“兄弟的福祉”のフラットな視界

ヘラルボニー 松田崇弥さん・文登さん


 

知的障害のあるアーティストの作品を取り入れた様々なプロジェクトを展開し、障害福祉だけでなく、その外側の領域からも熱い視線を集めるデザインチーム「ヘラルボニー」。中心人物の松田文登さん(写真・右)、崇弥さん(写真・左)の双子兄弟は、知的障害の兄を持つ当事者の家族でもあります。

しかし、なぜか二人のアプローチからは「福祉」や「課題解決」のような雰囲気がほとんど感じられません。なんでそんなフラットに、力を抜いて、でも突き抜けたデザインの企画ができるのか。なんでだろう、真似したいなあと、ずーーっと思っていたいごく編集部。その秘訣を探るべく、渋谷へ行って、おふたりに話を伺ってきました。

 

編集部:今日は取材を受けていただいてありがとうございます。先ほど読ませて頂いたヘラルボニーのパンフレットの冒頭にある、「異彩を、放て。」というキャッチコピー、ものすごくいいですね。障害が「異彩」というポジティブなものとして転換されていて、一瞬でイメージが変わるような力があります。まずこのコピーに込めた想いからお話を聞かせてもらえますか?

崇弥:ぼくらは重度の知的障害者とクリエイションする機会が多いんですが、彼らは普通じゃないんだってことをまず声を大にして言いたいんです。普通じゃないってことは可能性であり、特別な才能なんだと。障害の世界は「できないことをできるようにしよう」ってことをゴールにしがちですが、今できることをもっとできるように、今できることにお金がついてくるように価値を高めていこうという気概を込めて、このコピーを採用しました。

文登:この人にしかない価値なんだから、絶対認めたいなって思うんです。でもそういう伝え方に対しては批判も多いです。税金も納められないような弱者に生きている価値はないんだという優生思想的な批判も結構あります。仮に、弱者は生きられない、切り捨てるべきだとするならば、誰かを切り捨てたらまた何の役にも立たない人が切り捨ての対象になる。誰一人として幸せになれないはずなのに・・・、実際にはそういう声がまだまだありますね。

編集部:障害者をネタにするなとか、そう言う批判の方が多いと思ったら、まだまだ優生思想的なものが残っているんですね・・・。

崇弥:特に知的障害の場合、イメージの問題が大きいと思います。中学校時代、自閉症のある兄貴を馬鹿にする人がいました。その裏には、自分よりも能力の劣っている人を馬鹿にしてもいいという風潮があったのかもしれません。何かの役に立たなければいけない、役に立たないヤツはダメなんだと。だからこそ、すげえ、俺には描けない、すばらしいなって思ってもらえる機会を作ることでイメージを変えられないかと思っていました。

文登:イメージの問題はぼくも大きいと思っていますし、それ以前に知的障害を知る機会がないとも思っています。だから、偏見や差別を根絶しようというアプローチではなく、まずは知る機会を作りたくて「MUKU」というブランドを立ち上げました。障害に対するイメージの変容を促すような機会を増やしたい、という思いが強いかもしれませんね。

崇弥:イメージ変容というものを考えた時、アートはやっぱり強いと思います。「変える力」があるような気がするんです。デモのような直接的な訴え方、言葉や行動で変えるんだというアプローチではなく、作品に落とし込んだり、体験を通じて考える機会を作ったり、そういう直接的ではないアプローチのほうが効果的じゃないかと感じました。

それに、自閉症への差別をなくせと強く主張することが、逆に自閉症の人たちを「かわいそうな存在」に仕立てて、差別を色濃くさせてしまうような気もしていて。だからすごく難しいんだけど、まずは作品を見て、感じてもらう機会を増やしたいなと思っています。

 

副社長を務める松田文登さん。立ち上げの経緯やブランドに対する思いを軽やかに語ってくれた

 

編集部:もともとアートありきではなく、イメージ変容が大事だというのが念頭にあって、それを進めるためにアートに着目したというプロセスだったんですね。確かに、アートには伝える力、考えさせる力があるし、それがプロダクツになれば、その作品を身に付けることもできる。それはまさに「体験」ですね。

