誰もが帰ることのできる「巣」をつくる

NPO明日飛子ども自立の里 清水国明さん


 

いわき市平上荒川。新しく完成したソーシャルインクルージョン拠点「あらたな」に、社会に出ることに難しさを抱える、いわゆる「ひきこもり」の若者を支援する「NPO明日飛 子ども自立の里」が入居しています。私たちの生活からは見えにくく、支援の手が回りにくい「ひきこもり」という課題。代表を務める清水国明さんは、どのような思いで、その課題に向き合っているのでしょうか。お話を伺ってきました。

 

編集部:今回は、取材を引き受けていただきありがとうございます。まず、明日飛さんはどのような法人でどういう支援をされているかを教えていただけますか?

清水:いわきでは、若者の居場所づくり支援をしています。ひとつは、平の五町目でサポステ、いわき地域若者サポートステーションを運営しつつ、この「あらたな」でも、社会に出ることに困難さを持っている若者を受け入れ、様々なサポートをしています。それとは別に鮫川村で「生活コース」という、宿泊型のジョブトレーニングも行なっています。生活コースは、昔は「山村留学」という名前でやっていたのですが、牧場もあり、加工品づくりの手伝いなどもやっています。

いわきでの活動は、震災後に始まりました。震災前にサポステができ、当時は茨城にある団体が運営していて、私もカウンセラーとしてお手伝いしていたんですが、震災後、その団体の事業を引き継がせてもらいました。鮫川といわきを比べると、いわきは人が多いですね。それに、震災後いろんなところから避難されている方がいるので環境が多様だなという印象があります。

 

鮫川の美しい自然の中にある明日飛の農場(明日飛ウェブサイトより)

 

編集部:もともとどんな経緯で、現在のような事業を始めたんですか?

清水:もともとは、「ねむの木学園」という静岡の養護学校に勤めていたんです。その頃に子どもが生まれたんですが、仕事に取られる時間が多く、なかなか子どもと向き合えなくて。預かっている学園の子と自分の息子が一緒にいたらどんなに幸せだろうと、それで山村留学を自分で開こうと思ったんです。ねむの木に勤めていた仲間と3家族でスタートしました。

せっかく始めるなら日本で一番子育てしやすい場所を選ぼうと。それで、いろいろ探していたら福島にたどり着きました。人のやさしさとか、食べ物の美味しさとか。本当の空があって桃が美味しい。それで、県内各地の役場にやらせてくれないかと手紙を送ったんです。そうしたら鮫川村から、もっと詳しく話を聞きたいと声をかけてくれて、それでやることになりました。

編集部:おお、それで福島に。なんだかとてもうれしいです。

清水:引っ越したのは、昭和62年の12月です。もう32年前くらいになりますかね。そして63年に山村留学を開園しました。最初は面白おかしくやっていたんですけど、だんだん思い通りにいかないというか、どうしてだろうっていう子が多く来るようになりました。

例えば、せっかく自然を体験するために来たのに部屋から出ないとか、モノを盗ったりしても平気でいられるとか。ある機会にちょっと話を聞いたら、親からすごい虐待を受けていて。それでこんなつらい思いをしているんだ、ということを知りました。

来てから随分時間が経っているのに、ほとんど話さないでいる子どももいました。話すスキルがない、それで何かやらかしてしまうんですね。でも、そこには必ず意味理由があるんだと学びました。私は「自分たちを父ちゃん母ちゃんって呼んでくれ」って言っていたんですが、こんなに君たちのことを知らないで預かるなんて、ひどい話だよねと反省しました。

ひきこもりの子も、どんな子もそうなんですけど、一番言いたいことは「わかってほしい」なんです。でも私は、わかっているような顔をしてわかっていなかった。それが恥ずかしくて、それで慌ててカウンセリングなどの勉強をしてNPO法人を立ち上げたんです。

発達障害とか、愛着障害とか、いろんなことを学ぶとね、彼らの行動が理解できるし、責めたり正したりすることで治ることではないと知りました。辛さに沿っていきたいなあと。何もしてあげられないけど、わかる人になりたいなあと、そんな思いでNPO法人をやってきたんです。

編集部:そんな思いがあったんですね。

 

インタビューは、明日飛の事務所のある「あらたな」で行われました。スタッフの神永さん(左)と清水さん(右)

