“生きているうちに死んでみる祭り”の爆誕

取材・文 鈴木絵美里


 

文・鈴木 絵美里

 

あの2日間の記憶を思い出すだけでいつでもお彼岸になれるのがigoku Fesだったなあ、などと考えながら、お彼岸にこの原稿を書いている。今までのお彼岸は、すでに “あちら側” へ渡った祖先との対話でしかなかったが、むしろ、igoku Fesを経た後の自分は、想像上の “一回死んだ後の自分” みたいな者とも対話をし始めている。

まだ38歳なのに? いや、いつでも話し始めてみたほうがいい。早すぎるなんてこともない。ちなみに、つい数日前に会った両親とは延命治療の話をしたりもした。まだ病気でもなくて元気に暮らしているのに? いや、病気じゃない時、いざという時じゃない平時、にしか話せないことがある。

むしろあのigoku Fesの2日間でガツンとパワフルな体験をさせてもらってから、死についてひとり考えたり身近な人たちとそれを共有するのなんて、もはや防災訓練の如く日々のこととしてやっておくべきだわ、などと思うようになった。

 

あのigoku Fesとは一体何だったのか、もう少し詳しく振り返ってみる。

さまざまな「フェス」が増えてきた昨今、私も、遊びに行くのはもちろん、取材や仕事でフェスに行く機会がどんどん増えている。が、“フェス” 自体が随分と商業主義的に消費され始めているような気もしていて、何ともいえない居心地の悪さを感じることも多くなった。

まあ、そもそも “フェス” 以前に、太古から日本の各地にはあらゆる「祭り」があったわけで、その神事的な要素も含みつつアップデートされたような、祭りの延長上にあるフェス、というものを見てみたくて、最近では大きな都市型のロックフェスなどよりも、よりそれぞれのローカルの地に根ざした小さな村づくりのようなフェスにばかり足を運んでは、祭りを楽しみつつ、文化人類学的に(?)観察をしている。

そうやって、今年もいくつかの小さくも興味深いフェスへと行った。igoku Fesもそういうもののひとつだった気がするし、でももっといろんなテーマが混沌としたままそこに置かれていて、結果、何気なく参加した側も五感と己の感情と思考を使い尽くして臨むことになる壮絶な場だったし、はたまた、ただただ休みに少し実家に帰ったらいろんな親族がいていろんなことを言っているのをぼんやり聞いている、というような場でもあった。

あれを「フェス」と称していること自体が非常に大らか且つ、よく考えると “巧妙に仕掛けられた実家からの罠” のような雰囲気すらあったと思う(←褒めてます)。

福島県のいわき市にigokuというWEBと紙雑誌で展開しているメディアがあり、それをいわき市の地域包括ケア推進課が運営しているらしい、内容がなかなかに画期的らしい、ということはSNS上でなんとなく知っており、しかもそこには私の知る仲間も多く関わっており、しかし全容はどういったものなのかわからないまま、今年もigoku Fesを開催するので来てみないかと声をかけていただいたので、私は8月の終わり、ひとりでいわきへと向かった。

 

 

1日目は「ソトフェス」、2日目は「ナカフェス」として構成されており、その名のとおり、ソトフェスはいわきアリオスの横に位置する平中央公園で行われる “野外フェス”、ナカフェスはいわきアリオス内のいくつかのホールを使用して行われた。

ソトフェスでは、10店ほどの美味しい食べ物や飲み物の出店が並び、いわきFCと市内65歳以上の人々によるダンスワークショップの発表からDJ、盆踊り、弾き語りといった演目が夕方から夜にかけて繰り広げられた。

公園のなだらかな丘の上には棺桶と葬儀の祭壇に掲げる遺影を模したフォトブース(『涅槃スタグラム』という)が設置されており、この日は誰でも入棺体験(!)ができ、親子連れもたくさんいて、それぞれが笑顔の遺影を気軽にスマホで撮っている、というもはやカオス的ながらもほんわかしたお祭り空間。でも同時に、このくらいタブーを飛び越えた形があって初めて、人は「禁忌ってなんで禁忌とされているのか」という問いに辿り着けるな……とはっとさせられるのだった。なんたるアートであることよ。

あたりが暗くなるにつれ祭りはどんどん白熱し、1日目のソトフェスが終わりを迎える頃ふと「ああ、これが涅槃の風景みたいなものかもしれない」などとひとり感慨深くなってしまっていた。木の下に作られたステージでは奇妙礼太郎が歌い、小さな子どもたちは間接的な夜のライティングが美しいアリオスの2階から1階へと繋がっている外階段の回路をずっとはしゃぎながら駆け回っている。こんな景色を見たまま眠り、明くる朝に起きようとしたら、あれ死んでいた、みたいな。