崇弥:体験すると世界の見え方が変わると思うんです。るんびにい美術館という、障害のある方の作品を展示する美術館が岩手県にあります。初めてその創作現場を目にした時、障害から生じる特性はその人にしかない才能だと感じたし、すごいなってリスペクトの対象に変化しました。あそこを視察した人のほとんどの人が同じような感想を持つそうです。障害が尊敬の対象になり、障害者という存在ではなく、誰々という一人のアーティストとしてリスペクトされるんです。

文登:すげえなと思ったのに、ぼくらがるんびにい美術館を見学させてもらった当時、それを検索しても、まだまだ盛り上がっている雰囲気はなくて。そこで、ぼくたちが重度の知的障害のある人たちのアートの価値を高めることで、イメージ変容をもたらすきっかけになるんじゃないかと思ったんです。

崇弥:そういう思いもあって、MUKUは、売れなくてもいいからとにかく最高品質を目指そうと思いました。最高品質でありアートだからこそ、リスペクトが生まれると思ったんです。リスペクトが生まれないと、個人にたどり着かず「障害者」で終わってしまう。自分でお金を出して買うという行為も重要な体験になると思いました。気軽に買える値段ではないからからこそ、純粋にいいものとして評価してもらえるはずだと。

 

間もなくローンチされるTOMORROWLANDとのコラボハンカチ

 

猪苗代の「はじまりの美術館」とのコラボTシャツ

 

編集部:ブランド立ち上げ当初は、障害者が作るプロダクツということをあまり出さない方向性も考えたそうですね。でも、今はあえて「知的障害」というものを敢えて押し出している。その変化についてはどのようなプロセスがあったんですか?

崇弥:兄貴は、日曜日の18時になったら絶対に「ちびまる子ちゃん」を見ないと気が済まないし、日々、これをやるんだっていう決まりごと、ルーティングのなかで生きていました。兄貴にとっては、絵を描くことも、歯を磨く時間を守るのと同じなんです。

そしてその「繰り返し」は、絵の中にも表現として描かれていました。彼らにしか描けない世界観があるということです。だから、「障害」をしっかりと出したうえで、その障害を絵筆にして、こういう世界があるんだってことを価値にしないといけないと思うようになりました。

今回、はじまりの美術館さんとのコラボでは、カジュアルなTシャツを制作しましたが、今後は、ネクタイとかハンカチとか、ホテルのアメニティとか、そういうラインナップで勝負したいと考えています。「障害者アートを用いたプロダクツ」が先立つんじゃなく、純粋にそれが欲しいって思ってもらいたいし、その人にしかできない表現をどんどん尖らせていきたいです。

 

重い話になりそうなテーマでしたが、笑顔の絶えないインタビューになりました

 

文登:彼らの表現が打算的じゃないのもすばらしいんです。1年も2年も延々と同じ作風を繰り返していた作家さんが、急に関心を失って別の表現に移ったり。そういうのを見ると、彼らは打算的にやっているわけではなく、そうしたいからそうしているだけなんだと思うんです。その欲求が、他者ではなく常に自分に向いている。そういう作品に出会うと、色々なことを考えさせられますよね。

編集部:はじまりの美術館でも、そういう表現を多く見つけました。しかも、それらを「アート」として捉えると「それもありだな」って思える。アートという言葉を都合よく解釈していると批判されるかもしれないけれど、その都合の良さは確実に彼らの本質を理解する助けになっていますよね。

文登:そうですね。あとは単純に、こういうプロダクツを作ったり、まだ見たことのない作品に出会えたりすることって純粋に楽しいじゃないですか。福祉の領域の内側でやるのは大変だと思います。だから、福祉の内側は一旦頭から外して、外の共感を獲得しようと思っていたんです。ものすごくいい成功事例を作れば福祉側にも逆輸入されるはずだし、そういう共感の作り方を目指してきました。

崇弥:知的障害に偏見を持つ人たちを怒っても、なにも変わらないじゃないですか。だから、その偏見の外側からイメージを変えていくことのほう大事なんじゃないかと思うんです。知的障害って、本人の生きにくさの問題よりも、社会のマイナスイメージのほうが課題として大きいんじゃないかと思っているところもあって。だから外側に価値を訴えたいと。

 

創業明治38年、紳士洋品の老舗「銀座田屋」とコラボしたMUKUのネクタイ(公式ウェブサイトより)

 

インタビューは、多くのクリエイターや社会起業家の集まる渋谷100banchで行われました

 

