自転車は、いわきをもっと楽しくできる

いわき市泉町 権丈泰巳さん


 

知っている人は知っているかもしれない。いわき市の沿岸、新舞子ハイツに、今年6月「新舞子サイクルステーション」が完成した。自転車を使った観光「サイクルツーリズム」の振興や、市民の健康増進を目指す拠点として期待されているものなのだが、そのステーションの運営に、ある「大物」が関わっているのを皆さんはご存知だろうか。その大物は、なぜいわきにいるのか。いわきで、何を企んでいるのか。話を聞いてきた。

 

編集部:こんにちは、今日は取材で参りました。いごく編集部です。よろしくお願いします。

権丈:よろしくお願いします。権丈泰巳です。けんじょう・たいしと言います。

編集部:こちらこそよろしくお願いします(名刺を受け取りながら)。今日はですね、いわきで自転車に関してとっても面白い取り組みをしている人がいると聞いて取材にやってきたのですが、うわ、権丈さん、日本パラサイクリング連盟の・・・せ、専務理事でいらっしゃいましたか。パラサイクリングって、つまり今度の、東京2020の・・・ですよね? うわ・・・い、いきなりスケールが大きくなって驚いてるんですが、せ、専務理事がなぜいわきに・・・?

権丈:実はですね、日本パラサイクリング連盟の事務所は、いわき市にあるんですよ。

 

新舞子ハイツにできたサイクルステーションで話を聞いた

 

編集部:えっ? ええええっ? うそ・・・全然知りませんでした。うわ、確かに、住所がいわき市常磐上湯長谷町釜ノ前1番地の1・・・って、これいわきFCのある場所じゃないですか!

権丈:そうなんです。今、間借りさせてもらって事務局を運営しているんです。

編集部:マジか・・・全然知りませんでした。でもどうしてまたいわきにいらっしゃったんですか? まさかいわきにパラサイクリングの拠点があるなんて・・・(いつの間にそんなに自転車のまちになったんだ)。

権丈:いわき市のほうから「合宿だけでもいいから来て欲しい」とオファーがあったのが最初のきっかけです。連絡をもらった時、ちょうどぼくは青森にいたんですよ。普通に、新幹線沿いに町があるのかと思って「じゃあ、帰りがけに寄りますよ」って地図も何も見ずに来たら、新幹線沿いに全然いわきがない。レンタカーを飛ばしてここまで来ました(笑)

編集部:遠方から来る人あるあるじゃないですか・・・。

権丈:最初は、合宿するにはこんな遠いところは無理だなーと思って、「用事があるんで帰ります」って翌日に帰っちゃったんです。でも、また別の担当の方が伊豆にまで来てくれて。これは一度ちゃんといわきを見に行かないといけないなと思って来てみたんです。そうしたら、競輪場が市役所の横にあるし、新舞子ハイツも来させてもらって、サイクルステーションの構想まであると知りました。

 

いわきの魅力、それは「惜しい」こと

編集部:そうだったんですね。確かに競輪場もあるし、このステーションもできましたしね。いわきは自転車乗りにとっては魅力的かもしれません。

権丈:ただね、ハードができた後の仕掛けをどうするのか行政の方に聞くと、ハードの話だけで終わっちゃうんです。それじゃあ勿体ない。でもその勿体なさ、惜しいって感じがいいな、とも感じたんです。この数年、競技ではなく、町に溶け込んだ活動がしたいと思っていたのもあって、逆に興味が湧いたんですよ。とはいえ、パラリンピック後に来ますというのでは「終わってから来たの?」と思われますよね。それも癪だなと思って、去年、いわきに引っ越してきたんです。

編集部:そうだったんですか。

権丈:実は、オリパラの自転車会場は静岡県になっています。いわきに行くという話をしたら「なんで静岡から出て行くんだ」って副知事からお叱りを頂戴したんですが、「静岡じゃできないことがいわきでできそうなんですよ」とお答えして…。

編集部:そこまでしていわきに…。本当にありがとうございます。いわきで自転車というと、七浜街道がようやく完成して、自転車に乗っている人の数も増えたなと感じます。いわきのポテンシャルってどんなところにありますかね? 

