百寿。高度に高齢化社会が進んだ日本においても、その大台は、多くの人たちにとって夢の数字であり続けています。本人の努力だけで達成できるものではありません。生まれながらの体に加え、家族のサポート、周囲の環境や食や風景など。その人と環境とが、共に重ね合わせてきての百歳。
ならば、こう言い換えてもいいかもしれません。百歳を迎えた人たちの心や体には、百年分の地域の歴史が刻み込まれている、と。いわきで百歳を迎えた人たちを紹介する新コンテンツ、いわき「百」景。百歳を迎えた人たちの言葉や表情から、「いわきで百年生きること」を考えます。
いわき「百」景 vol.5
木田 シツさん(100)
2019年2月15日、この日に百歳の誕生日を迎えたのは木田シツさん。大正8年2月15日生まれ。現在は、小川町にある介護老人保健施設「二ツ箭荘」で元気に暮らす、おしゃべり好きなおばあちゃんです。
シツさん、今日は100歳賀寿なので、おめでたい赤色のマフラーをまとい、ご出席。県、市、社協からたくさんの賞状・記念品を自らしっかり、そして丁寧に受け取ります。
シツさんは、平の夏井生まれ。実家は瓦屋さんだったそうで、若いころから、家に出入りする職人さんたちのために、料理を作ったりお世話係に徹していたそう。きっとその頃に料理の腕が磨かれたんでしょう。実家を出てからも、機会を設けてはたくさんの人に手料理を振る舞ったりしていたそうです。
昨年の2月に病気を患い、現在の住まいに移りましたが、それまでは自宅で生活。身の回りのことは自分でこなしていたとのこと。99歳まで自活できるということ自体が私には信じられませんが、その証が目の前にいらっしゃるということ。時間を共にさせていただいているだけで光栄です。
娘さんに聞くと、本人の性格は、裏表のない性格だとのこと。自分にも他人にも嘘はつかず、ありのままでいられるタイプだと話します。
元々旅行が好きだったようですが、なんと!海外旅行デビューが74歳!ふと娘さんが、海外旅行に誘ったところ、シツさんから「行く!」と元気な返答があったよう。その即答っぷりには娘さんも驚いたと話してくれました。しかもそこから、ハワイ4回、グアム1回、オーストラリアに1回行ったと聞いて更に驚き!
好奇心が旺盛だったとのことで、80歳から新たに社交ダンス・お茶サークルなどにも参加するようになったとの話もお聞きしました。そこでも、得意の料理やお菓子を振る舞ったりしていたそうで、お話しも好きだったのもあり、自然とシツさんのところに人が集まってきていたそうです。
おしゃべりする中で、いろいろな相談を受けていて、お困り事がある人に対してはとことん力を貸してあげるタイプだったよう。信頼の塊みたいな人だったようですね。
式典が終わる頃、娘さんからシツさんへ、お手紙を読んでくださいました。シツさんとの思い出や感謝の思いを言葉にしていて、「お母さんは子を常に思い、芯のある人です。今後もゆっくりおだやかに過ごしてほしい」
そんなメッセージを聞くシツさんの表情もとても幸せそうでした。
シツさん、本当におめでとうございます!
これからもお元気で!!
公開日:2019年03月11日
いわき市のセンテナリアン(百歳の方)
いわき市では、満百歳を迎えた方を表彰している。贈呈式には、いわき市に加え、福島県、いわき市社会福祉協議会の担当者も参加し、記念品や祝い金、賞状などが送られる。いわき市内の百歳以上の高齢者は、2019年2月15日現在で185名(男性22名、女性163名)となる。いわき市最高齢は、明治43年生まれの108歳。