編集部:なるほど。二人にとってお兄さんは、あくまで普通のお兄さん。でも、一歩社会に出ると偏見に晒される。その意味では、お兄さんだけではなく、松田さんたちもイメージに生きにくさを感じていたわけですね。だからこそイメージを変えたい、社会にこそ訴えたいと思うようになった。そこで思うのは、おふたりが当事者の兄弟だということです。もし、当事者の親だったら、やはり自分が死んだ後のことの考えて子供を守ろうとするだろうし、社会ではなく個人にベクトルが向くんじゃないでしょうか。

崇弥:確かにそうかもしれません。ぼくたちはすごくフラットに兄を見てるような気がします。うちの父親なんて全然違いますから。兄を守らなくちゃいけないって思ってる。

文登:事業のことも「お前らまでそんな思いしなくてもいいよ。お前らまで巻き込んですまんな」って言ってくれるんだけど、こっちは「好きでやってるから」って。そういう意味では確かにフラットに兄を見てるかもしれませんね。ぼくらにとっては普通の兄ですから。それなのに、家の外に出たら普通じゃないと思われてる。ふざけんなって怒っても、兄のすごさは伝わらないじゃないですか。兄の価値をより外側へ伝えたかったっていうのが原点にあるのかもしれません。

崇弥:兄のノートとか見ると、独自のフォントとかがあったり、書く字にも規則性や繰り返しがあって、めっちゃすごいんですよ。そのノートに「ヘラルボニー」という謎のロゴマークを見つけて。それはそのままぼくたちの会社の社名になり、ロゴになりました。

編集部:ああああ、そこにつながるんですね。もしかすると、福祉の強度や愛の深さで個人に寄り添おうとする垂直の「親的な福祉」と、社会の偏見を解消しようとイメージ変容を水平に広げていく「兄弟的な福祉」の二つのベクトルがあるのかもしれません。両方あってよくて、二人の場合は、常にベクトルが社会の偏見に向けられる。いごくで前に特集した「認知症」のイメージの問題にも通じる、ものすごく大事な視座を頂きました。今日はありがとうございました!

 

兄のノートから名付けられた「ヘラルボニー」社。ロゴにも社名にも、ドラマがあります。

 

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インタビュー後記

終始和やかに進められた取材。二人のその自然な佇まいこそ、ヘラルボニーの価値なのだと感じました。とにかく力が入っていない。課題が重いと、思わず力を入れて訴えようとしてしまったり、相手にもそれなりのリテラシーを求めてしまいがちですが、とにかくゆるやか。取材というよりおしゃべりのような感じで、居心地がよかったのが印象的でした。

なぜなら、二人の目が向いているのは、障害や福祉にこれまで関心がなかった、もしかしたら偏見を持っていたかもしれない人たちだからかもしれません。専門性を押し出すのではなく、とにかく知ってもらうきっかけを作ろうとする。だから、専門性のない、興味本位の私たちをゆるり包んでくれるのでしょう。

やはり社会は急には変わりません。重い課題に接していると、課題の重さゆえ社会を大きく動かしたくなるものです。もちろん、そういう運動も大事だけれど、運動であればこそ、参加してくれる、同意してくれる人が多いほうが力になる。社会を変えたいと思うからこそ、ゆるく、かっこよく、力を抜いてイメージ変容。いい意味で力が抜けているんです。

こういう活動なので、ヘラルボニーの活動は、狙い通り、これからますます注目されていくのでしょうし、イメージを覆された人のなかから、新しい福祉の担い手や、社会運動の担い手が育ってくるかもしれません。重い課題だからこそ、ゆるく関心を起こす。いごくが目指すべき方向を再確認できる、とてもいい刺激を受けた取材となりました。

次号の「紙のいごく」では、少し別の角度から、二人のインタビューを紹介する予定です。紙のいごくもお楽しみに。(編集部)


公開日:2019年05月08日

ヘラルボニー

株式会社ヘラルボニーは、岩手県花巻市と東京を拠点に、社長である弟の松田崇弥、副社長で兄の文登の双子兄弟によって立ち上げられた福祉実験ユニット。「異彩を、放て。」をミッションに掲げ、企業・自治体・団体・個人の課題を洗い出し、仮説を立て、福祉を軸とした社会実験を共創している。MUKUのほか、「全日本仮囲いアートプロジェクト」など、知的障害とアートをキーワードに様々な活動を展開するなど、目下大注目のデザインチームである。