権丈:そうですね。さっきも言いましたけど、惜しいところがいっぱいなのが魅力でもあると思います。本来は、こういうことがしたい、だからこんな風にハードを整えようと考えるところですが、まだまだハードありき。

ですから、これからどういうソフトを用意するかが大事。たとえば、45歳前後の方、5、6人に集まってもらって、七浜街道いろんな区間を走ってもらって、障害のある方にも優しいコースを作ったらどうだろう、と考えています。多分、彼らが走れるコースならば、子どもも女性も走れるコースになるんだろうなと。

うちに所属してもらっている障害のある選手たちが、いわきを拠点に「あなたの町にサイクリングコース作ります」なんて形で発信していって、全国に赴いて優しいコースを作る、なんてことで収入が得られるようになったら面白いなと思っています。

編集部:おお、それは面白そうですね。いわきから「優しいサイクリング」が発信できたら、ぼくたちも堂々と乗れそうです。

 

障害のある人たちとサイクリングコースを作る取り組みは、すでにいわきで始まっている

 

新舞子サイクルステーションには、少しずつパラサイクリングの自転車が入ってきたところ

 

権丈:それから、横のつながりがないことも惜しい。行政ひとつとっても、土木課が受注している道路の仕事、スポーツ、そして観光の部門がバラバラですよね。せめて市役所に「自転車振興課」みたいなところがあって、それぞれの課から1人ずつ出向という形で入ってもらって、そういうところにぼくらも混ざってやれたら、いろいろなことができるはずです。いや、自転車だけが盛り上がっても面白くない。サッカーも一緒にやったらいいですよね。

編集部:サッカーも盛り上がって来ましたしね。スポーツがつながりつつ、障害福祉や地域づくりとか、暮らしに接続していく弾力が出てくるといいですよね。

権丈:そうですね。いわきのライダーの皆さん、まだまだひとりで走ってる方が多いように見受けられました。だから、この場所(新舞子)を集合場所にして、いろいろな人たちが集団でコースを走るような動きを作りたいし、そもそもそのためにこの場所が作られたと思うんですよ。競輪場も同じです。誰も使ってなくてもったいないですよ。一般の人も一緒に走れたら絶対おもしろいはずです。

編集部:行政の横の連携ができたら、スポーツの部分だけじゃなくて、産業とか福祉ともにも良い影響を与えられるかもしれないですね。そして、そういう地元の盛り上がりがあったうえで、いろいろな大会があるのが理想ですよね。

それにしても、マジでいろいんな自転車があるんですね(目の前の、権丈さんが持ってきてくれたパラサイクリングの自転車の資料をパラパラとめくりながら)。本当にパートナーみたいな。障害のある人たちにとったら、身体が拡張されたものっていう感じ…。

 

手で回す「ハンドサイクル」。「足でこぐ」なんて狭い世界の話だったのだと気づく

 

権丈:はい、まさにそうだと思います。でも、べつに障害があろうとなかろうと、手でペダルを回すハンドサイクルの自転車に乗ったっていいんですよ。親子や恋人同士でタンデム(二人で乗るタイプ)に乗ったっていいんです。たとえば、タンデムなら、そうだなあ、「タンデムタクシー」とかね。予約制にして、ライダーが運転してお客さんは後ろに乗る。視覚障害の人が一人できても、だれかが前に乗ってくれたら簡単に移動できるはず。

編集部:おおお、映像が思い浮かびますね。いわきは製造業が盛んな町ですよね。だったら、町工場の人たちと共同でパラサイクルの自転車を「メイドインいわき」で作ったっていい! 福祉事業所の皆さんと体験乗車をしたら面白そうです。自転車が、地域をつなぐハブになる、そんなイメージが湧いてきますね!

権丈:そうですそうです。

編集部:改めて伺いたいんですが、権丈さんにとっては、自転車ってどんなところが魅力ですか?

権丈:やっぱり、楽しいですよね。景色も変わるし、風も感じられるし。ひとりでも楽しいし、ふたりでも三人でも楽しい。もともと自転車に興味を持ったのは、中学校の時に、NHKでやってたツールドフランスを見たことです。20日くらいかけて、だいたい3000キロ走るんですけど、「すげえ! 自転車でこんな距離を走るんだ! こんな世界があるんだ!」と思って。近所にロードレーサーに乗ってる子がいたんですけど、その子の後ろにママチャリでついていくっていうのが始まりでした。

それからお金貯めて自転車を買ったんですけど、近所の自転車屋にクラブがあったんですよ。ぼくが一番年下で、あとはおじさん連中ばっかりで。一緒に走ると、片道40キロくらい走ったところでね、一服しながら「あ~、タバコうめえな。もうちょっと早く走りてえな」とか言ってるわけです。「いやいや、タバコ辞めればいいじゃん」って思ったんですけど、そンな矛盾がすごく楽しくて。

編集部:はははは! その垣根のなさっていうか、世代や性別でボーダーを引かないのが面白いんですよね。とてもいごく的!

