健康も不健康も、みんなのもの

山本雄士さん(医師/(株)ミナケア代表)


 

 

病気になった“後”ではなく、病気になる“前”の予防や健康づくりにこそ投資しようという「投資型医療」をテーマに、全国の医療機関や自治体と様々なアクションを起こしている山本雄士さん。“不健康都市”いわきで私たちが持つべき意識、心がけなければならないこととは何かを伺った。紙のいごくvol.3に掲載されたインタビューのロングバージョン。山本先生のお話に、じっくりと耳を傾けたい。

 

−健康は、社会的なものである

本題に移る前に、健康とはどういうことかを改めて考えてみると、健康って、五体満足かどうかではなく、「社会的存在としてなんらかの価値を発揮できていること」を指すんです。社会的であってこそ健康なんだと。障害があったとして自分の力が社会に発揮できていれば健康だし、逆に、家のなかに引きこもってしまったり、自分の本来の価値を社会のなかに出すことのできない状態であれば、それは不健康であると、そんな風に私は捉えています。

健康というのは社会的なもの、つまり「みんなのもの」なんです。

システムもそうなっています。日本は、誰かが健康を害した場合の金銭的な負担は連帯責任で、企業や自治体の保険で支払われますよね。つまり、病気になったあなたの治療費や薬代は、他の誰かのおかげで成り立っているわけです。もちろんシステムだけではありません。人間は一人で暮らすことはできませんから、誰かが病気になれば、家族の負担も増えるし、友人や会社の同僚にも影響があります。ですから、健康というのは極めて社会的なものなんです。

 

東京都にある株式会社ミナケアのオフィスでお話を伺った。

 

ところが健康って、それがなければ毎日楽しく過ごすことができないものなのに、なかなか意識することができないものです。皆さん、自分磨きをしたり、自己啓発本を読んだりはするのに、なぜか健康には無頓着。なぜそうなるかというと、健康が、あまりにも個人に紐づいたものとして考えられているからではないでしょうか。病気になったとしても、おれの人生なんだからお前たちには関係ないだろうと。

だからこそ、健康はみんなものなんだという前提に立って、啓発や予防、システムづくりをしていく必要があると思います。一人でダイエットを決意するより、だれかが励ましたり叱咤してくれるほうが続いたりするものですよね。

自分が太っていると、だれかに痩せろとは言いにくい、という人もいますが、教育を満足に受けられなかった私たちの親世代が「子どもたちにはいい教育を受けさせたい」と望んだのと同じように、自分が太っていたって、だれかに痩せろと警鐘を鳴らせばいいんです。コミュニティの責任としてお互いが健康を守り合う。健康やヘルスケアとは、本来そうあるべきです。

 

昨年、山本先生はいわき市でも、医学生や現役医師が参加した「山本雄士ゼミ」を行い、好評を博した。

 

−生活習慣病は、感じにくい

先進国では、肥満や高血圧こそが脅威だと分かってきました。実はこれらは、すでに80年代にはサイレントキラーと呼ばれ、医学者たちはずっと警鐘を鳴らしてきたものです。しかし、個人個人では切迫感を持ってこの病気に向き合うことができてこなかったんです。なぜかというと、こうした生活習慣病は、自分が元気なときにかかるものだからです。

かつて医学が立ち向かっていたのは感染症や結核などでした。明確な症状も出ますし、感染症は死ぬか生きるか。死なないようにするためには、それを倒すかしかない。だから、感染症は危ないんだと多くの人たちが意識を共有できました。

その次に増えたのはガンです。ガンは、今でこそ医学の発達によって「治る病気」として考えられるようにもなっていますが、多くの人たちにとっては、まだまだ危険な病気であるはずです。ガンと聞いたら「え?」っと驚いて、急いで病院に行こうと多くの人が考えると思います。

しかし、肥満と聞いても、俺の勝手だと済ませてしまったり、高血圧? まあ良くあるよねと。そういう受け止め方をしてしまう。私たちの伝え方が間違っていたのか。あるいは、多くの人たちが舐めてかかっているのか。生活習慣病の多くは元気の盛りの時に始まります。だから「まあ大丈夫だろう」と思ってしまうんです。

人間誰しもピークを越えると衰えていくもの。衰えたとき、生活習慣病は猛威を振るうわけですね。そして、衰えてしまった後では、生活習慣を変えることも難しくなってしまいます。だからこそ、そうした早めのシグナルを察知しなければならないはずです。見てみないふりをする。それは、自分も、自分の友人や家族も、みんなを不幸してしまうかもしれないんです。

 

山本雄士ゼミには、いわきの医師たちも数多く参戦。いわきの医療課題を一緒に考えた。

 

健康であることをメリットにできる社会にしたい、と山本先生

 

−健康であることにこそインセンティブを

ここで問題なのは、健康であることのメリットが社会的になっていないことかもしれません。日本の医療というのは、病気がひどくなって何かしらの症状が出た“後”にお金をかけます。ですから、病気になった人にしかメリットがもたらされません。

健康が社会的なものだとしたら、本来は、健康でい続ける人たちにもなんらかのインセンティブがあったほうがいい。健康を守り合うことはコミュニティの責任なのだから、そのコミュニティのなかに、病気になる“前”の予防に投資するような小さな経済圏を作っていくことも大事なのではないでしょうか。

例えば、健康診断で何の問題もなかった人には国保税が還付されるとか、何か地域通貨のようなものが溜まっていくとか、そういうものでもいいと思います。元気でいよう、それを支えようということにメリットを生み出していくわけです。そういう「地域づくり」の先行モデルを作ることができたら、日本の医療の根本を変えるような動きになるかもしれません。

いわきは、確かに多くの課題を抱えていますが、課題が明確だからこそ、一体感を持って取り組むことができるのではないでしょうか。その第一歩は、やはり家族であるべきです。まずは、家族のなかで健康を支え合う気持ちを共有すること。子供から親へ、親から子へ、夫婦同士、厳しく優しい言葉で支え合う、楽しく続けること、そういう地域づくりから始めればいいと思うんです。

それから、私たち医師も変わらなければなりません。患者を前にしてもなお、私たちは医学の言葉で語りがちです。病気は社会的なものなんだから、医学をベースにしながらも、暮らしの言葉、生活の言葉でコミュニケーションしていく、そんなことを意識する必要があります。

今年は、福島、いわきに伺う機会もあるはず。病気になる前のほうに投資できる地域づくりを、これからも、国や自治体に対して粘り強く訴えていきたいと思います。いわきにも、また伺いますね。

 


公開日:2018年08月01日

山本 雄士(やまもと・ゆうじ)

1974年札幌市生まれ。99年東京大学医学部を卒業後、同付属病院、都立病院などで循環器内科、救命医療などに従事。07年Harvard Business School 修了。現在、株式会社ミナケア代表取締役、ソニーコンピューターサイエンス研究所リサーチャー、厚生労働省参与などを兼任。共著に『投資型医療 医療費で国が潰れる前に』(ディスカバー携書 2017年)など。