 

-帰れる巣があることが、一歩を踏み出す原動力になる

清水:ある時、山村留学をやっているひきこもりの子から、まだここに居たい、家には帰りたくない、でも親がお金払えない。清水さんのやってることは、俺らを階段を昇らせてそこから突き落とす仕事でしょって言われたんです。

彼らからすればスキルアップだとか、これで大丈夫だとか言われて、でも、その先って何も無いわけですよね。その階段から突き落とされる感覚ってすごくよくわかるような気がして。それで親がお金出さなくても、ここにいられるにはどうしたらいいか考えたんです。

ちょうどそれより前に、自閉症の子が働く場所がないというので、自分たちで自然養鶏をやっていたんです。その養鶏をやっていたのと、自分自身が学生の頃牧場にバイトに行っていたのが重なって、じゃあみんなで牛を飼って牛乳を搾ろうということで、20年ちょっと前に牧場を始めていたんですね。

それで家に帰りたくない彼らと一緒に牧場を始めたら、面白いことにずっと居たいって言っていた子たちがどんどん帰っていく、巣立っていくようになったんですよ。もう終わりだから帰れって言うと居たいと言い、居てもいいよと言うと帰る。そんな逆転現象があって。

それもすごくよくわかるんですよね。巣立つけれど、帰れる巣があるのが理想ですよね。本来自分になんかあったときにいつでも安心できる場所っていうのは家庭であるはずなんです。でも家庭に安心を感じられない子には、家ではなくても帰れる巣があることが、一歩を踏み出す原動力になるんだなっていうことが分かりました。

編集部:逃げ帰れる場所があること。それが今の居場所事業につながっているわけですね。

清水:そうですね。今も、ひきこもりとか、ニートとか、不登校の子たちとかと関わらせてもらっていますが、とにかくみんないい子たちなんですよ。気質的にわかりにくい子もいるかもしれないけれど、みんないい子で面白いですね。ただ、みんな苦しんでいる。

この子たちの苦しさってなんなのかなと考えていて気付いたのは「ズレ」だったんです。例えば、病気の人が苦しいのは、健康でいたいというベースがあって、それとズレている。この子たちが苦しんでいるのは、本当はこうしたいっていうベースと、今いる自分がズレているんだろうなと。

でも親を変えたいと思っても、環境を変えたいと思っても、親を変えるってできないし、人を変えることはできない。けれども、もしかしたら、この子たちが捉え方を変えたら苦しさも変わるのかなって。そこなら、もしかしたら手伝えるんじゃないかなっていうのがあって、ここの仕事を続けています。

編集部:そうした子どもたち、若者たちは、今では「自己責任」と言う言葉で追い詰められてしまうような風潮もあります。支援を長年やってきて、時代の変化もたくさん感じてこられたのではないですか?

清水:やっぱり子どもたちがネットに依存しすぎるのはよくはないんだろうなと思います。でもそこは無くせないですよね。これからどう機械に使われるかではなくて、人が機械をうまく使うにはどうしたらいいだろうか、ということを考えないといけません。

ネットって感情の機微がわからないから難しいですよね。例えば、あいつはダメだっていうと、一斉にその人をたたき始める場面がよくあると思います。それって憂さ晴らしというか、自分は本当は違うものに怒っているのに、代わりに怒るものが欲しいってことなんですよね。それも時代なのかもしれません。

怒りってね、一番感情のなかで出口に近い感情で、表に出やすいんです。怒らせてあげないといけないから、よく刺激したりもします。感情は物理的なエネルギーですから、出さないと溜まっていって、大爆発を起こしたり大事件を起こしたり、そういうものにつながってしまうかもしれない。できたら健全に出したいですね。人を殺すなら万引きのほうがいいし、万引きよりスポーツで出すほうがもっといいはずです。

あとは親の変化もあります。言っても伝わらない親がいっぱい出てきたような実感があります。時代が変わったといわれればそこまでなんですが、そこも親に伝える工夫、なんというか親と成長し合える関係が必要だと思います。それからもう一つ、許される社会にしたいということも考えています。子どもって、厳しくされるからではなく許されるから育つんだと感じてるんです。

