情熱は「いごき」続ける

医師 木村守和先生


 

木村守和先生。前いわき市医師会会長であり、福島県いわき市で医療、介護、福祉に携わっている方で先生の名を知らない人はおそらくいないでしょう。それは、医師会会長という要職の肩書きによるものだけではありません。これまでの先生の取り組みやリーダーシップ、そして「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」にり患された今なお「いごき(動き)」続ける先生の情熱をさまざまな現場で目の当たりにしてきたからです。

 

私たち「いわきの地域包括ケアigoku(いごく)」が掲げる「地域包括ケアシステム」という言葉が公的に登場したのは2005(平成17)年。その後、全国の市町村がそれぞれの地域で地域包括ケアシステムを構築することが義務化され、2014(平成26)年「医療介護総合確保推進法」の施行に伴い、全国で本格的な推進がスタート。目標年度は2025年に定められました。そう、今年度こそが、かつてゴールとして設定された節目の年なんです。新型コロナの蔓延など不可測な事態があったので致し方ありませんが、10年前、20年前は「2025年」をゴールにしていましたし、関係者の間で「2025年」は大きなキーワードでした。そんな節目の年度だからこそ、いわき市で、在宅医療/地域包括ケア/医療と介護の連携に最も情熱的に取り組んでこられた木村先生に、これまでと、今と、これからについてお話を伺ってきました。

 

外科医から、地域を支える在宅医へ

 

まずは医師になり、いわきに戻って来られるまでについて教えてください。

 

木村先生(以下、「木村」) 福島県いわき市四倉町生まれです。地元の磐城高校を卒業し、東北大学医学部に進みました。宮城県塩釜市の病院で臨床研修を行い、国立がんセンター病院の外科でレジデント(今でいう専門医研修)を3年経て、その後は呼吸器外科の勤務医として働きました。1997(平成9)年に、いわきへ戻り、祖父、父と続いた「木村医院」と特別養護老人ホーム「楽寿荘」の診療・運営を引き継ぎました。

 

東京からいわきへ、がんセンターの外科から診療所へと環境も医師としての診療内容も大きく変わったかと思いますが、その変化についてはいかがでしたか?

 

木村 キャリアを振り返ると、医師として特に力を入れたのは、高齢者医療と在宅医療だと思います。通院が困難なかたに訪問診療すると、外来診療ではわからない生活面のことがよくわかります。患者さんが住みなれた自宅で自分らしく生きることを、さまざまな職種がかかわって支えていくことは、やりがいのある仕事でした。患者さんがお亡くなりになったときに、最期まで診てもらってありがとうございます、と言っていただいて、胸にひびきました。また、在宅医療では、患者さんやご家族、他の職種の素敵なかたと巡り会うことが出来ました。

 

やりがいや素敵な出会いを重ねながら、外科手術に注いできた情熱を、そのまま在宅医療に振り向けていった感覚があります。そこに、2011年の東日本大震災を経験して、この地域や人々のために役に立ちたいとより一層強く思うようになりました。

 

在宅訪問診療での一コマ

 

 

在宅医療と地域包括ケアと医師会と

 

–その震災からの思いもあられてか、翌2012年からいわき市医師会の副会長に就任されます。医師会活動についてもお聞かせください。

 

木村 医師会活動では、副会長までは在宅医療と地域包括ケアの取り組みが中心課題でした。2013年から「認知症絵本教室」を四倉久之浜大久地区の小学校4年生に行っています。これは地域包括支援センターと協働して始めたのですが、地域の人の協力を得て認知症徘徊声かけ訓練を行なったのは画期的でした。

 

2014年から「在宅医療出前講座」を7か所の地域ごとに公民館などで開催しています。在宅医療と病院での医療について、診療所の医師と病院勤務医がそれぞれ語ってもらう企画です。各地域で医師と地域包括支援センターの協力体制がつくられ、現在も続いていることを誇らしく思います。

 

