循環の要にある死

いごくフェス2019 ライブレポート


 

いごくフェス2019ライブレポート。環境デザインやコンセプトデザインの領域で活動しているオオヤマタカコさんからのレポートです。

実は今回のいごくフェス、プラスチックゴミをできるだけ排出しないよう、飲食店で紙容器を使ってもらったり、ゴミの仕分けを工夫したりと、環境問題にもフォーカスしたフェスを目指したのですが、その環境デザインを担当してもらったのがオオヤマさんだったのです。

私たちは、ゴミを出さずにはいられない生き物です。そして、いずれは土に還る生き物でもあります。生きること、老いることを、死ぬことを、どう「環境」や「社会」と接続し、循環させていけばいいのかを考えるのも、いごくフェスの役割ではないか。そう考え、今回オオヤマさんにお声がけをしていたのでした。

環境問題に取り組むオオヤマさんには、いごくフェスはどのように映ったのでしょう。

 

ソトフェスのスナックブースで談笑するオオヤマさん(中央・左)(撮影:鈴木穣蔵)

 

生きることは死ぬこと。

それは日々の暮らしの中の延長線上にやってくる。食べることと死ぬことは同じくらいのリズム。ただそれに掛ける期間が違うだけ。超高齢化社会を迎え、人生100年時代と言われ、さてこれから私たち人間は生きること、死ぬことにどう向き合っていくのだろうか。

そんなことを考えさせられ、斬新かつ斜め上の角度からズバズバと切り込んでくる「igokuフェス」。いわき市の地域包括ケアチームが毎年行なっているこのフェス。1日目のソトフェスでは、ジジババがいわきFCの選手と踊ったり、入棺体験があったり。さらには歌謡曲を流すDJの演奏、美味しい地元のごはん、読み解くととても卑猥な炭鉱夫の踊り「ヤッチキ」など。

それは音楽フェスのようで、さすれば「高齢者イェー!」な雰囲気の中、様々な年齢層の人が遊びに来ていた。このフェスのもっとも特徴的なのが、みんな笑っているということである。老いることに対してゲラゲラと。

日々自然とともに暮らすため、ゴミを減らす循環型の社会を作ることを目指して奮闘する私にigokuの運営チームから「igokuフェスで環境デザインをせよ」と突然のお達しがあったのが6月始め。残り2ヶ月の中でできることは何かと模索しながら、「なるべくプラスチックフリー」&「ゴミを資源に変える装飾デザイン」を行なっていただいた。

短い間に対応していただいたフードの出店者のみなさまや運営陣にブラボーと叫びたい。

 

今回の食のブースでは紙容器を積極的に使ってもらうなど、環境への取り組みが拡大した(撮影:編集部)

 

フェスで使われた装飾品はペットボトルのゴミ。これもオオヤマさんのアイデア(撮影:鈴木穣蔵)

 

VR看取り体験会の模様(撮影:鈴木宇宙)

 

人が死ぬ時、残されるもの、逝くものの態度としてどうあるのが理想か、いかに向き合うべきなのか。その答えは、ホールを使って開催された「ナカフェス」の、銀木犀を運営するシルバーウッドの代表、下河原さんの講演&VR看取り体験にあった。

VR看取り体験では、自分が余命わずかな高齢者の立場になり、またもう直ぐ最後の時を迎える人を見守る友人、また残された家族の立ち位置になり、その時に去りゆく当人がどのような死に方を望んているのかを体験する。

下河原さんによると、この日本では、多くの人が死ぬ時は自分の家でと考えているらしい。しかしながら「一分一秒でも長く生きてもらいたい」「家で看取ることで、悪くなるまでなにもしなかったと親戚から責められることを避けたい」などと言った死を隠す、また家で看取ることへの恥の文化が存在している。これまで各々選択しながら歩んできた人生の最後、自分の選択に反する逝き方をしている人が多いそうだ。

さてそれを避けるには? もっと死に対してオープンに話し合うこと。生きること死ぬことに対して閉じずに身の回りの家族や友人と話すこと。そして認知をしてもらうこと。そして最後まで生き生きと生きていける居場所を持つこと。

 

ソトフェスに設置された「ゴミステーション」にも工夫が凝らされていた(撮影:編集部)

 

電球のように細かに明滅を繰り返すことで死と共に生きる、とオオヤマさんはいう(撮影:鈴木穣蔵)

 

私の活動の話を少し取り入れて話すと、近年地球環境が悪化し、気候変動が世界中で問題視されている。自然災害が増え、環境汚染が数値として可視化されている今、私たちが生き、暮らし、死ぬまでに必要なのは、何があっても穏やかに過ごすためのバックアップになるような循環を生み出すことが大切なのではと、先日知り合いと話し合う中で意識をした。

安らかな最後を迎えるためには、その意思を表示し、それをサポートしてくれる周囲の環境準備を整えることが必要で、そして豊かな人生を生き、次世代にもつなぐためには自然環境も整えなければいけない。さらに言うと、人間は自然の一部だと捉えて、最後は抗わずに、ままの状態にする。本人にとっても残されたものにとっても、負荷をかけない状況を作ることが大切だ。

循環型社会への適応の話をする時に「Close the loop(=輪を巡る)」という言葉がよく出てくる。これまでは生産から廃棄まで一直線上で捉えられていたが、その末端をスタートに戻すことでサプライチェーンを循環させていこうという考えである。この考えによると、プロセスの輪が小さければ小さいほど環境負荷がかからない。

それと同じように、老いること、そしてそれに対する周辺環境もループを狭くすることでシンプルに生き生きと暮らせるのではないだろうかと、igokuフェスで感じた。地域の食材を食べ、地域の子供から高齢者までが集い、お互いの顔がわかる社会にしていく、笑顔で踊り歌い、老いることを祝う。地域全体で共助しあう豊かな循環がそこにはあった。

シンプルに原始的なことを掘り起こしていくと、自分の体の中で発酵・分解・生産・排出が繰り返されるようになる。自然界と同じような生と死の循環が、自分の体の中で起きるということだ。そう意識することで、自分の体の「中(わたし)」と「外(環境)」が地続きであることを実感できるのではないか、と思う。そうして、自分の体も環境も、生と死の循環を廻すことで生きる価値を高められる。

けれど私は、その循環の要にあるのは「死」だと思う。終わりのない命はない。電球のように細かに明滅を繰り返すことで死と共に生きていく。そういうことなのかもしれない。

 

老いも若きも、等身大に「生と死」を体験した(撮影:鈴木穣蔵)

 

そんな2日間を経て、さて人間はどこへ向かうのだろうと感じた。人生100年時代と言われ、シリコンバレーの経営者たちは、こぞって長寿と健康に大金をはたき開発を進めていると、先日記事で読んだ。本当のあるべき姿はもっとシンプルなところにあるのではと、元気に踊るいわきの皆様を見て考えさせられた。

 

プロフィール:オオヤマタカコ

530week共同代表。自然界をモデルとし、自然の英知を真似ることにより人類が抱えている問題を解決しサスティナブルな社会を目指す、共感コミュニティデザインを設計する。また、環境を意識したレシピ開発やケータリング、ライティング等も実施。

 


公開日:2019年09月24日