“きになる” から “はじまり” は生まれる

はじまりの美術館館長 岡部兼芳さん


 

障害のある人たちの表現に着目し、それを展示する美術館が全国で注目されています。猪苗代町にある「はじまりの美術館」もそう。昨年末から新年にかけて、はじまりの美術館では「福島県障がい者芸術作品展」が開催されていました。タイトルは「きになる⇆ひょうげん2018」。

 

ん? きになる? ひょうげん?

そのタイトルが “きになった” いごく編集部は、美術館の岡部兼芳館長と、学芸員の大政愛さんにお話を聞きに行ってみました。このインタビュー、すでに「紙のいごく vol.6」で短めのものを掲載していますが、こちらはその完全版。“障害者アート” がますます盛り上がりつつある今、はじまりの美術館は何を見据えているのか。じっくりと耳を傾けてみて下さい。

 

会場いっぱいに展示された作品の数々。どれも「きになる」から生まれている

 

編集部:今回の企画展、「きになる」というのがすごくいいコンセプトですね。造形的に優れているとか、美術の目から見て美しいというわけではなくて「きになる」。この言葉がタイトルになり、コンセプトになったのはどういう経緯があったんでしょうか。

岡部:展示自体は去年からのスタートなんですが、県から依頼を頂いたときに、全国のいろんなところでこういう取り組みが行われているなかで、普通にやるのはもったいないなと。障害者といわれる方だけの展示じゃなくて、障害にかかわる家族、支援者なども含めた広い公募にしようということになり、応募の要項も「障害をお持ちの方“等”」としてもらいました。

作品を選ぶにあたっては、優れているとか劣っているとかではなく、やっぱり自分たちが見て面白いって思うものをお借りして展示したいなと思っていました。そこで出てきたのが、「なにかやっぱりきになる」っていうことを大事にしようということでした。スタッフの小林から「きになるひょうげん」という言葉が出てきて、どんどん企画が膨らんできた感じです。

なにか「きになる」。それは自分の何かが動かされているということですよね。作品を作った人も何かが気になって作っているし、表現されたものを見た人も、何かが気になってくる。それによって自分の心の中の動きがいい方向に波及していくのが大事なんじゃないかと思い至って、『きになる』と『ひょうげん』のあいだに矢印「⇆」を入れることになりました。

編集部:「きになる」と「ひょうげん」が往復するように相互が関係し合う。それは障害者だけでなくすべての表現に当てはまる気がしますね。

岡部:誰かがなにかを作っていても、それをゴミとして捨ててしまっては終わりだけれども、だれかが気になって、それが世に出ていくことで、「きになる」ことが、なにか上に向かっていくスパイラルのような好循環を生む、そういうことがイメージできたんです。私たちも、とても納得のいくタイトルになりました。

 

作者は何が気になったんだろう。表現が、観覧者の次なる「きになる」を生む

 

編集部:なるほど。「きになる」ということが表現の根源にまずあって、それが制作にも、理解や支援にもつながっていく。そしてそれが循環し続けるというのがタイトルに込められていたんですね。そして「きになる」という言葉には、いいものも悪いものも含まれている感じがして、それもいいですね。

岡部:そうなんです。「うわ、なにこれ気持ち悪い」というのも「気になる!」なんですね。それに、どれだけ気になったか、という基準で評価していくことで、これまでとはちょっと違った評価軸が生まれるような気もしました。少なくとも優劣では判断しないぞと。そのフラットな感じも、はじまりの美術館にとてもマッチした気がします。

編集部:この「きになる」と「ひょうげん」の間に矢印を入れようということになったのは、誰の提案だったんですか?

岡部:矢印「⇆」を提案したのは学芸員の大政です。

大政:はい。当初から、二つの言葉の間になにかを真ん中に入れようというのは考えていました。そこで「関係性」がキーワードとして出てきていたので、双方に行き交うみたいな意味で矢印がいいんじゃないかと。矢印の方向も重要で、まず「ひょうげん」から「きになる」に向かう矢印が最初にあって、そしてその「きになる」が「ひょうげん」になっていくんです。

岡部:美術館を名乗っているのに「アートってなんだ?」ってことをかみ砕いていったら、正直よくわからなくなってきてしまって。そこで原点に立ち返って思ったのは、「気になって誰かの気持ち動いたら、それはアートなんじゃないか」っていうことでした。

編集部:なるほど。気にさせる力がアートにはあるということかもしれませんね。

 