2016年から「在宅医療推進のための多職種研修会」を開催しています。いわき市地域医療課が事務局となり、多くの職種が在宅医療の講義とグループディスカッションを繰り返しました。一回目が成功した時、いわきの多職種連携が新たな次元に入ったと感じました。

 

私は2016年から地域包括ケア推進課に来て、先生のご活躍を目の当たりにしてきましたが、先生のアクションはまさに「怒涛」でした。先生の地元である四倉・久之浜地区から蒔かれた種が、市内各地で芽吹いていくのを肌で感じました。「地域包括ケア」「医療と介護の連携」をキーワードに市内各地で切磋琢磨するような連携やチャレンジが熱を帯びながら繰り広げられていました。

 

記念すべき第一回「在宅医療推進のための多職種研修会」

 

木村 2018年から医師会の会長に就任しました。会長時代は、すべての課題に全身全霊をもってあたりました。2018年、休日夜間急病診療所と在宅当番医制の問題を医師会の代議員会で議論して、どちらにも参加していない医師は、新たにどちらかに参加するという提案に合意が得られました。「休日夜間の医療は医師会全体の問題である」と説明を尽くして、合意が得られたことは大きな成果でした。

 

2019年10 月に「台風19 号水害」が発生し、医師会と薬剤医師会が会議をひらいて避難所支援を開始し、多くの職種も協力してくれました。この水害対応で、重大な事態が生じたときは医師会が旗をあげて関係者に集まってもらうことが大事だと実感しました。

 

2020年からの「新型コロナパンデミック対応」では、いわき市の対策会議を医師会が会議を主宰しました。医療機関の危機感は強く、けんけんがくがくの話合いでしたが、いわき市医療センターの強いリーダーシップのもと各医療機関の協力がえられました。

 

令和元年の台風19号水害、その翌年からは新型コロナと、副会長時代よりもさらに怒涛の展開でした。未曾有の災害やパンデミックへの対応だけでも大変ななか、地域包括ケアや在宅医療、多職種連携の歩みを止めることなく、医師として医師会会長として進めていかれていました。何が先生をここまで「いごかせ(動かせ)」ているのでしょうか?

 

木村 「自分は何をなすべきか」−−若い頃からどんな医者になるべきかを常に自問してきました。いわきに帰ってきて在宅医療に関わるようになりましたが、自分のところだけの問題ではないと思って医師会活動に参加しました。どうしてそんなに一生懸命に取り組めるのかと聞かれると、先ほども言いましたが、外科手術にかけてきた情熱を、在宅医療に振り向けた面もあると思います。また、東日本大震災を経験して、この地域や人々のために役に立ちたいと強く思いました。あとで悔いが残らないようにしたいと思って、副会長として地域包括ケアに取り組みました。会長を引き受けた時は、いわきの医療に責任を持って対応すると誓いました。

 

私が医師会、地域包括ケアの取り組みにおいて大切にしている考えかたを紹介します。
(1)活動内容をまわりの人に伝えて理解を広める。
(2)活動に参加する人の裾野を広げる。
(3)活動内容を有用で意義深いものにする。
そして、(1)から(3)を繰り返していくことです。

 

地道なやり方ですが、仲間づくりの意識が大事です。このようにして得られた医師会の仲間や地域包括ケアに関わる多職種、住民活動の仲間は、かけがえのない財産です。

 

先生が大事にされている取り組みの一つ「いのちの授業」

 

 

 

病と公表/当事者となって

 

先生は2024年にご病気のことをオープンにされました。オープンにされた理由やお考えについて教えてください。

 

木村 2023年8月にALS(筋萎縮性側索硬化症)との診断を受けました。5月頃から言葉のもつれや、内視鏡操作時に左手の指に違和感、趣味のフルート演奏への支障を感じていきました。以前から病気については隠さずに話す約束をしていましたので、妻に病気の可能性について話し、専門医を受診しました。なんらかの病気になると思っていましたが、ALSとはなんと過酷な運命かと思いました。息子の自立、孫の成長を見たいと思い、妻の支えもあり、気管切開を含む医療行為を受け入れる決断をしました。