“死ぬ前の日まで元気なまま、ある日ぽっくりと逝きたい” という現代において多くの人が持つ願望が現れたような景色を、一瞬あのソトフェスの中に見た気がした。地元の美味しいものと酒と踊りと音楽と家族、暮らしのなかの愛おしいものが揃ったこんな夜、今ならきっと死後の世界へとスムーズに行け(逝け)そうだなあなどとほろ酔いの頭で、しかも余所者ながらも思ったのだ。……とはいえまあ、なかなか死についてもそう簡単には問屋が卸してくれないのが、現実というもので。

 

 

2日目のナカフェスでは、昨晩とはうってかわって朝の10時より、VR看取り体験に参加。高齢者住宅を運営する株式会社シルバーウッド代表の下河原忠道さんが丁寧にファシリテートしながら、50名ほどの参加者たちと2時間半にわたり、終末期の家族を看取る側としての心の葛藤や、高齢者本人の気持ちをもVRで追体験しつつ、参加者同士でのディスカッションを行っていく。

午後は中劇場というホールの中で、いわき市内でリスペクトに値する方を表彰する表彰式(今回受賞されたのはみろく沢炭砿資料館を個人で運営する渡辺為雄さん!)に始まり、事故物件住みます芸人 松原タニシさんのお話や即興演劇集団6-dim+(ロクディム)によるパフォーマンス、そしておばちゃんたちのアイドル・毒蝮三太夫氏までもが登場する公演が繰り広げられた。

この午前と午後のコントラストだけでも相当強いのだが、そもそもこの午後の公演を見ればわかる通り、登場人物の振り幅もすごい。私はひとり、かなり圧倒されつつも、最後の『スナックらん』の頃にはただただ爆笑し続けていた。『スナックらん』というのは実在するいわきのスナックで、今年4月に亡くなった、あの医事漫談で有名なケーシー高峰氏の行きつけだったお店なのだそう。その店内を完璧なまでに模したセットに実際のママがやってきて、毒蝮三太夫氏と新山ノリロー氏とで、ケーシーさんの思い出話やぶっちゃけ話に花を咲かす、という展開だったわけだ。

ちなみにもう少し説明を加えると、ケーシーさんは昨年のigoku Fesにも登場、いわきで最後まで仕事をし、もちろん体調は優れない時期もあっただろうけれど、きっと楽しいまま往生されたのではないか、ということが伺えるわけだが。

もしも自分が死んだら、この日の舞台上で展開された “スナック” のように、あれやこれやと楽しく話しつつ献杯してくれたら最高だよな、と感じたひととき。(※内容はあまりにくだらなかったり下ネタ満載なので書き起こすようなものではない……。こういう話こそ、ライブで聞くことだけに意味がある。(笑))

死や老いをタブー視せずに、誰もが乗っかりやすいネタにすることにこれだけ賭けているigokuの執念ともいうべきものの正体とは何か? というか、そもそも老いや死をタブーとしないことがなぜそこまで重要なのか? 私なりにずっと考えてみているわけだが。

 

 

かつて、死を恐れた時代があった。もちろん今でも、人は死を縁起のよくないものとする。けれど、いくらでも生命を維持できてしまう技術を持った現代においては、むしろ死ねないこと、言うなれば、延命装置としての管だらけになっても死なせてもらえないことが恐るべきことになってきているのかもしれない。そう、むしろ “簡単には死なせてもらえなくなっている” ことが怖いのかも、とVR看取り体験会に参加しつつ、私はこの日、ハッとして、ゾッとした。

人は誰もが老いて、いつかはその命を終える。でもそれがある意味、本人の意思(=遺志)とは別のところでかなり引き伸ばせるようになってしまっている時代ということだ。だからこそ、生命の自然なプロセスとは何なのかを、死を通して捉え直してみようというメッセージを、VR看取り体験会には強く感じたのだと思う。老いも、葬いも、もはや忌避すべきものではなくなっているのかもしれないな、という21世紀的な価値観。これってコペルニクス的転回……(かもしれない)!

「まだ元気なので」という理由でなかなか親ともいざという時の話ができない。「親にそういうことをちょっとでも言うと、縁起でもないと怒る」ともVR看取り体験でワークショップをご一緒した方のひとりは話していた。

でも「まだ元気」から、ある日突然、「その時」はやってくる。そんな時に残される・見送る側の心のよりどころになるのは、これから死を迎える人と、これまでの時間のなかでどれだけ生きることと死ぬことについて考え、話していたか、という事実でしかない。もちろんそんなのは綺麗事でもあって、いざ家族がこの世を去るとなったら「もっとこうできたのかも、ああしてあげられたかも」という後悔は尽きないだろう。けれども、たとえ「病気」でなくとも、老いと死は必ずやってくる。

はて、そうなると〝アンチ・病気、アンチ・老い〟ではなく、すべての生命が辿る道をしなやかに受け入れていくには何が必要なのだろう、という問いも生まれるのだが。

それは自らの出店で『ばばあ食堂』と名乗れる態度そのものだし、あるいは棺桶に入ってみたり、涅槃スタグラムを撮ってみるという行為によって、一見ふざけすぎてる・不謹慎だなんだと批判されかねない無邪気すぎる行為でもって仮にも死を思ってみたところからうっかり軽率に始まる、誰もが自明と思いすぎている「生きること」の意味合いの捉え直しにあるのではないだろうか。