学芸員の大政さん。斬新な視点を福祉に向け続けている

 

-気になって誰かの気持ちが動いたら、それはアートなんじゃないか

岡部:今回展示された作品ではないのですが、表現というものに関して私が個人的に「ああそうか」と思わされた作品があります。佐久間さんという、手の感覚がすごく好きな人がいつも触っている「ジャラジャラ」を作品として展示したものです。

佐久間さんはペットボトルのキャップとか、ビーズとかをジャラジャラしてるのが大好きで、佐久間さんの担当になると、佐久間さんがジャラジャラを楽しめるようにアイデア出しをいっぱいするんです。佐久間さんは口の周りを触ったりするので、衛生面を考慮するとビー玉がいいんですが、飲んじゃう人が近くにいたら使えないし、袋に入れて渡すと投げて割れてしまったりするんです。そこで支援員がそれぞれ工夫を凝らして、プラスチックの素材にしたり鎖のようにつなげたり、支援ツールとして作っていく。それに大政が目をつけて、これもひとつの作品じゃないかと言うんです。

 

佐久間さん。だいたいいつも何かを手に持って、その感触を楽しんでいる

 

支援員が作ってきたジャラジャラ。佐久間さんと支援員の共作だ

 

編集部:なるほど。そういう行動って、ふつうは迷惑だからとか衛生上よくないとか、そういう意味でやめさせてしまうものですよね。けれど、佐久間さんはそれが心地いい。運動でもあり、踊りでもあり、音楽表現でもある。ジャラジャラは佐久間さん自身だとも言えるのかもしれません。

岡部:私も1、2年くらい担当だったときがありました。私が作ったのは玉砂利を入れたものでした。最初ヒットしたんですけど、ポンって投げちゃうと砕けちゃう。そのあとのスタッフはパチンコ玉とかメダルとかを入れ始めて、それを袋に入れたのがヒットしましたね。

編集部:まさに支援であり、関係性が刻まれたアート作品であったと。

大政:はい。こういう作品も集まるような公募展ができるといいなと企画段階から考えていました。障害のある人だけでなく、その周りにいる人も巻き込めたらいいなと。アール・ブリュットって、だれか発見者がいて初めて出てくるものだと思うんです。だから、作家本人だけじゃなく、その周りの人たちもある意味作家と呼んでいいと思います。

 

岡部館長は、元々は福祉畑の人。芸術と福祉の「あわい」を探し続けている

 

編集部:なるほど発見者ですか。福祉施設においては第一発見者イコール支援者でもある。本人と支援者で一組の作家。なんかとてもいいですね。もし皆さんと施設で会ったら、私も支援に回ってしまうかもしれないけど、芸術やアートを通じて接するとフラットに作家だと思えるのが不思議です。出会い方で、その人の見方が変わってしまいますね。

岡部:はい、そういう入り口はとても大事だと思いますし、でも実際に会ったとしても、その人の面白さは変わらなかったりします。高齢者にも障害者にも、堰き止められてるような何かがあるんです。でも、関係性が固定されてしまうと、支援する人される人の関係になってしまう。表現、アートを通じて関係性が一度壊れるというところが面白いのかもしれません。

編集者:そうか。そういう意味では、子どもたちだって何か気になってるから絵を描いたりするわけですよね。彼らは何が気になっているんだろうと想像したり、コミュニケーションしてみることが、その人をフラットに知るための回路になる。気になるということから始まって、想像やコミュニケーションが膨らんで、理解が深まる。そんな感じでしょうか。

大政:今回の展示でも、会場に入ったすぐのところに「あなたが一番気になるものを葉っぱに書いてください」と、感想を書き込むコーナーを作りました。

編集者:なるほど! 気になることを葉っぱに書いて、それがたくさん集まって木になる!

大政:はい。ふつうの公募展とかって点数が多いのでさらっと見てしまいがちですよね。そういう仕掛けを入れておくことで、では自分はなにがいちばん気になるんだろうって、皆さんが考えながらじっくり見てくださる気がしたんです。支援者やご家族も、いつもの支援の現場とは違った視点で、「気になるってどういうことだろう」っていう問いが自分にも向いてくる、というか。

編集部:「きになる⇆ひょうげん」って、なんかすごくほわっとしたタイトルのように思えますが、気にならなければ、きっかけが生まれないわけですから、主催者側は、観覧者が気になるような環境を作らないといけないですよね。