 

私は、人間は社会的存在であると思っています。病気が進行しても、地域包括ケアやALSに関する講演を行いたいと思いました。そういう活動を行うのであれば、自分の病気について語るのは当然のことでした。講演活動をすることで、以前からつながりのある仲間や友人、患者さんなどに会えることはとても嬉しいことです。私は今後も、社会とつながって生きていきたいと思います。

 

医師であること、これまでの数々の取り組み、そしてALSになられたこと。これらは先生の中ではどう重なりを感じていらっしゃいますか?医師として話してきたり取り組まれてきたことと、ご自身がALSになられたことで、考え方や見え方に変化がありましたらお聞かせください。

 

木村 私は医師として、高齢で虚弱になっても障害を持っても、住みなれた地域で安心して生活できるように、在宅医療と地域包括ケアに取り組んできました。今は障害を持って在宅医療の受け手になり、ケアマネジャーやALS協会のサポートのもと訪問看護、訪問リハビリテーション、訪問介護、訪問入浴などのサービスを受けています。立場は正反対に変わりましたが、在宅医療と地域包括ケアに取り組んで、本当によかったと思っています。誰もが健康で長生きしたいのですが、病気や障害はいつ誰に降りかかるかわかりません。そうなる前に自分の最終盤の医療やケアをどのように受けるかについて考えてもらえるように、在宅医療出前講座でお知らせすることが、より一層大事だと感じています。

 

私はリハビリテーションの重要性を、茨城県立医療大学の大田仁史先生から学んできました。回復期のリハビリテーションだけでなく、維持期のリハビリテーションが重要であることを、講演などで話してきました。私は今回、ALSという進行性の神経疾患にかかって、リハビリテーションの重要性を身にしみて痛感しました。ALSを発症したら、早期にリハビリテーションを導入する必要があることを、講演などで強調しています。

 

2025年に開催された「igoku meeting」で、その大田先生とともにigoku表彰を受賞された

 

「今後も社会とつながっていきたい」と仰られていましたが、これからチャレンジしてきたいことはありますか?

 

木村 私は医師としてALSについて知識があり、自分の病状についての理解は早いと思います。その立場から、今後ALSになる方やそのご家族のために役立ちたいと思いました。これからは講演活動を少しずつでも行っていきたいと思っています。講演では、ALSの方が適切に対応してもらえるように、一般の皆さんや難病の支援にあたる方々に、必要な知識や考え方についてお伝えしていきたいです。

 

また、2024 年7 月に、日本ALS協会元会長の岡部ひろきさんから、新しいことにもチャレンジするように勧められました。将棋に興味がありますが、今はテレビで見るくらいです。自分のことを振り返って文章を綴るのは徐々に進めていますが、ほかの文筆活動に取り組んでみたいと思っています。

 

ALS 患者で気管切開を行う人は日本では20%~30%、欧米では数%~10%強と言われています。日本は気管切開して人工呼吸器をつけて生きていくには、比較的恵まれた環境にあることに感謝して、少しでも社会に貢献できるように生きていきたいと考えています。また、実際に私を支えてくれている家族および医療と介護の様々な職種の方々に感謝して、この障害を持った人生を生きていきたいと思います。

 

 

このインタビュー(2025年8月)のあと、奥様やご友人と一緒に長年応援している楽天イーグルスの試合観戦を楽しまれる木村先生

 

 

「2025年」から「2040年」に向けて

 

私が先生はじめ医療介護に携わる皆さんと地域包括ケアに取り組んでいた当時は「2025年」が目標でした。月日の経つのは早いもので、今がその2025年度です。真に乗り越えるべきは高齢者数がピークを迎える「2040年問題」と言われています。ここから2040年に向けて先生からのご提言をお願いします。

 

木村 地域包括ケアの重要な柱の一つ目は、医療と介護の連携充実および住民への働きかけ、二つ目は、行政と住民が主体となって高齢者、障害者などが安心して生活できる地域づくりを進めること、であると思います。

