを守りながら、地域で楽しく元気に輝いている。それが、なんとも心地よく、心強く感じた。

誰かの「いごき」は伝播する。どこかの高齢者にも、そしてぼくにも。シルバーリハビリ体操に70,000人を超える人が集まる理由、今ならよく分かる気がする。

文・写真/小松理虔


公開日:2018年08月02日

三田 須生雄(さんた・すきお)

長野県小布施町生まれ。79歳。いわき市シルバーリハビリ体操指導士会会長。ギョウザ家サンタ店主。毎日の体操を欠かさない。