編集部:なるほど、厳しくするのではなく、許すこと。身につまされます。

清水:ある、万引きが止まらない子がいました。警察には何度も捕まっているし、少年院にも送られているんですね。頼まれてその子を面談をしたときに、ぼくはその子に「万引きしてくれてありがとうね」って言ったんです。悪いことして怒られるって普通ですよね。でも、悪いことして褒められたらすごくユニークじゃないですか。それで、ふっと伝わるときがありました。

彼らはこれまで散々虐待されてきたんです。本当は親を殺したいと思っているかもしれない。でも親を殺さないで、万引きのような軽犯罪におまけしてくれてありがとうと。それで、その子が万引きやめたというエピソードが印象に残っています。どんな人だって善く生きたいというのは必ずあるんですよ。でもその気持ちは、許されないと出てこないものなんです。

 

その話ぶりから、穏やかな人柄が滲み出ていらっしゃった清水さん

 

編集部:ひきこもりやニートの状態にある方の存在は、その人の家にいるわけだから、私たちには見えにくい問題です。けれど、実は誰にだってそうなりうる可能性があるし、社会の一員として受け入れるという意味でも、関係ない人なんていないですよね。これからの支援に必要なものは、どのようなものだと考えてらっしゃいますか?

清水:引きこもりやニートの子に必要なものは5つくらいある気がしていて。まず絶対に信頼できる人、仲間、場所、時間、そしてそこへ関わる方法。家庭が無理ならば学校、学校が無理ならそれ以外でって言われているけれど、それが今、かなり厳しくなっています。

私たちが今やっている「居場所事業」なんかはそれに該当するんだけど、我々としては信頼できる人、仲間でありたいと思っているし、場所と時間は作ってもらえたわけで、あとはどう関わるかが大事。今はもう家庭に求めるのはムリで、できないことを求めるのはお互いにきつくなるだけです。大人には行きつけのクラブとかスナックがあるかもしれないけれど、子どもにはないんですよね。

国の政策にも翻弄されてきました。財源が取れなくなり、大義名分が必要になってきました。とにかく就労を目指して、自立して訓練するんだと。そういう事業をすべきだという政策になってきています。半年くらいで就労を目指すとか、せっかく取り組みが始まったのに3年で事業がなくなってしまうとか。本当は、いつだって帰って来られる巣を作らなければいけないのに、そういう事業がしにくくなってきています。

編集部:半年やそこらで就労できたら苦労はないですし、絶対にやめたらいけない事業なのに、3年やそこらでストップしてしまうのも辛いですね。そもそも、こういう場所って社会の中に存在するべきものだって、当たり前のものだって考え方にしないといけないのかもしれない。

清水:そこで、いわき市の独自事業として、みんなの居場所事業が始まって、ここに事務所を構えることになりました。例えば県の「ユースプレイス」の事業だと対象は15~39歳です。けれど、いわき市は対象年齢を取っ払ってくれました。

これからは、じっくりと腰を据えて、水族館の水槽のような場所を作りたいと思っています。怪我したお魚がいて、水族館の水槽で手当てをする。すごく元気になったから海に逃がしてあげようとすると、また溺れる。水槽の中なら安全だと思うから泳げるのに、外は怖いと思うとすぐ溺れてしまうわけです。だから、うちでやりたいのは水族館の水槽ごと海に沈めて、気が付いたら自分は海で泳いでいた、というような環境づくりです。

編集部:必要なのは、社会に出る場所ではなく「帰って来られる場所」なのかもしれません。そういう意味では、助成金などに左右されない、ある意味、地域にあって当たり前のものにしないといけないのかもしれません。私たち社会の問題として、当事者の一人として、私たちも考えていきたいと思います。今日はありがとうございました。

おわり

 


公開日:2019年08月01日

清水 国明(しみず・くにあき)

1957年東京生まれ。1981年よりねむの木学園に勤務。その後、1988年よりふるさと留学学園を主宰。多くの子どもたちを預かる。2002年にNPO法人明日飛子ども自立の里設立し、現在に至る。キャリアコンサルタント、自立支援カウンセラー、福島県社会教育委員、スクールカウンセラー、鮫川村薬物乱用防止指導員、福島県家庭教育インストラクターなど、地域の「子ども」や「ひきこもり支援」に関する様々な活動を続けている。