 

 

ちなみにだが、私も涅槃スタグラムのフレームで撮影し、その写真データをすぐに「私にもしものことがあったら、この写真を遺影につかってください(笑)」と夫に送っただけで、ひとつ肩の荷が下りたかのごとく、気分が想像以上に楽になったのだから、人間の気持ちなんて全然わからない。不思議なものだ。生と地続きである、老いと、死。タブーとされていることを乗り越え、その境界線を曖昧にしてみる。その境界が曖昧になった状態の中にこそ、現代を生きる私たちが捉え直してみるべきポイントがあるのかもしれない。

つまり今は冗談であっても、誰にとっても有限の時間の中で、いつかはその時がやってくる。もちろん人の死は哀しいし寂しい。けれどもそこに〝悔いがなかったかどうか〟だけが、残された人はもちろん、故人自身にとっても報いとなるはずで。つまり、冒頭に書いた通り、人生のなかで死について話すことに、遅すぎることはあっても〝早すぎる〟ことは無いのだと思う。

それは、「いつかは終わるこの有限の時間のなかで、できる限り納得感ある楽しい人生を送りたいと願うことが明日を生きることへの活力に繋がっていくのだ」という人生哲学としての側面を携えつつ、同時に「自然な死って何だろうか、そんなことは可能なのだろうか」という未だ答えの見えない問いと向き合うことにもなる。

さらにもうひとつ付け加えておくと、igoku Fesに通底する「生きているうちに死んでみよう」というこのコンセプト自体が、ある種の無礼講が許される場としての、祭り・フェスの機能を最大限に使っているように思い、それが非常に興味深かった。(おそらく『上三坂やっちき踊り』については完全にその無礼講の象徴ともいえるのではないだろうか?)

じつは、そもそも自分も、肉親や自分の死について想像してみること自体を、無意識ながら、かなり恐れていたのかもしれない。いや、誰でも当然そうだと思う。というか、想像ができない(=想像をしたくない)。けれども、igoku Fesは、死ぬことや老いることへの想像力を起動させる装置がひっそりと仕掛けられていて、ひとつひとつを体験していくことで、自ずと「ああ死ぬのもそんなに悪いことでもないのかもなあ」とか「どうせいつかは死ぬのだから、それまでにやりたいことやっておきたいし、日々の暮らしのあり方に満足しておきたいなあ」とか、思い始めるのだ。

こうやって地のものを食べて、おいしいねえと思い、明日への活力を得る。みんなで輪になって盆に踊る。そういう、暮らしの思い出をサルベージしながら、人生の最後を迎えられたらどんなに幸せなことだろうか、と、再び1日目ソトフェスのことを思い起こす。そんなループ。

 

 

福島から帰ってきて、お彼岸の東京でこの原稿をひたすら書いていたら、「あなたは、何をしているときに生(せい)の喜びを感じますか?」と祖先から問われているような気すらするのだった。「そうだなあ、私の命が喜ぶ時や場所ってどこだろう」とぼんやりと考えると、福島の広くて青い空とか見ている時に、ああこの国は美しいなあと心から感じて呼吸が深くなるし、福島はやっぱり東日本の誇りだなあ、という結論に辿り着きました、今。

それ自体はそんなに大それたことではないのかもしれないけれど、私が震災前には知らなかった福島の雄大な景色は、この10年弱の間に出会えて一番よかったもののひとつであって、そういう場所でこういう〝フェス〟に参加して、死についてのコペルニクス的転回まで得させてもらった恩は、正直、筆舌に尽くしがたいです。

ちなみにこの〝フェス〟は、今の段階でどこでも真似できるような代物では決して、無い。なんだかおもしろそう、と思った人は是非体験しにいわきへ行くとよいし、福島の懐の深さとその懐の深さの所以となっているさまざまな社会的状況に立ち向かう底力に一回敬意を持ってひれ伏してから「はて、自分たちならどういう表現にするか」とか、そういうことを考えずにはいられなくなると思う。ディスイズ・リスペクト・ザ・パワーオブ・老いと死。

そんなわけでこの先、igokuがどんなことになっていくのかもまだまだ知りたいし、そうやって打ちのめされながら反作用としての生の活力をも得たいので、私もきっとまたいわきへ行くことと思います。おつかれさまでした!

 


公開日:2019年12月03日

鈴木 絵美里(すずき・えみり)

1981年東京都生まれ、神奈川県育ち。広告代理店、出版社にて10年勤務の後、独立。現在各種媒体で企画・ディレクションおよび執筆に携わる。音楽、映画、テレビ、ラジオなどいろいろ愛好しつつ多くのフェスにも足を運ぶ。最近は激動の関ジャニ∞の動向から目が離せません!