権丈:今目指しているのは、年代も障害も関係なくやっていくことなんです。今回のコロナ禍で自転車の販売台数が増えたっていうデータがあるんです。でもね。時間があるから自転車に乗るっていうけど、普通の生活に戻った時、自転車って普通に乗られるんだろうかって。自転車の本来の魅力が伝わったのかって考えると、疑問に思うようなところもあって。

だったら、自転車に光が当たっている今のうちに、もっと楽しいことを伝えておく場所だったり、人だったりがたくさんいるといいなあって思います。

 

権丈さんの運転で「タンデム」に乗る編集部。結構スピードが出る!

 

障害と自転車

編集部:権丈さんとパラサイクルとの出会いは、そもそもどんな感じだったんですか?

権丈:学生の時に、タンデム競技で視覚障害の人を乗せて自分が走るというのをやったんです。半分は遊びみたいなもので、公園で時計を外されて「誰が15分後にぴったりで帰って来れるでしょうか」なんて感じで。でも、そのときに、障害のある人と自転車を楽しむという経験はしていたわけですよね。

そういう体験をしながら、大学を卒業して、実家の福岡に帰ってたときに、片足の膝から下がない男の子から「自転車乗りたい」って言われて、一緒に走ったり、教えたりしていました。そのうち、さっき紹介した、大学時代にタンデム競技をやってた協会が異なる障害の人たちにも関わるようになったと聞いたので、その子を連れていってみたんです。

そうしたら、スタッフの方がみんな残ってて。いきなり「ケンジョウくん、今年、ヨーロッパで大会あるから付いてきてよ」なんて言われて。それで初めて、チェコで開催された国際大会に参加したんです。すごい衝撃を受けました。片腕でこんなに走れちゃうの? 片足切断で足なくてもこんなに走れるんだ、面白い、こういう世界があったんだって。

編集部:欧米は自転車がめっちゃ盛んですしね。

権丈:クラス分けも細かいです。昔は「脳性麻痺」と「切断」とで分かれていたのがひとつにまとまって「Cクラス」になりました。これは通常の二輪自転車です。「Tクラス」は三輪で、脳性麻痺の重い方で、二輪だと転んでしまうような方が参加します。タンデムは「Bクラス」で、視覚障害のある方などが乗ります。ハンドサイクルは「Hクラス」。通常車椅子で生活してるような人が手で漕ぐ自転車です。

編集部:自転車だから足で漕げなんて誰も言ってないわけですよね…。

権丈:勝手に思い込んでるだけなんですよ。全部の障害の人が、自転車でいろんなことができるんです。

編集部:そうかー。本来自転車って「道具」のはずなのに、自分たちを自転車に合わせていかないといけないって、勝手に思ってたんですね。自転車は、もともと人間が作った乗り物だから、その人に自転車を合わせていいってもいいはずなのに。

権丈:乗れないっていう選択肢がないんですよ。日本だと、勝手に思い込みで「どうせわたし、乗れません」って人が多い気がします。

 

権丈さんの熱のこもった話が続く

 

国内のパラサイクリング選手たち。左から2人目が権丈さん。(写真は日本パラサイクリング連盟ウェブサイトから引用)

競技、だけじゃない

編集部:なるほどなあ。いや、でも権丈さん、そういう体験から、いきなりパラサイクリング連盟の「専務理事」までは、ものすごく飛躍があるように感じるのですが、なんでまた専務理事に?

権丈:そこはですね、なるようになったっていうか。ちょうど2003年にね、さっき話した男の子を東京に連れて行って。次の年の2004年がアテネのパラリンピックだったんですよ。そしたらまた「よかったよかった。じゃあケンジョウくん行って」みたいな(笑)。福祉のチームだったので、自転車のことが分かる人が、ひとりもいなかったんですよ。

編集部:なるほど、パラのチームは、スポーツクラブというより福祉由来のチームだったんですね?

権丈:そうですね。障害者スポーツはほぼそうです。今は無理やりに「オリパラ一緒に」みたいな感じになってて、オリンピックのコーチが入ってきたりとかしてますけど、やっぱりうまくいかないですよ。心のケアの部分なんて特に。

メンタルケアのトレーナーなんて、「ケンさん、オレたちは練習しすぎる奴を止めるのが仕事なんだけど、練習したくない奴をさせるのは無理だよ」って、そんな感じで。これまでのスポーツのアプローチではなんともならない。選手よってもアプローチが全然違いますし。

編集部:スポーツの論理、ケアの論理、うまく合わないわけですね…。

権丈:ぼくは、今まではどっちかというと選手とコーチとの間に入って喧嘩にならないようにハブ的な役割をしていたんです。でも、リオオリンピックの時は自分が監督で行きました。その時に監督は大変だなと痛感しました。ぼくでないと見れないタイプの選手が何人かいたもので。