岡部:審査員を務めてもらった美術家の日比野克彦さんや県立博物館の川延さんに、審査したあとに再来場してご覧頂いたんですが、審査の時は床に直置きして審査してもらったので、展示した後の状況を初めてその時ご覧いただいて、「こんなのあったっけ?」なんてリアクションがあったのも興味深かったですね。展示の方法かもしれないし、その時の気分もあるかもしれない。何が気になるかは、すごくゆらいでいたりするんです。

編集部:何が気になるかが変化するかもしれない。そのゆらぎも面白いですね。

 

表現とはなんだろう。きになるとはどういうことだろう。問いがぐるぐると回っていく

 

ーアートの見方だけではなく、福祉の見方だけでもなく

岡部:実は支援も同じで、新卒で入ったころは気になることだらけだったのに、ルーティンワークになっていくなかで当たり前になっちゃう、なんてことはいっぱいあります。

編集部:だからこそ大政さんのように、福祉や支援ではない、たとえば美術を専攻してきた人たちの「気になるセンサー」が大事なのかもしれませんね。気になった大政さんが「これって作品になるんじゃないですか」って言った瞬間に、支援のほうにも「気になる」のスイッチが入る、というか。

大政:そうですね。一方で、外部の視点も大事だけれど、その外部の私は、内部の人が面白いと思うことを知りたいと思ってるんです。障害のある人たちと、もっとも密に接しているのは現場のスタッフたちです。私たちは見た目とか要素とかで判断してしまいがちですし、それが正解とは限りません。現場の皆さんから「大政さんに選んでほしい」とか「美術わかんないから教えてほしい」とか言われるんですけど、それはちょっと違うなって思ったりもしています。

編集部:そうか、大政さんだけになってしまうと、それはそれで美術だけの評価軸になってしまうということですね。

大政:このバランスがほんとうに難しいんです。私と一緒に作品を見ましょうというのはいいかもしれないけど、私だけがいいと言ったものを展示するのでは本末転倒です。

編集部:そうですね。福祉の現場の人たちだけではだめ。かと言って芸術の人だけでもダメ。お互いが干渉しながらも、あくまで現場の人たちが面白がれる環境で、美術の視点が生かされていくというのが理想かもしれませんね。

岡部:福祉とアートの協働の話で言うと、うちの利用者さんの作品から、次に残したい作品を50枚選んでポストカードにしようという企画がありました。その時に「大政さん選んでよ」っていうことになったんですが、やはりそれでは意味がない。で、じゃあ自分たちが残したいのは何だろう、その基準を考えようということになって、基準を作るところから始まりました。ここに展示されてる50枚は、その基準によって選ばれたものです。

編集部:ああ、それはいい協働ですね。現場の人たちが美術の観点も入れながら作品を選ぶルールを作る。それ自体がまるでアートプロジェクトみたいですね。

大政:基準が面白いんです。メジャー、インパクト、ルーキー、エピソードの4つの基準があって。メジャーはこの人といえばこれだよねっていう代表作。インパクトはこれすごいよね、これやばいよねっていうもの。ルーキーは誰も知っていないけどスタッフが推したいって思えるもの。エピソードは関係性とか、見ただけじゃわかんないけどその人の何かが籠っているもの、という分け方にしました。美術的にみると「なんでこれが?」っていうのもあるけど、面白いルールだなと思いました。

編集部:美術側の大政さんはルールを作るところには参加するけど、実際に選ぶことまでしないんですね。なるほどそういう関わり方がよかったのかもしれませんね。大政さんが美術の視点で作品を選び続けたら、現場は大政さんに依存してしまうだろうし。

岡部:そういうプロセスを経たうえで、もう一度利用者さんに向き合う。つまり芸術を通じて関係性が再構築されると、ああそうか、こんなもの作ってたのか、なんでこんなことやってたんだろう、そう問いが支援する側にも生まれてくるんです。

例えば、そのポストカードの1枚に、根本さんという方が描いた、色鉛筆でガッと線が引かれた作品があるんですが、実は根本さんは視覚障害を持っています。描くたびに色を選んでるんです。職員同士でも、作品を鑑賞したあとに、もう一回なぜ根本さんはこの表現しているのかという振り返りも行いました。

 

視覚障害のある根本さんが描いたというカラフルな線

 

編集部:なぜその人がその表現するかって、やっぱり「気になっているから」なんでしょうね。なにかが気になっているからそれを表現してしまう。その理由を知ろうとすることって、それこそ支援であり、福祉の本質のような気がします。なんでだろうって考えなかったら、床も汚すし迷惑だ、みたいな反応にはなりにくい。少し余白が生まれますね。