 

「いごく」は、地域包括ケアを一般の人に伝えるのに、一定貢献してきたと思いますが、二つ目に偏ってきたのではないでしょうか。一方で、市の地域包括ケア推進会議で、地域づくりの取り組みが紹介されますが、多くはモデル的地域の取り組みになっています。地域見守り隊が出来ても、関係者の高齢化によって尻すぼみになっています。地域包括ケア推進課は、どうしたら地域づくりを多くの地域で進めること、継続して発展させることが出来るのか、あらためて検討する必要があると思います。

 

私から、提案が二つあります。一つ目は、在宅医療出前講座の「健康で長生きするための知識と地域づくり」の内容を、わかりやすいパンフレットや興味をひく動画にして、多くの住民に知ってもらうように、説明会を開催すること、動画配信をすることです。二つ目は、地域見守り活動を行う人々を組織化するため、「安心で住みやすい地域づくり∼どこどこ∼住民の会」を各地で立ち上げることです。住民自身が主体的に地域包括ケアに関わり、医療介護の多職種と行政がサポートするイメージです。

 

住民の皆さんは、「健康で長生きするための知識と地域づくり」および地域包括ケアをよく知っていただき、みずからも安心で住みやすい地域づくり∼に参加してほしいと思います。

 

市民の皆さんへのメッセージに加え、私たち「igoku」や地域包括ケア推進課への具体的なアドバイスまでありがとうございます。先生の提案をなるべく形にしていきたいと思いますので、いわきのよりよい暮らし、地域包括ケアや医療と介護の連携の推進に向けて、引き続き、先生のご協力、ご助言のほどよろしくお願いします。本日はありがとうございました。

 

 

結びにかえて  -ぐい呑みと扇風機

 

取材がひとしきり終わり、ちょっとした雑談タイムになった。「何が楽しみですか?」と私から訊いたのか記憶は定かではないが、「晩酌が楽しみだね」という言葉に驚いた。

 

えっ、先生、晩酌を楽しんでいるの?

 

聞けば、主治医から今後の誤嚥を防ぐために嚥下機能手術を勧められ、喉頭中央部切除術を受けたとのことで、量は少ないながらもお酒を楽しめるようになったのだという。

 

「これに一杯だけ飲んでいるんですよ」

 

そう言って奥様が見せてくださったのは、先生愛用の「ぐい呑み」だった。

 

先生が視線入力装置でなにかを打ち込んでいる。ほどなくして、先生の声がパソコンのスピーカーから流れてきた。

 

「人生には、楽しみが必要ですから」

 

満面の笑顔だった。

 

 

 

話は前後するが、インタビューを行なったのは2025年8月初旬。インタビュー直前まで別件で猛暑の中、屋外にいた私は汗だくで先生のご自宅に伺った。ご自宅は冷房が効いていて快適だったが、私の汗はなかなか止まらない。汗をふきふき、インタビューを始めようとすると、先生が視線入力装置でなにかを打ち込んでいらっしゃる。奥様に顔を向けると、スピーカーから「イガリくんに扇風機を向けてあげて」と。

 

先生とお仕事を一緒にするようになって10年あまりが経つ。個別具体なエピソードではなく、その10年がかたまりのように脳裏によぎった。あぁ、思えば先生はいつもそうだった。ずっとこうだった。いつだって、愛と気遣いに溢れていた。ずっと、人を、仲間を大事にされてきていた。

 

「早く行くなら一人で行け、遠くに行くにはみんなで行け」

 

あまりに陳腐かもしれないが、先生の人生や取り組みの数々を振り返り、この一文が浮かんできた。木村先生。これからの先生の「いごき(動き)」にも是非ご一緒させてください。これからも、みんなでチャレンジしていきましょう。

 

 

 

 

木村先生の魅力を伝えるムービーも是非ご覧ください。

 

 

 

取材/文:猪狩僚
写真:鈴木宇宙・鈴木穣蔵
映像:田村博之


公開日:2026年02月03日