でも、リオが終わった帰りの飛行機の中で大会を振り返ってみて、ひとつの教訓が見えてきました。それが「まとめずにまとめる」ということです。「はい! 整列!」みたいなことって一切できないんですよ。でも、完全な自由ではなく、敢えてまとめずにやらせながら、それでもまとめるっていうことを心がけました。

選手のご両親が経営している子どもたちのデイケアにも何回か行かせてもらったりしてます。今後は知的障害の子たちの自転車もやりたいなあと思ってるんですよ。彼らにも自転車の面白さを見つけて欲しいし、それが見つかったら楽しいだろうなと思って。

編集部:パラスポーツ先進国であるヨーロッパに行かれて、どういうところに違いを感じましたか?

権丈:パラリンピックだけって考えると、先進国は、選手がやりたい/やりたくない関係なく、「お前は自転車で出ればメダル取れるから来い」っていうような感じがありました。日本もそこを真似しようとしてるところがあって、ぼくはそうじゃないという思いがある。楽しくないと続かないし、入り口を間違えてしまうケースがあるからです。

うちの若い子たちもそうなのですが、「陸上がダメだったから来ました。自転車だったらパラリンピック出られますよね?」とか。そんな奴は絶対入れないようにしています。

そういうのもあって、ぼくは、入り口の裾野を広げるほう軸足、というか両足を移していて。それをいわきスタートでやりたいなあと思っています。コロナ期間中に「パラリンピックを目指すのとか面白くないなあ」と思っちゃったんです。もっと下のところで「自転車楽しい!」っていう人をいっぱい作ることをやろうと決めて。

編集部:そうだったんですね…。

 

いわき市、いわきスポーツクラブとの「スポーツを通じた共生のまちづくりに関する連携協定」を締結

いわきFCのジュニアユースの選手に、いわき競輪場でクロストレーニングを実施している

自転車本来の楽しみと喜びを伝えたい

権丈:障害者の人も、健常だけど自転車に乗れないって人も混ぜて、一緒に乗れるようになっていくといいなと思っています。2年前、勝手に会場借りてやってみたんですね。ある会社さんの自転車に乗れない人を10人くらい集めてもらって、こちらは自転車に乗ったことのない障害のある人たちを集めて、よーいどんで一緒にやらせてみたんです。そしたら70歳くらいのおじいちゃんが早く乗れたりして。

編集部:それ、めっちゃ楽しそうですね…。世の中、障害者か健常者かってボーダーが引かれる時が多いけど、その場にいるのは「自転車の楽しみを初めて今日ここで知る人たち」でしかない。いつもと別の括り方ができるといいですよね。

権丈:自転車に乗れない人が集まったとき、最後に残ったのは健常者の人でした。するとね、障害のある人たちも一緒に応援して、全員乗れるようになった。最後はみんなで「いえーい!」ってできる。

 

権丈さんの話を聞いていると、「自転車のまち」としてのいわきの魅力が膨らんでくる

 

編集部:いいなあ、そういう体験ができたら、世の中もっと優しくなりますよ。

権丈:ぼくたちのところによくある問い合わせが、「三輪の自転車どこで売ってますか?」とか「ハンドサイクルどこで売ってますか?」という質問です。でも、「日本で売ってないので、乗れないんですよ」と答えないといけない。つまんないじゃないですか。だったらそれこそいわきで作ればいいのかな、とかって思ってます。

編集部:そういう自転車、いわきで作れたらマジで最高ですね。

権丈:海外の人は三輪やハンドサイクルも普通に乗ってるんです。障害のある人、ない人で競争とかしてる。そういう風景をいわきで作っていきたいし、その結果、パラサイクルの認知度が上がればいいなと思ってます。いろいろな自転車が楽しめて、それが日常になっているいわきにしていきたいんですよ。

編集部:いやあ、めっちゃ楽しかったです。権丈さんが、なぜいわきにいるのか、よくわかりましたし、なんか自分たちもやってみたいって思いました。自転車だけにとどまらない、いろいろな話を聞かせていただきました。何か「いごく」でも、自転車について考えてみたいと思います。今日はありがとうございました。

 


公開日:2020年11月30日

権丈 泰巳(けんじょう・たいし)

1972年福岡県福岡市生まれ。1991年パラサイクリングに出会う。2004年アテネ~2016年リオまでパラリンピックのメダル獲得に従事し、現職は、ナショナルチーム監督兼専務理事。2021年3月末でナショナルチームを退き、いわき市のサイクリング事業に専念する予定。