岡部:問題行動と言われてるものだって、口で説明できなくて、どうしようもなくてやってたりするわけです。原因を探ると、あぁそういうことか、ということに突き当たる。そういうことはよく起こり得ますよ。

編集部:あああ、例えば認知症で言うと、徘徊してしまうのも、故郷のことだけ覚えていてそこに帰りたくなっちゃったとか、奥さんを探しに行っちゃったとか、何か理由があるはずだってことと同じですね。そのときに「なんで外に出るの!」「迷惑だ」と鍵を締めるんじゃなくて、行動の裏側にある理由を知らないといけない。

大政:理想は、展示に来てもらって、そういう表現の根源にあるものに触れて、それぞれの現場や日常に戻って頂くことかなと思っています。

 

きになる作品がもっと地域に出ていかなければいけないと語る岡部館長

 

-「きになる」機会を、もっと地域に

岡部:最大の課題は「きになる」機会が、地域にほとんどないということだと思います。障害福祉事業所とかには集まってはいるかもしれませんが、本当は地域に点在していたほうがいい。施設や病院に押し込めるのではなく、障害のあるみんなが地域に戻っていくことが、自分たちの仕事として大事だと思うようになりました。つまり、障害福祉の地域への移行です。

編集部:なるほど。「きになること・もの」というのは、そういう意味では地域の共有財産だと言っていい。そんなすばらしいものを、施設や病院に押し込めていたら、それこそ社会の損失かもしれませんね。

岡部:今回の展示なんて、ほんとうにごく一部ですから。

編集部:もしかすると、そういう「きになる」を社会に分散させていくには、障害者とか高齢者とか子どもとか、そういうカテゴライズ自体が不要なのかもしれません。ごちゃまぜに分散させていくというか。もしかしたら「アール・ブリュット」みたいなものも。

岡部:はい。名付けの問題は自分たちもずっとモヤモヤし続けています。アール・ブリュットしかり、障害しかり。結局、そういう名前って、支援が必要な方に支援が必要ですよと認定するための基準なだけで、その人を説明するものではない。それなのに、ナントカ障害はこういうもの、別の障害はこう、みたいな固定的なイメージが付いていっている。そこをどう崩していくかが、今後のカギになっていくと思います。

編集者:過渡期的なものなのかもしれません。それでも何とか模索してやっていくしかない。それで言うと、今やはじまりの美術館は、「障害者アートの美術館」ではなく「きになるひょうげんの美術館」ということなのかもしれません。

大政:開館から5年経って、ちょっとずつ変わってきていると思います。

岡部:たぶん、近い未来には「きになる」ということもまた、アップデートされて変わっていくかもしれません。そういう変化を敏感に感じ取れる美術館でありたいなと思っています。

編集部:いやあ、今日は本当に面白い話をたくさん聞かせて頂きありがとうございました。障害者、高齢者、障害。そういうカテゴリを超えて個人に接近するために必要な「きになる」というものの、なんというか解像度がグッと上がった気がします。いごくのアート特集にも役立てます。今日はありがとうございました。

 

おわり

 

プロフィール 岡部 兼芳(おかべ・たかよし)さん
1974年郡山出身。福祉作業所の支援員・中学校教員を経て、社会福祉法人安積愛育園に入職。知的に障がいをもつ利用者の表現活動をサポートする「ウーニコ」に携わる。2014年からは、福島県猪苗代町に開館した「はじまりの美術館」で館長を務める。

 

 

プロフィール 大政 愛(おおまさ・あい)さん
1991年愛媛県生まれ。はじまりの美術館 学芸員。2016年 東京藝術大学大学院美術研究科修士課程修了。2016年より現職。これまで企画した展覧会に「あなたが感じていることと、わたしが感じていることは、ちがうかもしれない」「えらぶん:のこすん:つなげるん」など。

 

 

 


公開日:2019年07月19日

はじまりの美術館

猪苗代町に2014年6月に完成した美術館。築130年の酒蔵「十八間蔵」を改修して作られ、studio-Lと恊働したコミュニティデザインでも知られる。運営母体である社会福祉法人「安積愛育園」は、同法人は、設立から約50年にわたり主に知的に障がいを持つ方の支援事業を担ってきた。美術館では、アール・ブリュットの展覧会・イベントをはじめ、地域コミュニティーの活性化のための企画が多数開催されている。