百寿。高度に高齢化社会が進んだ日本においても、その大台は、多くの人たちにとって夢の数字であり続けています。本人の努力だけで達成できるものではありません。生まれながらの体に加え、家族のサポート、周囲の環境や食や風景など。その人と環境とが、共に重ね合わせてきての百歳。
ならば、こう言い換えてもいいかもしれません。百歳を迎えた人たちの心や体には、百年分の地域の歴史が刻み込まれている、と。いわきで百歳を迎えた人たちを紹介する新コンテンツ、いわき「百」景。百歳を迎えた人たちの言葉や表情から、「いわきで百年生きること」を考えます。
いわき「百」景 vol.3
大樂 ヨシ子さん(100)
2018年11月28日、この日に百歳の誕生日を迎えたのは大樂ヨシ子さん。大正7年(1918年)11月28日生まれ。現在は小名浜にある特別養護老人ホーム「にじの郷」で暮らしており、今回の百歳賀寿の式典も、「にじの郷」で行われ、息子さんやお孫さんなどのご家族、主治医の先生や施設のスタッフの方々など、多くの方々に囲まれての式典となりました。家族から花束が贈られたとき、顔を手で隠しながらも、クシャッとした笑顔を見せていたのが印象的でした。
長寿の秘訣はというと、好き嫌いせずにたくさん食べること。やはり、健康に100歳を迎えるには「食」が一番大切なんだろうなぁと聞いていましたが、お孫さんによれば、ヨシ子さん、昔は偏食だったよう。食べるのは、お菓子、饅頭、あとは庭になっている柿、いちじくなど。生魚は食べないとかいろいろと食事は偏っていた様子。そもそも、家族はヨシ子さんが食事をしているのをあまり見たことがないと言います。
「おそらくおばあちゃん、大農家だった大樂家に嫁いでからは、旦那さんや家族などのために料理をし、お弁当を持たせたりと、“食”は食べるものではなく、つくるものだったのかも。だから、偏食だったというより、自分は余りものや近くにあるものを食べていたんじゃないか」とお孫さん。
ヨシ子さん、尽くすタイプだったんですね。そんなヨシ子さんも、つくる側・尽くす側から解放されると、家族が作ってくれる料理や施設で出される食事をなんでも「おいしい、おいしい」と言って食べるようになったようです。
実は控えめな性格で、人前は苦手。本当は今日の式典にも難色を示していたとのことでしたが、みんなの前に来たらニコニコが止まりません。声をかけるとクシャっと笑顔。それをみるだけで、施設内での人気っぷりも想像できます。式典が終わったあと、帰ろうとする大好きな主治医の先生に何度も手を振っていました。
現在は脳梗塞がきっかけで、筋力が落ちてしまいましたが、90歳過ぎまでクワを持って畑仕事に行き、田んぼの草むしりをしていたほどバリバリ元気だったらしいです。常磐生まれ、常磐育ち、嫁ぎ先も常磐と、生粋の常磐人で歌が大好きなので、炭坑節はソウルミュージックですし、テレビに月が映るだけで「♪月が~出た出た~♪」と元気に歌い始めるんだとか。
元気に100歳。みんな目指したい領域だけれども、なかなか到達できない領域。いろんな要素が必要だと思いますが、家族に尽くした話を聞き、ニコニコ笑顔でスタッフに囲まれているヨシ子さんを見て、「人とつながり、人を支え、支えられる関係」。これが一番大事で長寿の秘訣なのかもと、短い取材の時間でしたが、思いました。
そしてなんと最後にお孫さんから、本日の100歳賀寿を祝しての紅白まんじゅうをいただきました。本当は今日、定休日だった地元の和菓子屋さんにお孫さんが「今日は特別な日だから!」と無理を言って作ってもらった紅白まんじゅう。「尽くすタイプ」しっかり継承されています!!
職場に戻り、さっそくいただきました。ありがとうございました。
ヨシ子さん、100歳、おめでとうございます!
文・写真/カジアキラ(いわき市地域包括ケア推進課)
公開日:2018年12月15日
いわき市のセンテナリアン(百歳の方)
いわき市では、満百歳を迎えた方を表彰している。贈呈式には、いわき市に加え、福島県、いわき市社会福祉協議会の担当者も参加し、記念品や祝い金、賞状などが送られる。いわき市内の百歳以上の高齢者は、2018年11月28日現在で178名(男性25名、女性153名)となる。いわき市最高齢は、明治43年生まれの108歳。